一流サバイバーへの道 -5ページ目

添い寝



妻ドロシーが横になろうとすると
「待ってましたーーー!!」とばかりに
妻に駆け寄って一緒に寝ていた猫のK。

今は私の横で渋々寝ていますが、
今でも 妻と添い寝する日が戻ってくると
信じて待っているのかもしれません・・・。

妻ドロシーも猫のKも
こんな状態で、よくも眠れるものだな
と、今でも思います。

なんだか妬けます。



母の思い遣りと、娘への愛

ドロシーの夫のタクミです。


前回記載致しました内容、
01/09に、ドロシー、私、義母の三人が
主治医の先生から説明を受け、
病室に戻ってきてからの続きです。


⬛︎ 2015/01/09(金) ⬛︎

「・・・仕方ないよね・・・」
との一言と、一粒の涙を流したドロシー。


「苦しくなったら酸素マスクを着けるように」
との指示があったとは云え、
この時点では未だ、着けたり外したりを
妻自身で選択出来る状態ではありました。

しかし、妻の過去の記事にも在る通り、
新しいステージに立ったという事実は
否定しようがありませんでした。



『食べづらい』という訴えは
随分前から、妻から聞いていました。

そんな訴えがあった当初は、

「日によって体調も違うだろうし
 微妙な気候の変化でも
 身体には影響があるだろうから
 今は食べられる物を食べて
 あとはエンシュアで栄養摂ろうね」

という話をしておりましたが、
ドロシー本人としては
『・・・そろそろだなぁ・・・・』
という予想は、その時点で既にあったようです。

「ご飯は、自分でも分かってたんだ。
 もう食べられないかなって・・・。
 入院前から分かってたよ。
 仕方ないし、向き合うよ!
 あとは、タクちゃんの言う通り
 自分に出来る事、したい事を
 全部実行するんだ!!
 いつも迷惑かけてごめんね」

-----主治医から辛い予想を聞いた直後でも、
そう言って前を向こうと努力している妻でした。




実はこの日、妻ドロシーは
義母(妻ドロシーの母)の言葉で
大粒の涙をボロボロと流さざるを得ない、
そんな出来事がありました。


義母は、ほぼ毎日ドロシーの病室に
お見舞いに来てくれていました。
過去の入院でも同様です。
雨の日も、雪の日も、暑い日差しの日も
毎日のように病室に訪れておりました。

私は仕事でお見舞いに行けない日もあり、
義母や、双子の妹夫婦が
常に妻ドロシーの側に居てくれました。



妻の、中学一年当時の癌の発症と治療は、
私に取っては妻と出会う前の出来事であり、
妻本人から教えて貰った内容が
私の知る情報の全てではあります。

が、義母に取っては、苦しんでいる当時の妻を
目の前で見て、一緒に闘ってきた経験と記憶が
当然、今でも強く心に焼き付いております。


2010年の気管切開の原因が
中学当時の放射線の晩期障害だと言われた時、
『当時の治療方法の選択を間違ったのでは?』
と、義母は自分を責める事もあったようです。


そんな義母は、妻ドロシーの病気に対しては
些細な体調の変化であっても過敏に反応し、
必要以上に慌てる、という精神状態に
容易に陥る傾向にありました。

義母の状態も理解している主治医は、
私だけに病状説明をする時と、
義母も交えて病状説明をする時と
状況によって使い分けておりました。


今回は義母も交えての病状説明でしたが、
主治医の説明の途中から
頭が真っ白になっていた義母に取って
唯一思い出せる主治医の言葉は
『訪問看護が必要』
という一文のみであったようでした。


そんな義母が、妻ドロシーに伝えた言葉が
「ドロシーは、これから退院した後も
 一切何もせずに、ベッドで寝ていなさいね!」
というものでした。


勿論この言葉は、義母がドロシーを心配し
ドロシーの為に、全てを代わりに行うという
義母の決意表明であることに違いはありません。

しかし、数分前に主治医から
『出来ない事が少しずつ増えていく』
と宣告された妻に取っては、
『今、出来る事まで奪われる・・・』
といった強烈な意味を持って
妻ドロシーに襲いかかっておりました。


各人が、それぞれ相手の事を慮って
思い遣りから発言した内容であっても
相手を傷付けてしまうことは
どんな場合でも起こり得ます。


ボロボロと涙を流すドロシーに、義母は
「泣く必要なんて無いよ。
 母親と娘なんだから、当然なんだから。
 私に頼りなさい。大丈夫大丈夫」
と優しく語り掛け、
この日は病院を後にしました。



これまでの長い間、妻ドロシーと
何度もやり取りをした会話の中で
妻の思いや、その涙の理由を
自分なりに少しは理解していた私は、
この夜、妻と一緒に一通のメールを作成し
義母へと送信しました。

「お母さんの気持ちはとっても嬉しい。
 これから先、出来ない事が増えて
 お母さんの助けが絶対に必要になってくる。
 その時は、何の遠慮もせずに
 お母さんに甘えるし頼る。でも今は、
 私から『出来る事』を奪わないで欲しい」



こんな内容の書かれたメールを
受け取った義母が、
どんな思いでこの文章を読み、
何を感じ、何を決心し、何を諦めたのか
私には解りません。

所詮、私如きに理解できる事など
一つもありません。
自分自身の感情すらも
整合性を持って的確に理解・把握出来ているのか?
と問われれば、甚だ怪しいものです・・・。


ですが、妻ドロシーが
義母の思いに心から感謝していたのと同様に、
妻ドロシーの思いも、しっかりと
義母の心に届いていたと思っています。



先日、義母から一枚の紙を見せて貰いました。

いつ壊れてもおかしくないような
古い携帯を頑なに持ち続けていた義母は、
妻の思いが詰まったメールの一言一言を
決して忘れないように、
決して失くしてしまわないように、
一字一句、紙に書き写して
今でも大切に保管していました・・・。



つづく

ドロシーの夫 タクミ

生と死の直視と、闘いの記録-5

■ 2015/01/09(金) ■

妻ドロシーの記事 【2015-01-10 06:25:12 『新ステージへ』】
でも記載済みですので、繰り返しになる部分が多々ありますが、
この日、2015/01/09(金)に、主治医の先生より
『旦那さんに話しておかなければならない事がある』との
呼び出しを受け、妻ドロシー、私、義母の三人が同席するなか
妻の現状と、今後についての説明を受けてきました。


年末の入院時に受けた診断では、『肺炎と呼吸不全』という
私達に取っては危機感の薄い診断名であった事と、
01/05(月)に『誤嚥性肺炎』になったとは云え、
食事が出来る程に徐々に回復している状況であった為、
『大変ではあるけれども、いつもとそれ程変わらない』と云う
感覚の麻痺した甘い考えを持っていた私達に取って
この日の呼び出しは、不安感を呼び起こすには十分な威力を持って
妻ドロシーや私、特に義母には届いておりました。


病棟内の説明室で受けた内容としては、
CT、レントゲン、採血の結果を診ると
以前よりもまた一歩、妻の置かれている状況は
悪い段階に進んでしまっているとのことでした。


既に見慣れた感のあるレントゲン図には、
相変わらず左肺には気胸があり、
常人の半分程度の大きさしかなく、且つ
左右の肺全体に白い影が多く写っておりました。

その影に関して主治医の先生は
『肺に転移している』とは決して表現はせず、
『血管肉腫が、肺に悪さをしている』
という表現に留めておりましたが、
それ以前のレントゲン図と比べると
確かに白い影が広範囲に広がっている様が
私達にも理解出来る状態でした。


妻の過去の記事、
【2012-04-27 18:11:00 『わからない』】
にも記載のある通り、妻に死をもたらすであろう
最大の懸案事項・脅威とは、
右頸動脈が破れて大量出血をし
失血死するという事でした。

頸動脈が破れた場合は、
仮に妻が入院中で、主治医が目の前に居たとしても
助ける事は出来ないと、以前から伝えられておりました。


主治医の先生曰く、
『血管が破れた場合、旦那さんが都内の職場から
 最短で駆けつけたとしても、間に合わないだろう』

『心臓マッサージで、心肺停止まで
 時間を少しだけ延ばせたとしても、
 その所為で、肋骨も折れるし、その分出血もする。
 旦那さんの到着を待つ為に出来ることは
 それくらいです。その際は、どうしますか?』
と、以前問われたことがありました。

私の回答としては
『私が妻の死に目に会うことよりも、妻自身に
 少しでも恐怖感や痛みを感じさせないようにして欲しい』
というものでした。


01/09の時点では
幸か不幸か、抗がん剤を止めた結果として、
頸動脈の周りをがん細胞が覆っている状態で
血管が剥き出しにはなっておらず、
血管破裂による失血死の可能性は少ないだろう
との見解でした。

ただし、上記のように抗がん剤を止めた結果、
がん細胞は確実に咽頭部全体に増えており、
血液を溜め込んだ がん細胞自体からの
出血はある為、その出血が口の中にゼリー状で溜り
それを吐き出す際に周辺の毛細血管からも
出血が誘発されるので、
命に関わらなくとも、注意は必要だし
結果的に貧血や体力の低下にも繋がる
との説明を受けました。


今回、新たに悪化した点として告げられたのが
血管肉腫と放射線の晩期障害が原因で
喉頭・咽頭部の細胞が溶けていて
形がグチャグチャに変形している
という事でした。

つまり、本来であれば気管と食道とを分つ部分が
ほぼ一つの形状になっており、
水を飲んでも食事をしても
それが肺に流れこみ
誤嚥性肺炎を引き起こす可能性が
非常に高いと云うことです。

01/05(月)の夕飯を食べた後、
01/06(火)に肺炎になったのは
そうした理由からのようです。


誤嚥性肺炎が、今回偶々運悪く
起こった事なのか、
それとも、今後も続いていくものなのか
確認が必要だと思った私が質問したところ

主治医の先生の反応としては
『口からの飲食は止めた方が良いです。
 100%誤嚥性肺炎になるとは限らないが
 かなり高い確率で肺炎になるでしょう。
 その度に体力は消耗するし、
 なにより現在最も危惧している肺機能に
 かなりの悪影響を及ぼす。
 検査の結果でも、エンシュアのお陰で
 栄養分は十分足りているし、
 肺に負担をかけずに、胃ろうのみにすることで
 むしろ体力は回復するかもしれないので。』
との事でした。

『肺機能の低下が進行する事で
 今まで出来ていた事が
 少しずつ出来なくなっていくでしょう。
 通院して貰う機会も増えてくるでしょうし
 通院自体が難しくなるかもしれない。
 このまま、ずっと入院し続けるという
 選択肢もありますが
 今は、その選択肢を選ぶ段階ではないし、
 ドロシーさんや旦那さんが再三言ってきたように
 ドロシーさんのQOLを最優先に考えたい。
 自宅で可能な限り、心のゆとりを持って
 好きな事をして欲しい。
 ただし、状態を常に把握しておく為にも
 訪問看護を受けて欲しい』

『今の状態から症状が改善するすることは
 残念ながら無いと思います。
 一歩一歩階段を下りるように
 状況は悪化していくでしょう。
 しかし、階段を下りるスピードを
 少しでも遅らせたい。
 階段を下りているのは間違いないとしても
 階段の踊り場を大きくして
 降りるのではなく、
 その踊り場に少しでも長く留まって欲しい。
 そう思っています。』


『ドロシーさんの病気は自分がなんとかしたい・・・!』
いつも、看護士さんや栄養管理士さんに対し
そう公言していた主治医の先生です。

私は勿論、妻ドロシーも主治医を心から信頼しています。
まさに、『妻の意思、妻の思いだけ』を
最大限考慮してくれた治療方針だったと、
今でも感謝しています。



説明が始まって直ぐに
内容が把握出来なくなっていた義母とは対照的に
ある種、達観したような顔をしていた妻ですが、
病室に戻って直ぐに
『・・・仕方ないよね・・・』
と、筆談ボードに記載し
たった一粒だけですが涙を流していました。


つづく

ドロシーの夫 タクミ