深夜特急
1994 新潮社
沢木 耕太郎
1~6全巻のレビュー。
1970年代初頭、26歳の筆者が「デリーからロンドンまで乗り合いバスで行く」とだけ決め、有り金をかきあつめて旅に出た。香港に始まり、数ヶ月のはずがどこまでもどこまでも長くなる放浪の旅の記録だ。ロードムービーのように筆者がぶつかったできごとがとつとつと綴られ、そこで感じたこと考えたことがなるべくありのまま述べられている。
この作品は旅が終って10年もたってから書かれたものであり、最終章にいたっては15年も経過してからだという。「なるべくありのまま」書いているには違いないけれども、あそこがよかったここがおすすめといった旅情報や感動スポットについては触れられていない。それがかえって古くならずいまだに読まれている理由だろう。
貨幣価値が安い国へ行くと、どう金を使うべきか悩む。貧乏旅行者に贅沢は敵である。
しかし旅先の人々にとって日本人はどこまで行っても金持ちである。現におまえは飛行機に乗ってきたではないか。
働かずに遊んでいるではないか。そう言われて筆者は金がない、と言わないことに決めた。こんな体験が筆者の旅を形作っていく。
カルチャーショック、というよりもっと深く自分のあり方を問われるような衝撃だったろう。流されるような旅の中で自分がどうあるべきかずっと考え続けた軌跡が15年後にやっとまとまったものが本書だ。
「あのときどう思ったか」「なぜあんな行動をしたか」ということを十分に消化し客観的な視点で描いているにもかかわらず、この作品全編を通じて問われる問いに答えは出ていない。
なぜなら深夜特急の旅が終った後も自分がどうあるべきかどこへ行くべきか、なぜここではだめなのか、ろくに観光もせず次の街へ急ぐのか・・・・筆者はずっと問い続けているからではないのだろうか?
筆者は「私の中で旅がようやく終ったから書いた」と言っているが各巻末にある対談を見る限り、この旅が筆者の生きる態度に深く影響を与えたことは間違いないと思う。
以上。感想は、私自身の投影といえるかもしれない。
筆者ほど長期ではないが筆者と同じようにひとり旅をしたことがある。
彼の興奮や狼狽や逡巡を感じて痛かった。そして「答えはでていなかったのだ」という気持ちが残った。私は筆者とはまったく違ったタイプである。もと旅人はそれぞれのやり方で問いを抱えているのはないか・・・と思う。