一流サバイバーへの道 -6ページ目

生と死の直視と、闘いの記録-4

■ 2015/01/05(月) ■

 2014/12/29(月)に、救急車で運ばれ、
 『肺炎と呼吸不全』と診断されてから1週間。

 その間は、酸素マスクによる酸素の供給と、抗生剤の点滴を施し
 栄養は、胃ろうからのエンシュアの摂取のみで
 水やご飯の経口摂取を控えてきましたが、
 01/05の この日、やっとご飯を口から摂る事が許されました。

因に、この時点でも、痰が絡まった咳は昼夜を問わず
ひっきりなしに出てはおりました。

01/05は、私は病院にお見舞いには行けずにいたので、
 妻本人からの連絡と、双子の妹夫婦からの
 伝聞のみの情報しか持ち合わせていませんが、
 ドロドロになったペースト食とはいえ
 久々に口から食べて『味を感じることが出来た食事』に対し
 妻は、『美味しかった!!』と
 双子の妹夫婦に伝えておりましたし、
私にも嬉しそうにLINEを送ってきておりました。
『出された量の9割も食べれた!!』と
嬉しそうでした。

 お見舞いに来た妹夫婦の前で笑顔を見せ
 甥や姪の話に耳を傾け、
 お腹を抱えて、声にならない声を出して笑う程に
 明るさと元気を見せていたようです。

 しかし、翌日の2015/01/06(火)には発熱し、『誤嚥性肺炎』と診断され
 またしても、ご飯の経口摂取は禁止されることとなりました。

 
 
 何故、私は 01/05 この日にお見舞いに行かなかったのだろう・・・
 妻が美味しいと感じられた食事の時間を
 何故、隣で一緒に共有してあげなかったのだろう・・・
 と、心から悔やんでいます。

何故なら、妻が経口摂取で味を感じることが出来た
 『最後の食事』が、この01/05の夕飯だったからです。

 『口からご飯を食べ、料理の味を感じる』という、
 一般的には普通のこととされている行為を禁止される。
 
 この状況は、亡くなる2015/03/13(金)まで
 一度も改善されることなく続くこととなりました。



つづく

ドロシーの夫 タクミ 

生と死の直視と、闘いの記録-3

ドロシーの夫の タクミです。

妻ドロシーが亡くなるまでの記録を
少しずつ書いていきたいと思います。

当時の日付毎に書いていきたいと思っています。

妻が年末に入院した時から、
私が付けていた記録を基に記載していきます。

回数を重ねる毎に
徐々に内容は重くなってくるかと思いますので、
途中途中で、妻との思い出話等を挟みながら
お伝えしていこうと考えております。

このブログを呼んで下さっている方々の中には
現在闘病中で、今まさに頑張っていらっしゃる方も
沢山おられるかと思います。

ブログの内容が、その方々に取っては
読むのが辛い事もあるかとは思いますが
妻の『最後まで頑張った記録』ですので
ここに残しておきたいと思っております。

どうぞ宜しくお願い致します。




■ 2014/12/29(月) ■

早朝、私が出勤準備をしていると、
妻がベッドから身体を起こし、
『呼吸が変。苦しい。救急車を呼んで』と
筆談用ボードで訴えてきました。

私は大至急  救急車を呼びました。

我が家と消防署は目と鼻の先に在り、
119に電話をすると、5分も掛からず
我が家の前に到着してくれました。


発声が出来ず、電話も会話も出来ない状態の妻が、
私と一緒に居ない時に、FAXで救急連絡を取れるようにと、
『妻の現在の症状、過去の病歴と手術歴、
搬送病院の指示、 病院の診察券番号』等を
記載している用紙を、事前に作っておりました。

私達が住んでいる市のサービスで、
FAXでも救急車を呼べるように
前もって取り決めをしておいたのです。
 
その用紙のお陰で、救急隊員の方々の行動も素早く、
直ぐに がんセンターまで向かってくれました。


余談ですが、同乗した救急車の車内で
サイレンが大音量で鳴り響く中、
会社に欠勤の連絡をしたのは初めての経験でした。

妻に取っても私に取っても
何度目かの『救急搬送』、何度目かの『搬送に同乗』
という状況でしたが、何度乗っても救急車の揺れは凄く
2人共 車酔いしそうでした(汗)

 

病院での診断結果は、
妻ドロシーの記事 【2014-12-30 23:42:32『やっと更新できた・・・』】
にも記載のある通り、『肺炎と呼吸不全』でした。


この2日後は、2015/01/01 お正月ですので
妻に取っては、病院での初めての年越しとなりました。

そして、妻ドロシーが経験した、最後のお正月となりました。


これから先、『妻ドロシーにとって最後の・・・』・・・。
そんな日がドンドン増えていくことになります・・・。

つづく


15/05/20  ドロシーの夫 タクミ
 

納骨と母と嫁

ドロシーの夫の タクミです。


先日、妻ドロシーの納骨をして参りました。

妻は亡くなるまでの間に
エンディングノートを完成させることは出来ませんでしたが、
生前、『タクちゃんの実家のお墓に入りたい。お嫁さんだし!』
と言っていたので、
私の実家の 岩手県にある菩提寺のお墓に 納骨致しました。

本来でしたら、四十九日の15/04/30までに
納骨するべきなのでしょうが、菩提寺側の都合が合わず
15/5/10(日)の納骨となりました。

妻が亡くなった際は、
家族葬のような形でのお別れとなっておりましたので
今回は納骨に加え、
『宗派の流れに沿った正式な葬儀』、『初願忌(初七日)』
『大練忌(四十九日)』、『卒哭忌(百箇日)』
を同日に執り行いました。


『やっとここまで来たんだな・・・。』
という感覚と同時に
『納骨したくないな・・・』
という感傷も日々強くなり、納骨時の感傷はMAXに・・・。

たとえ御骨とはいえ、妻ドロシーである事に変わりはなく、
『今まで自宅で一緒に居てくれたのに・・・。』
と、ついつい考えてしまいますが、
妻ドロシーが、今はゆっくりしているのであれば何よりです!

今頃は空の上で、私達を見てくれているでしょうし、
沢山食べ、沢山話し、穏やかで楽しい日々を過ごしていると
心から信じています。

おーーい!!  ドロシーー!!
そっち行くから待っててネーーー!!!
『どちら様ですか?』とか言わないでねーー(笑)!
また一緒になろうねーーーー!!!
ブログの皆さんも、会いたがってる人が居るんだから
ちょくちょくブログ見なさいよーーー!!
あと、ちょくちょく降りて来て側にいてねーーー!!!



さて、15/5/10(日)は母の日でした。
母の日に、妻ドロシーは私の母と同じお墓に入りました。

私の母は、昨年14/03/24に亡くなりました。
リウマチを長く患っておりました。
家事の途中で身体に痺れが現れ、入院し、
手術は無事成功したかに見えました。

ところが、術後に脳内出血が診られ
今度は脳の手術をしなければならない状況でした。

しかも、脳の手術後は間違いなく後遺症が残ると言われ
その後の生活でもリハビリは欠かせないとの診断でした。

実際は、リハビリも脳の手術もすることなく
脳内出血が手の施し様も無いところまで
急激に進み、帰らぬ人となりました。

私はこの1年の間に
『人生で1番目に大切な人=妻』と
『人生で2番目に大切な人=母』の
2人を失う事となりました。


妻ドロシーと私の母は、とても仲良しでした!
お互いを、本当の母と娘のように思っていました。
お互い関東と岩手に住んで、一緒に暮らした事もないのに
感覚や波長が合ったのかもしれません。

私が仕事で帰省出来ない時も、
『良いよ。私が お義母さんに 会いに行くだけだから』
『タクちゃんは、お仕事頑張ってーー♥』
と、1人で私の実家に帰省する程でした。


私とドロシーの結婚が決まった時も、
私は母から、こんな言葉を貰いました。

『タクミ。もし今後、私(母)とドロちゃんが喧嘩する様なことがあった時、
 あんたは必ず!ドロちゃんの味方でいなさい!絶対に!』

『もし100%お母さんが正しくて、ドロちゃんが間違ってたとしても
 必ずドロちゃんの味方で居続けなさい!』

『嫁いだ家で、旦那が味方じゃないなんて辛いんだから』

『どっちの気持ちも分かる!なんて立場じゃなく、
 100%ドロちゃんの味方!それを約束しなさい!』
と・・・。

妻ドロシーにも、私から母の気持ちを伝えましたし、
涙を流して喜んでいましたが、
それがお互いの信頼感に繋がったのではないか
とも思います。


そんな仲良しの妻ドロシーと母です。
上記のような母の容態と、
リハビリの話が出た時の妻ドロシーは、
『私はこんな状態だけど、介護の仕事が役立つかもしれない』
『がんセンターへの通院は、新幹線で行けば良い』
『お義母さんのところに行く』
と言ってくれました。
ドロシーの母(私に取っては義母)にも
その思いを伝え、押し切った程です。

妻ドロシーは、その時既に 抗がん剤の治療を開始しています。
私としては、『俺だけが自宅と実家を行き来す積もりでいる』と
妻ドロシーには伝えましたが、
納得して貰うまでには 時間は掛かりました。

もしかすると、私の母は
『ドロちゃんが無理する前に、私はあっちで待ってるよ』と
そんな思いがあって、急逝したのかもしれないと
今は思ったりもします。

母は、亡くなる直前まで、
『ドロちゃん良くなると良いねえ・・・』と言っておりました。

そんな2人が、今、同じお墓で眠っています。
きっと、あちらでも仲良くしているのでしょう。

それを考えると、
『納骨しても、お袋も居るし、
 2人で俺の悪口で盛り上がってるんだろうな(笑)』。
そんな気分になります。


妻ドロシーも、母も、穏やかに安らかに楽しく過ごしていて欲しい
と、心から願っています。

15/05/13 ドロシーの夫 タクミ