助けてと言えない国・誰も見て見ぬふり・それが日本 | ななふしの楽園

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不定期に更新します。内容的には映画だったり、旅行記だったり、作った料理だったり。お願いしまーす。

奥田知志さんの講演を聞いてきました。

 

奥田さんは東八幡キリスト教会の牧師です。一般的にはホームレス支援の方で有名なのです。NHKでもたまに取り上げられる人です。

 

奥田さんの理論は簡単にいうと、人間は助け合って生きていくものだ。だから、困っている人は助けて、自分が困ったら人に甘えなさい。それが出来るのが人間なのです。

 

今の日本人はホームレスというと何か悪いというイメージを真っ先に思い浮かべると思うのですが、果たして私たちはホームレスはどういう人なのか知っているのでしょうか?住所を持たないで仕事をしない人。住所がなければ就職すらできないのですよね。ここをはき違えてはいけません。奥田さんはホームレス支援を長く続けています。奥田さんの著書、「もう一人にはさせない」にも書いてあるのですが、犯罪を犯してしまったホームレスが出所するとまず住所がない。住所がないから就職できない。就職が出来ないから住む所を見つけられない。というループになってしまいます。まず、日本はこういった弱者を援助する施設が必要となります。就職のあっせんも出来たらいいな。こういうと今の日本人は甘えるなとか税金の無駄遣いだと言い始めると思うのですが、じゃあ、こういう弱者をそのまま放置するとどうなるか?考えてみましょう。死ねというのですか?第一そのホームレスになってしまったきっかけってなんでしょう?それを知ろうとしない。知りたくない。関係ない。自分さえよければいい。話を元に戻しましょう。人間は助け合って生きていく動物。それが出来ないなら猿と一緒です。これは奥田さんの言葉でもあります。人間らしい文化とは人同士が共存することだ。奥田さんが言っていたのですが、今の日本は猿の惑星という映画がありましたが、そこに向かっていると言います。確かに今の通勤の姿を見るとスマホを片手に自分の場所を確保して他人に気づかないふりをして自分のわがままを通そうとしている人ばかり。猿ばかりですね。ホームレスの人はなってしまった理由は人それぞれでしょう。それを知ろうとしないでホームレスは悪だと簡単に決めつけるのは浅知恵というものです。

 

ヨハネの福音書第8章3~11節の話の中でイエスは「あなた達の中で罪を犯したことのない者がこの女に、石を投げなさい」という場面があります。この場面は有名な箇所で旧約の立法では姦通罪は石打の死刑。姦通罪を問われた女性を巡ってイエスと律法学者が口論をするのですが、この一言で皆、石を捨て誰も女に石を投げなくなるのです。人は人を裁くことができない。まず第一にあなたは今まで人が悪とする事をしたことがないのか?した事があるなら、なぜそれを棚に上げて人を非難するのか?

 

奥田さんはホームレスの人たちだけではなく、本の中で普通に見える家庭の中にもホームレスが発生していると言います。どんな家庭かというと帰る家があるけれど、家族がばらばらで家族の心のつながりがない家庭。物理的には家があるけど、心がホームレス。家族の絆のない人たち。最近の事件もこんな家庭から犯罪者が生まれていますよね。

 

日本人は人に迷惑をかけないという事に執着して、自己責任論に達する。川遊びに行った。増水して岸に戻れなくなった。自己責任だ。自分で岸に上がれ。こんな感じの人たちはヤフーの書き込みをしている人に多い。話を聞いているとどう考えてもこの人たちも実は助けが必要なのだけど、助けてと言えないから他人も助けてというなという発想になっている。かわいそうだよね。だから、人を罵倒したり、外国人の悪口ばかり言っている。

 

奥田さんが語っていたのだけど、ホームレス支援をしてテレビなどで取り上げられると周りの人はがんばれみたいな感じだったのらしいです。しかし、ホームレス支援となると支援する場所が必要です。自分の教会の近くにその施設を作るという話になると、なんでここなんだと怒られるようになったとか?結局はホームレスというイメージが先行してホームレスは何かという事を知らないのに反対側に回った人たち。奥田さんが後悔しているのは先の住民説明会で迷惑をかけませんって言ってしまったことのようです。しかし、人が住めばどんな人でも弊害が起きてそれは迷惑です。人の地域から迷惑を取ったら何が残るか?迷惑があるからそれを我慢して愛があるのでしょう。自己責任論が迷惑は悪になってしまったと奥田さんは指摘します。

 

奥田さんが言うには大人が助けてって言わないから、子供が助けてって言えない社会になってしまったと言います。それもそうだと思うけど、人の弱みに付け込む人もいるから、いうのが怖いっていうもの本音だと思う。だから、奥田さんは誰でも助けてって言っていいんだと言っていました。その為には出来る事だったら全力で助ける。それが出来るのが人間だというのです。

 

そういえば去年に南武線を使っている山形から来たばかりの若者が通勤電車の憂鬱について語っていたのです。人が多すぎる。人がどんどんと乗ってくるけど、自分のスペースを確保するために意地でもどかない。押されたら押し返す・・・・これ南武線の話なんだけど、こんな感じの人今ものすごく東京に増えているのです。あれ?南武線って東京走ってたっけ?こんな迷惑な人たちばかり。田舎者って嫌だね~。融通利かない。自分勝手。人の事お構いなし。力づくでも自分の主張は通す。猿?

 

今の日本はかなり経済だけじゃなくて心の貧困さもあって深刻な問題だと思う。物質的に豊かじゃなくても心が豊かなら人は幸せになれる。逆に経済的には豊かでも心が貧困ならそれは不幸。今の日本はどっちも不幸なんだなあ。だって、人とのつながりを拒んでいるのだから心が落ち着くわけがない。

 

話はちょっと変わるから今日はここまで。また別の話があります。これもちょっと問題だと思うんだよね。次回は奥田一家の話。多分知っている人は知っていると思う・・・