百億の昼と千億の夜 | 物質の下僕

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語りえぬものには、沈黙しなければならない












let me have my enemies butchered

光瀬 龍, 萩尾 望都
百億の昼と千億の夜
初出は何年くらいでしょう。私が最も漫画を読んでいたころです。

萩尾望都氏の作品はそれより前からずっと読んでいました。
これは原作があります。私は漫画が先でしたが、原作も読みました。A.C.クラークとスタンリー・キューブリックの差、というほどでないにしても、光瀬龍氏の原作はかなり地味。

まあ、当時の萩尾氏は絶好調でした。レイ・ブラッドベリ氏の作品を漫画にできたのは驚きでした。この百億の、、、もある意味古典と呼ばれる資格があるでしょう。

細かいことはあまり憶えていないのですが、この時期の少年誌(サンデー、マガジン、チャンピオンなど)は作品の質の低下が著しく、相対的に少女向けの雑誌は次々と新しい才能を生んでいました。

この時議論されたこと、そして恐らくかなり的を射ていたと思われるが、それまで文学に向かっていた才能が大挙して漫画に、それも女性を中心とした層が、流れ込んだということがいわれたのです。時期を同じくして文学の凋落が言われたのは偶然ではなかったのです。

当時の私は、「最早文学に語るべき才能はない。漫画は文化になった。」と言っていました。 が、私の計算外の要素はそれを支えるファン層の脆弱性、もっというならば頭の悪さでした。結局、漫画は文化というよりもサブカルチャー、オタクの跋扈する世界へと変質していったのです。その流れを目にした時、私の漫画に対する情熱は急速に冷めていきました。

以来、漫画は例外的な作品を除いてはほとんど読まなくなったのです。

そういう意味からいっても、この作品は漫画が文化になりそこなった、文学を凌駕しようとしていた、その可能性の金字塔であると断言してよいだろう。