みーちゃんスピーチ
第1章・根暗時代はこちら





第2章「試練」

〜離婚と父親の脳溢血〜




20代で外見は変化したんですけど まだ内面は変わっていなくて、アラサーの当時、私はとても覇気のないしゃべり方をしていました。

今も声は人より小さいんですけど、当時はもっと声が小さくて、周りからは何度も聞き返されたり、「元気?」とか声をかけられたり、もっと酷い時は「大丈夫か?」とか声をかけられたこともよくありました。

とにかく、なんか人から心配されるような子でした。

そこでまた転機が訪れました。

それが、離婚と、父親が脳溢血で倒れたことでした。

この人生のうちでも大変そうな2つのことが、いっぺんにやってきて、私は毎日、生きることに必死でした。

離婚のことで言えば、弁護士さんに相談したりする機会が増えたり、父のことでいったら、病院の手続きや、役所での手続きなどで 否が応でも、人とやり取りをしなければならない状況に身を置かれました。

最初こそは、毎日メソメソ泣いてばかりで、お姉ちゃんを頼らないと、ひとりではなにも出来ないような状態だったんですけど そうこうしているうちに、段々と鍛えられたのか、何か自分の魂が燃えているのを感じ出したんですよね。

もうここまで大変な状況になったら笑うしかないみたいな、無敵の境地にまで至ったんです。

それで「おう!なんでも来いよ!受けてたとうじゃねーの!!」っていうような境地になったのを覚えています。(笑)

まるで、自分が、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人にでもなったような気分でした。

その時に、しゃべる声質も変化して、近所の人から「吉川さん、すごい変わったね!!声が全然違う!!」と驚かれたりもしました。

それまでが、あまりにも蚊の鳴くような声で、覇気のないしゃべり方だっただけに、それに比べたらすごい変化したんですよね。

あの時は本当に大変だったけれど、きっと、神さまは、私が乗り越えられるだけの試練をあたえてくれたんだろうなぁーと思います。

逆に言うと、人には乗り越えられない試練はないと私は思っています。

〜社会不安障害と診断されて〜




幼い頃からそうでしたが、過緊張は相変わらずでした。

あまりにも、人前での緊張感が異常で、これは普通のレベルじゃないと常々思っていました。

私以外、こんな人間を見たことがなかったので、自分は本当は宇宙人なんじゃないか?と疑ったこともありました。

どうしても地球に馴染めなくて、自分の星というものがあるのなら、早く自分の星に帰りたいと思っていました。

そんな風に過ごしていたある日、新聞の折り込み広告で、「社会不安障害」という言葉を知ったんです。

そこに書かれてあった症状が、どれも自分と一致して、そこで初めて、自分はこの病気なんじゃないか?と疑いました。

そして、心療内科に行った時に、やはり「社会不安障害」と診断されました。

私はその時、すごく安堵したのを覚えています。

なぜかと言うと、それまで自分は宇宙人だと思っていたけど、こういう人が他にもこの地球の中にはいらっしゃって、自分はそういう病気なんだとカテゴライズされたことで、安心を得たんです。

変な話ですが、「あなたはここに当てはまるよ」と、きちんと地球での居場所が見つかった瞬間でもあったんです。

病気だと診断されて落ち込んだり、ショックを受ける方も、もしかしたら中にはいらっしゃるかもしれませんが 逆に、病名を告げられることで、安心できるパターンもあるんですよね。

人が一番不安なのって、なにがなんだかわからない状態でいることだと思うので、わかるってことだけでも、安心を得られるんだなぁと思いました。

病院で処方された薬をきちんと飲むようになって、以前より不安な場面が減ってきました。

だけど、薬の副作用も強くて、飲むと胃の不快感が出てくるので、あんまり好きではありませんでした。

私はどちらかと言うと、その薬の効果そのものよりも、「薬を飲んでるから大丈夫!」という心の効果の方が大きかったように思います。

だから、徐々に薬を減らして、全く飲まないまでになりました。

〜体が硬直!目の前のハンバーグが食べられない!〜




不安障害はだいぶ良くなりましたが、まだパニック持ちのようなところがありました。

それは3年前の話です。

姉が主催するランチ会に、私の誕生日プレゼントにと招待されたことがあったんです。

その時に、shizuさんもいらっしゃいました。

今思えば、パワーブロガーさんと呼ばれる、そうそうたるメンバーが集まっていて、私はとても緊張していました。

その時に、ひとりひとり軽く自己紹介をしたんですけど、私の番になった時に、あまりの緊張で声がつまってしまいました。

「あ!失敗した!」と思い、自分が思い描いていた通りには出来なかったことが、すごくショックで、パニックになってしまいました。

すぐさまトイレに駆け込んで、泣き崩れて、過呼吸みたいになりました。

そんなパニックの中でさえも、もうひとりの自分が「あーどうしよう!早く席に戻らなきゃ!みなさんにご迷惑をかけてしまう!」と焦っていました。

でも、どうしても次から次へと涙が溢れて、止まらなくて、なかなかトイレから出られませんでした。

今思えば、本当はもっとこうしたかったよね、とか、本当はもっと上手くやりたかったよね、とか、自分の本音を受け止めてあげてたら、すぐに落ち着いていたと思います。

だけど、その時の私は、自分の本音を無視して「早く戻らなきゃみなさんに迷惑がかかるでしょ!」って、もうひとりの厳しい自分が、自分を叱咤してしまったことが、余計にパニックを加速させることになってしまい、それで涙が止まらずトイレからなかなか出られなかったんだと思います。

そうやって自分の本音をギューっと押し込めて蓋をして、なんとか自分を叱咤してトイレから出たためか 席に戻るとすでにテーブルには頼んだハンバーグが置かれてあったんですが 今度は、体が硬直してしまって、ハンバーグを食べようとしても、手が固まって動かなくなってしまったんです。

すぐ目の前にハンバーグはあるのに、食べられないという状況に、またパニックになってしまって、すぐ近くにいた姉に 「ハンバーグが食べたいのに食べられないよー」と泣きついたんです。(笑)

普通に考えたらすごく滑稽な光景なんですけど、私は初めてその時に「緘動」というのを経験しました。

緘動というのは、緊張やパニックで体が硬直してしまう症状で、私が経験した緘動は、まるで催眠術にでもかけられたかのように、手だけが動かなくなったんです。

その時に、私が周りの人たちにお願いしたことは、腕をさすってもらったり、手を握っててもらたり、手を握っててもらうことでした。

人にもよるのかもしれないですけど、私は、人から触れられることで、安心感を得られるんです。

だから、今までパニックになった時は、手を握って欲しいとか、背中をさすって欲しいとか、必ずお願いしていました。

それでその時も、人から触れてもらうことで、安心を得て、ようやく体が動くようになって、無事にハンバーグを食べられるようになりました。


第三章「サナギから蝶へ」につづく




ちなみにハンバーグが食べられなくなったときの
ランチ会の写真がこちらです
↓↓

左端の黄色いハートがみーちゃん。
右奥の黄色いハートはshizuさん!
おさむさんの隣がまだ控えめな時の私。



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