メンデルスゾーン「エリア」 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

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テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

ようやく本格的な夏休みをとり、26日の土曜日から、友人たち4家族10人で蓼科の定宿、
アートランドホテル蓼科に2泊し、ワインを多く開けたあと先ほど帰宅した。
昨日27日の日曜日、開幕したばかりのサイトウキネン・フェスティバルの演奏会に行くため、
わたし1人だけ蓼科から松本まで出かけた。

この演奏会を聴くためわざわざ大阪から出かけたのは、大先輩の副院長夫妻、
親友でワイン仲間のI医師とその友人の薬剤師さんとわたしの5人であり、現地で集合した。
わたしがこれまで聴いた演奏会の中でも10指に入る、非常に印象的な演奏会であったので、
記録しておく。

さて、帯状疱疹のため(らしい)今シーズンのウィーンでの仕事をキャンセルした小澤征爾だが、
例年のサイトウキネン・フェスティバルでは、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を持ってきた。
フィレンツェ歌劇場との共同制作となっているが、約10人の歌手と、数十人の合唱団を配した
オペラ形式の上演である。

今朝の信濃毎日新聞の朝刊1面では、小澤の病状を気遣ってか、「力強い指揮」という見出しで、
「病気と聞いていたが、元気そうでよかった」という聴衆のコメントを記載していた。
何とも本質をはずした情けない記事である。
相当長くなるが、忘れないうちにわたし自身の感想を記しておく。

SS席30.000円。この価格をきわめて安かったと感じた。
それは最上のブルゴーニュを経験したときの感慨と同じ・・・

メンデルスゾーン作曲 オラトリオ「エリア」(フィレンツェ歌劇場との共同制作)
指揮:小澤征爾 サイトウキネン・オーケストラ
演出・デザイン:ジャン・カルマン
バス:ジョゼ・ヴァン・ダム ソプラノ:サリー・マシューズ 
コントラルト:ナタリー・シュトゥッツマン ほか
合唱:東京オペラシンガーズ

 
会場となった、まつもと市民芸術館のメインホール

 地元の方には失礼だが、まさか松本にこんな立派なホールがあるとは思ってもみなかった。一昨年、シンガポールの新しいシンフォニー・ホールでオーケストラを聴いたが、ホールの底面が低く、前3分の1の席では低域がこもる欠点があった。日本にも、音響面を考慮されていないホールは山のようにある。ところがこの松本の新しいホールでは、オーケストラ・ピットの位置や客席の傾斜も熟慮されていると思われ、実際音響的にもたいへん優れていた。しかもオペラ上演も前提にしているためだろうか、舞台にも十分な広さを取っていると思われた。幸いにもわたしの席はど真ん中の特上の席で、小澤の指先の動きまではっきりと見える位置にあった。
 舞台演出とデザインは、1970年代初頭までバイロイトの名演出として評価された、ヴィーラント・ワーグナーの舞台演出を思わせる、暗めで象徴的な舞台セットも印象的で、衣装と照明も深刻な宗教劇を意識した渋いものであった。
 わたしもこの曲のLPは所蔵しているが、それほど真剣に聴いたことがなかったものだから、ロマン派作曲家らしく美しいメロディを持った優美な宗教曲、という程度の印象しか持っていなかった。この認識は改めなければならない。この作品は、ユダヤ人メンデルスゾーンの渾身の大作で、旧約聖書を下敷きにした宗教的できわめて重々しい作品である。
 さて、昨日の演奏会で何がすごかったかというと、指揮者からソリストから合唱から舞台装置から演出からホールの音響まで、何一つ文句の付けようのない、完璧なものであった、ということだ。生は今回が初体験だが、個人的には小澤の振った音楽で感激したことは、これまでにはなかった。しかし昨日はその実力をまざまざと見せつけられた。感嘆したのは、指揮者としての深さ、というものに対してではなく、これだけのメンバーを揃えて、総合芸術としての(事実上の)オペラをプロデュースできる総合力に対して、である。
 大阪が地盤だった指揮者朝比奈隆は、世界的にとても1流とは言えない大阪フィルを駆使して、分かる人には分かる名演を多く生み出したが、小澤の仕事は使うものすべてが妥協のない世界の最高レベルのものばかりである。
 今回の「エリア」で特筆すべきは、合唱のレベルの高さである。これはもはや世界一と言っていいのではないか。メンデルスゾーンは、バッハの「マタイ受難曲」を19世紀に復活再演したことで知られているが、この「エリア」にも明らかにマタイの影響が見られる。合唱がピアニシモで歌うコラールの厳粛さなど、マタイのクライマックスであるコラール「Wenn Ich・・」を彷彿とさせるが、東京オペラシンガーズの実力は、第2部第32曲を聴いておそろしいほどよく分かった。
 あえて昨日の演奏会の欠点をあらさがしすれば、主役の世界的バス歌手、ジョゼ・ヴァン・ダムの出来だろうか。彼の演奏会を何度も聴いたことがある、というI医師も、副院長夫人も、そしてわたしも、今日は声があまり出ていない、と印象を持った。しかしコントラルトのシュトゥッツマンのうまさには舌を巻いたし、第2部でセラフィムを演じたマシューズ の高域にも酔わされた。
 情けない話だが、かつてはバーンスタインやジョージ・セルなど錚々たる面々を招聘した大阪国際フェスティバルも、今や惨憺たる内容だし、クラシック音楽の愛好家もマックユーザー同様に絶滅寸前にあるように思っていた。今回の演奏会で、大阪で感じていることだけから、日本を見てはいけないことがよく分かった。恥ずかしながらここまでサイトウキネン・フェスティバルのレベルが高いとは知らなかった。われわれ日本人には理解が難しいはずであるユダヤの宗教音楽が、世界最高レベルでの完成度を持って、東洋の一地方都市である松本から発信される、ということに驚きを禁じ得ない。
 大阪でこの駄文を書いているまさに今、2回目の「エリア」が上演されている。きっと今ごろ、昨日と同じように大きな拍手が、まつもと市民芸術館から沸き起こっているに違いない。