プレゼンの日々 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

前回ブログを更新して1か月になるが、この間は目が回るほど忙しかった。

文章を書くのは早くて書くことは楽しいのだが、

パソコンに向かってしなければならない他の仕事が溢れていた。

 

この1か月はやたらにプレゼンが多かった。

まるで畏友北風政史先生並になってきた?

 

10月12日(土)に近畿大学の病院長と、リーガロイヤルホテルでメーカー主催の研究会の

座長を務めることになっていたが、台風19号が来たため中止になった。

わたしが座長予定だったセッションの演者は、ときどき飲みに行く旭川医大の教授だったが

そもそも空港閉鎖で飛行機が飛ばないからどうしようもない。

一緒に飲みに行く機会が減ったが、来年に延期されたので楽しみにしよう。

 

10月26日(土)日本超音波医学会関西地方会で講習会の演者を務めた。

「膀胱・前立腺の超音波検査の実際」というタイトルで40分間しゃべったが、

これまで話したことのないテーマなので面白かった。

半年前に前近畿大学教授から依頼を受け、日常診療の間に画像収集に明け暮れていた。

 

ほとんど行ったことがない学会なので雰囲気が分からない。

勤務医時代に同じ病院の外科の先生が会長をされたので、裏方で手伝ったくらいだ。

この外科の先生は、肝胆膵分野で神の手を持つ医師で、超音波検査の大家でもある。

今回の学会でも200人以上の大観衆の前で座長を務められていた。

 

普段参加していない学会でどんな聴衆なのかも分からないのに、

講習会の講師など務まるのかと思っていたが、膀胱や前立腺の超音波検査では

わたし以上に場数を踏んでいる医師がそう多くいるはずもなく、予想以上に大受けであった。

聴講者の半分以上は検査技師さんと思われ、女性が多かったので話しやすかった。

 

3日後の10月29日(火)、M3.comのウェブセミナーで生中継の講演をした。

北浜のビル内に、M3の小さなスタジオがあって、カメラの前で喋った。

過活動膀胱の新薬が出て夏に書いた論文も掲載されたこともあり、

絶妙のタイミングでの講演であった。

 

座長は今年鳥取のカニツアーと九州の肥薩線ツアーに一緒に行った同業の先生である。

わたしより3年くらい遅れで大阪府堺市で開業されている10歳以上若い先生だが、

患者数はうちの1.5倍というスーパー開業医である。

 

この先生は京大出身で、頭が回るが舌も回る。

視聴して頂いた先生の感想によれば、演者・座長とも放送コードすれすれの

過激な発言が相次いでいたそうだ。本人は覚えていないけれど。

視聴してくれた福山のS先生からも面白かったとコメントを頂いた。

 

 

打ち上げは福島のリエゾンでコースとワインを堪能。

やはりリエゾンの料理は繊細で優しい。

色調まで神経が行き届いており、大阪のトップクラスのフレンチであると言って良いと思う。

 

明後日の11月26日(火)にもう一度同じテーマでウェブで生中継の講演予定で、

今回の座長はもう少し常識的で大人しい後輩なので、冷静に話すことに努めたい。

できるかな。

 

10月31日(木)には梅田で日本泌尿器科学会東部総会があり、ポスター発表した。

自分の膨大なデータからポイントを抽出するのに多少時間を要したが、

朝一番にポスター掲示を娘に頼んだので、休診せずに済んでやれやれであった。

学会場で翌週招待頂いている金沢医大の教授にご挨拶し、セッションに出席した。

 

わずか5日間で、まったく違うテーマの講演と学会発表をこなすことになったが、

けっこう大変だった。

スライドは普段から準備できているが、何が何だか自分でも分からなくなる。

 

その2日後の11月2日(土)には地元医師会の学術勉強会があり、

市民病院の先生の演題の座長を務めた。

これは準備は要らないので、気は楽である。

 

11月3日(日)朝6時に、高齢の義父が入所している老人ホームから

「そろそろ危なそうだ」電話があり、30分で駆けつけたところ、その後30分後に

安らかに永眠した。

 

しばらく前から状態が悪く、覚悟はしていたが、いよいよ来るべき時がやって来たのだ。

永らくお世話になっていた在宅医は心肺停止後30分後にやって来られて、

739に死亡確認され、丁寧に一礼してあっさりと帰って行かれた。

わたしとはこの時が初対面であったが、よく診て頂いたと心から感謝している。

 

不幸中の幸いで亡くなったのが日曜日の早朝であったので、直ちに老人ホームの

部屋の片付けを済ませ、葬儀場の手配をして慌ただしく1日を終えた。

 

翌11月4日(月)は振替休日で診療所は休診だが、この日は年1回の

大阪府医師会医学会総会が予定されていて、演題を出していた。

朝一番からポスター掲示に上本町二丁目の医師会館に出かけ、発表を済ませたあと

うちの名誉教授で大阪の臨床医会の会長と情報交換しながら昼食。

 

午後に総会に出たあと、今月台風が来なければ研究会で会う予定だったが近畿大学病院長と、

大阪国際がんセンター総長(先輩で昔から飲み友だち)に挨拶して講演を聴いたあと、

慌ただしく戻って通夜に参加した。

 

親戚が少ない家なので、ほんの数人の家族でしめやかに通夜を済ませ、

家内と義母を通夜の会場に置いて娘と夜に帰宅した。

この日も長い1日であった。

 

翌日火曜日11月5日は連休明けで、本葬のため臨時休診にせざるを得ないが、

患者さんはやって来る。

朝の8時には出勤して9:40までに10人余を診察して葬儀に駆けつけ、

本葬を終えたあと斎場まで往復してお骨を拾って葬儀が終了した。

 

家族たちを送り届けて、わたしはその足で京都のつか本に行った。

葬儀当日によく行ったと思うが、できる限り予定を変えずに動かした方が

かえって心の平穏に繋がると思う。

 

葬儀の2日後の11月7日(木)、金沢医大の研究会に呼んで頂いて、

金沢日航ホテルで過活動膀胱について講演した。

新薬を発売しているメーカーが共済だったが、たまたま前日がカニ漁の解禁であったため、

加賀料理の高級店で香箱がにを頂くことができた。

金沢医大の教授はこれまであまり存じ上げなかったが、キビキビとしたストイックな先生で、

リーダーシップに富んだ紳士であるとの印象を受けた。

 

 

金沢から大阪まで早朝のうちに帰るのはちょっとしんどい。

翌日の午前診は休診にして、40分だけ兼六園を散策して帰阪した。

2時過ぎから午後診療に入ったが、幸い20時頃までで終了した。

 

 

11月9日(土)には地元千里医師連合会のの学術勉強会に参加し、酒がまずくなるような

脂肪肝と肝線維化の話を聴いて、みんなでビールと紹興酒を飲んで帰宅。

この日以降、飲酒量がかなり減った。

 

日常診療と遠征の間に義父の相続関係のあちこちに電話連絡し、必要書類の収集に明け暮れた。

法務局で法定相続情報を発行してもらえば以後の手続きがスムーズになる。

わたしは相続人ではなく義母は高齢なので、家内があちこち走り回っている。

 

11月16日(土)には大阪泌尿器科臨床医会の学術集会があり、わたしは議長のあと

最後まで参加して堺の大先生と福山のS先生とで飲みに行った。

 

その3日後の11月19日(火)には、これまた埼玉県最大の病院である

獨協医大越谷病院の親しい病院長と、旧知の姉御肌の埼玉の学術部長に招かれ、

さいたま市(旧大宮市)で講演した。

これまたちょっと型破りな講演をして、美味しい割烹料理店で魚をご馳走になった。

しかし何と言っても生のクジラの赤身が美味しかった。

 

 

大宮市からは朝に出ても大阪に着くのは昼前になる。

翌日は午後2時過ぎから診療開始し、1930にはほぼ終了した。

休診にするとあとが大変だ。

 

この土日の連休では、まず新規に発売された20世紀の大指揮者ブルーノ・ワルターの

CBS(米国コロンビア・元ソニー)の全録音の整理を行った。

すでに全ての録音は手元にあると思っていたが、意外にも欠落している録音があり、

改めてまとめ直した。

他の人には理解不能だろうが、個人的に最も思い入れの強い演奏家なので感無量である。

鳥瞰すると、この指揮者の偉大さがひしひしと感じられる。

 

その後、2日後に迫った2回目のウェブセミナーの準備と雑誌の依頼原稿執筆をこなし、

生命保険会社や証券会社、銀行などに夥しい量の書類をまとめて送付し、

着々と相続の手続きを進めているところだ。

 

あとは来週に岡崎市まで日帰りで遠征すれば今年のプレゼンは終了だ。

これが開業医の日常なのか?

 

疲れてきたので筆を置く。