前回さんざん「大学編入だいじょうぶか?!」と書いた就学生の彼、引越しで家が遠くなったので、日本語を教えるのは中止しました。
それからしばらくたって、「小論文を見て」と連絡があり、添削しました。文部科学省の奨学金延長申請のための小論文です。内容は今までの日本での活動、これからの展望など自己PRです。
FAXをもらって文字・表記、段落構成の考え方などを注記して返送。う~ん、まあまあかな…。どのくらいかかって書いたのだろう。 書くべきポイントをはずして文字数を無駄にしているところもある。とにかく制限文字数にこれを収めるのは大変かも、と思いつつとりあえず送りました。
しかし。その日のうちに再送されてきたものを見て驚きました。指摘した点が自分なりに考えたうえで改善されているのはもちろんのこと、ポイントの絞り方がとても鋭く、読み手に効果的に訴える文になっていました。最初はよさそうな日本語をまねすることにやや気を散らしていたのが、内容をまじめに考えるとよいものができたようです。文の流れが一部わかりにくいところを直すのみで、あとはほぼ完璧でした。
おそるべし、奨学生。 …なんてアタマいいんでしょ。
あたりまえですね。何百人もの競争を勝ち抜いて奨学金を受けている人なんだから。こんな人をわたしごときが指導できる範囲は、ほんとうに限られていると思い知りました。彼は留学生選抜のある大学に的を絞ることにきめたそうです。すると、もう日本語は留学生向きの問題になるため、たいして勉強しなくてもいいとふんだようです。なんでも高専からの編入を大量受け入れする大学は入りやすく、自分と日本語レベルが同じくらいの先輩がちゃんと編入できているとのことです。
それが事実なら、日本語能力検定試験1級がとれていなくても大丈夫、ということになります。
理系ならそんなもんなんでしょうかねぇ。「先生の講義の言葉は書き言葉みたいで難しいよ」とか、「レポート書くのに1級くらいの力がないと困るらしいよ」とか言ってみたけど、先輩が問題なくやっているから、とどこ吹く風です。うるさがられてしまった。ははは。 おばちゃん、心配性でごめんね。
それにしても今度のことで、日本人の作文指導は「読み手に対し効果的に自己PRする」という意識と訓練がいかに欠けているかを改めて思い知りました。作文指導、ちょっと慣れたけど自分が書けるかは疑問だったりします。今度書いてみようか…。