恐るべきボトル差?・・コラール | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~
ルネ・コラール ブリュット 1985・1990
購入日    2010年5月
開栓日    2010年12月
購入先    ブル魂
インポーター ヌーヴェル・セレクション
購入価格    9800円・8600円

三賀日は近くの実家以外どこにも行かず、テレビもほとんど見ずに、パソコンに向かっている。
3日かけてようやく10,000字の原稿を書き終えつつある。

疾患についての学術論文ならまだ書きやすいが、町医者の儲け方、みたいなテーマで、
学会の教育プログラムのテキストを執筆する、というのは実に気を使う。
学会を主導するお堅い教授たちからは、横紙破りの困ったやつだ、ときっと思われているだろう。

業務連絡:
お~いワインが当たる教授、せんせの分は書けましたか。
締め切りが過ぎているよ~ん。
やっかいな仕事に引っ張り込んでどうもすみません。ワインおごるから許してね。


年が明けているが、昨年開けて書き残しているものの記事を書いておこう。
この夏前、ブル魂さんから1979、1985、1990年が2本ずつ届いた。
何も考えずにまず開栓したのがたまたま1985であったが、2本目もまた1985となった。
前回8月に明けた1985年は、端麗だが頼りなげで、「中途半端か 端麗な熟女か」と書いた。

全体的にキレイなシャンパーニュではあったが、全盛期の魅力のなにがしかの美点は
失ってしまっていると思われた。
ところがこの2本目はたいへんな美酒で、昨年開栓したシャンパーニュの中でも
屈指の1本であった。

繊細で絹のような舌触りの泡、小さく凝縮した四半世紀前の果実、
今でもフレッシュで突出しすぎない酸など、いずれの要素も立ち振る舞いが貴族的な、
見事なバランスのヴィンテージシャンパーニュである。

これは「時間」の要素を抜きには存在し得ない。
ピノ・ノワールも1985年ものとなると、同時に瓶詰めされたものでも相当なボトル差があるが、
シャンパーニュでも同じことなのだろう。

ふと思い出したが1997年の正月、某百貨店の新年セールで、
シャトー・カロン・セギュール1990が4000円程度で出ているのを見つけ、
その場にあった6本くらいを全部抱えて帰った。

不安定が故に(今でもだが)14年前はブルゴーニュにあまり手を出す気にならず、
どちらかというとボルドーを開ける方が多かった。
今ならカロンなんてベタなワインを、安くても購入するかどうか。

ボルドーの良年である90のカロンだが、状態は安定していたものの続けて開栓すると、
6本の間には相当なボトル差があるのに気付いて驚いた。
あんなに強いカベルネ・ソーヴィニオンだってそんな調子なのである。
コラールは繊細な泡ものだから、こんな程度のボトル差では驚くに値しないのだろう、きっと。

1985の素晴らしさに気を良くして、続いて1990を開栓してみたら、
これが見事なブショネで、即流し行きになったのであった。

今回の2本を合わせて考えると、やっぱりコスパは悪いかも?
いやブショネだけはいかんともしがたいから、あきらめないと仕方がないが、
残る1979年ものに大いに期待することにしたい。