古酒三昧の一夜 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

昨晩5ヶ月ぶりに六覚燈に繰り出した。
4人で4本プラスオーストリアのデザートワイン1本であった。

今回のテーマは、ソムリエの中山さんにブルゴーニュ、ボルドーを問わず、
「優しい飲み頃のワインを」とお願いした。
中山さんとわたしが「飲み頃のワイン」というと、世間では古酒に分類されるようだ。


ドメーヌ・ルイ・レミー モレ・サン・ドニ 1er Cru 1980
インポーター モトックス

まず1本目。このワインはわたしも昨年2本開けたことがある。
http://ameblo.jp/griotte/entry-10002922892.html
すでに瓶は捨てており、インポーターがどこだったか分からないが、今回の1本はモトックスだ。
これは正規ルートで入ってきたものらしい。

中心に朱色を帯びたきれいな甘みがあり、それを丸くなった酸味がくるむ。
わたしが開けた2本は、そんな力は失われていた。
明らかに今回の1本の方が凝縮感があり、美味しい。
こんなところで、26年前のワインのボトル差を体験できるとは思わなかった。


ブシャール・ペール・エ・フィス ル・コルトン 1983
インポーター  サントリー

予想通り2本目は本命であり、先ほどのルイ・レミーは、軽くオーヴァチュアであったわけである。
いつもの通り、中山さんのワインの選び方には感心するが、最近何度かお付き合いしているので、
少し手の内が分かるようになってきた。

このワイン、ブラインドで畑を当てることはできなかった。情けない・・・
ニュイより明るく、南のワインであることに気付かねばならないはずだった。
シャンボール・ミュジニーの陰影はなく、ヴォーヌ・ロマネのスパイシーな香りもない。
ブルゴーニュでは陽性の部類に属するピノである。

どこを取っても突出した要素が何一つ無く、まあるく熟成したさまはどうだろう。
ボディはしっかりしているが、若いコルトンにありがちな重厚感はない。
酸だの甘みだの果実味だのタンニンだの、あらゆる要素が絶妙のバランスで存在する。

これですよ、これ。
まさにこれこそ典型的な飲み頃のブルゴーニュである。


クロ・デュ・マルキ(サン・ジュリアン) 1996
インポーター  日食

メドックの大御所レオヴィル・ラス・カ-ズのセカンドワインだが、今日の役目は「間奏曲」である。
銘柄はブラインドでは分からなかったが、ヴィンテージだけは当たった。
すでに10年目を迎える酒ではあるが、今回の面子の中では圧倒的に若輩者である。

最初だけはまったりとメルローを感じたのだが、まるで違った。
時間とともにガーネット色の奥底からカベルネ・ソーヴィニオン(65%)が香ってきた。

大変スタンダードなボルドーの左岸である。
真の飲み頃にはまだしばしの時間を要すると思われたが、まあ3級レベルの品質は十分に備える、
と言って良いと思う。

ただし、わたし個人はこの手のワインにはもはや興味は薄い。


シャトー・クロ・ド・サルプ(サン・テミリオン グラン・クル)1962
インポーター  オーデックス・ジャパン

で、間奏曲のあと、最終楽章に何が出てくるかと思ったらこれでした。もう降参。
ここまでくると、そのワインがブルゴーニュなのかボルドーなのか、ということすら
どうでも良いという気になってくる。

産地を当てようとしたのだが、中山さんに
「そんなこと考えない方がいいですよ」と言われてしまった。
これは至言である。

昨年最も印象に残ったワイン、1966との違いは明らかにある。
今回の62はわずかにピークが過ぎていて、ほんの微かな臨終香があり、土俵際と思われた。
これを残念と言うべきではないが、少しずつだが落ちていく・・・

66を一口飲んだ時、80年代でしょうと言った。
それほどしっかりした果実味が残っており、フレッシュであったが、
62はもっともっと優しくてたおやかなワインであった。

今回のメンバーは、昨年66を飲んだ時と同じ面々である。
聞けば、66の方が良いヴィンテージだそうだが、60年代の2つのヴィンテージをかように
比較できるとは、何という幸せであろうか。

昨晩しっかりと再確認したことは、ネット上で売られているワインにはいろいろな素性のものがあり、
六覚燈が正規インポーターを通じて蔵元から入れてくるワインほどの信頼性はない、
ということである。

量を扱えることのメリットから、六覚燈は、正攻法で正直にワインの確保をされているな、
ということがよく分かった一夜であった。
何度でも、行きたい。