仕事の合間に | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

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テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

年末になってきたが、相変わらず仕事三昧の日々である。
年内に締め切りの論文原稿がまだ2つあり、診療の合間にこなしている。
うち1つの締め切りは昨日だったが、まだ書き上げていない。すみません。

ブログのランキングなどどうでもいいのだが、最近は更新しないと順位が下がるようだから、
ようやく正直なアクセス数を反映するようになったのかも知れない。
なので?、仕事の合間に駄文を書くことにする。

昨日の報道ステーションでは、10人くらいの党首を一堂に集めて、
キャスターの古舘伊知郎が司会を務め、政見等を熱く議論していた。

よくも忙しい党首を全員(新党日本の田中康夫代表を除く)集められたものだと感心したが、
10人という大人数で、限られた時間の中での議論である。
政治的な主義主張はともかく、司会者の采配や周囲に配慮しながら、
どのタイミングでどのような発言をするか、という点が見物であった。

要するに、その場で当意即妙にかつ簡潔に対応する能力を問われるわけで、
言い方は悪いが、動物園の個性的な動物を見ているようで面白かった。
以下に各党首に対してわたしが勝手に感じた印象を記してみる。

くり返すが、主義主張への賛否では決してなく、
生放送下での各党首の振る舞いに対する、ただの一有権者の印象である。

野田総理は毎度ながら堂々としたもので、ここ数代の首相の中では
最も落ち着いた態度で答弁をする。
話す言葉に無駄がないし、軽々しくない。
この人に比べると前の2総理がおバカで軽薄に見えるから、やっぱり大したものなのだろう。

自民党の安倍総裁も、首相時代より貫禄が出てきたようで、
時に熱くなってみせるが、自分の発言のタイミングを心得ている。

さすがの大物石原慎太郎も、あの短い時間では自分のペースで全体を仕切ることはできず、
自身1人が主役の記者会見よりやりにくそうであった。

公明党の山口代表は、なぜか大人しめで発言も少なかったが、良く言えば紳士的であった。
どことなくサラリーマンっぽい、と感じた。

頭の回転が速い舛添要一は、相変わらず切れ味が良かったが、
鈴木宗男は北海道ローカルな自慢話に終始し、
渡辺喜美は百戦錬磨の大物に囲まれて格負けした印象であった。
みんなの党は、渡辺より江田けんじの話の方がはるかに説得力があると思うのだが。

国民新党の自見庄三郎は、簡潔に主張を纏められていなかったし、
共産党の志位和夫は、相変わらずの自党の主張の繰り返しに終始していた。

未来の党の嘉田代表は、女性であることを表に出し、子どもを大切にすることを強調するが、
子育て支援の財源の話になると不明瞭で説得力に欠ける。
舛添がきちんと答えていた核のゴミ処理問題を聞かれても、逃げを売って答えなかった。
この日の党首の中では、論外の1名を除き最も信用できないという印象を持った。

最も目立っていたのが社民党の福島瑞穂で、他の党首が話している最中から
「はい、はい」と手を上げて黄色い声を上げ、指名されなくても話し出すし、
見ていて非常に見苦しかった。

司会の古舘伊知郎も、明らかに無視せざるを得ない場面があったが、
場の空気を読まないこの人の存在を、内心嫌がっていたのでは、と想像される。
不快だったので話の内容はまったく聞いていない。なので何を言っていたのか不明。

わが国は女性政治家が少ないと言われている。
他にもっと優秀な女性政治家はおられるのだとは思うが、
この日の女性2人を見て、こんな人たちが党のトップなのかと思うとガックリ来る。


また、テレビをつければ森光子の死を惜しむ報道ばかりやっている。
非常に素晴らしい人だったとは思うが、もはや92歳で、
すでに俳優生命は終えていたのではないだろうか。

名指揮者と言われたカール・ベームが死去した際にも、わが国で悼む声が多かったが、
最晩年はもはや指揮台の飾り物に過ぎなかった。
この指揮者は、引き際をわきまえずに晩節を汚したとわたしは思っている。

すでにプロとしての役割を終えた方を悼む気持ちは分かるが、
過去の偉業を讃えるのは良しとしても、惜しい人を亡くしたという弔辞は似合わない。

横山ノックを送る会で、上岡竜太郎がにこやかな表情を浮かべながら、
「芸人送るに涙はいらん」と述べた名弔辞を思い出す。
笑い顔に秘めた万感の思いが伝わってきた。

森光子を送る会での黒柳徹子の弔辞が、入れ歯が合っていないようで聴き辛く、
そちらの方がよほど痛々しかった。
36年ほど前に一度お会いして直接話したことがあるが、この人ももう79歳になる。
あれだけ舌の回る人であっただけに、本人が一番もどかしいだろう。

もう1人、今週は中村勘三郎の死が大きなニュースになった。
勘九郎時代に、家内と舞台を見に行ったことがある。
この人はまだまだ活躍できただろうから、本当に残念である。

初期の食道癌と報じられていたようだが、12時間の手術時間は不自然である。
術後一度も回復することなく、2度の転院をしたあとで、
急性呼吸逼迫症候群(ARDS)で亡くなったと報じられた。
これもまた初期の食道癌の治療経過としては不自然きわまりない。

昭和天皇の病状も、崩御されるまでは腫瘤形成性膵炎と報じられていた。
病状というのは非常に微妙なものであるだけに、
マスコミ報道には神経質にならざるを得ないのは分かる。
なので、報道などまともに信じることなど、到底できないのである。

初期の食道癌で療養中のやしきたかじん、早く元気で帰って来いよ。