姿はどうあがいても女の子である私は
過去数回、変な男に狙われたことがある。

いくら武道を嗜んで、腕におぼえがあったとしても、突発的な襲撃に対しては手の打ちようがない。

最近までその経験が幾分か心の傷として残っているので、私はいつも襲われる身として行動している。夜道は後ろを確かめるし、できるだけ1人で歩かないようにする。

ねえ
毛の濃い、無精ひげが生え、腹が出てるおじ様はそんな恐ろしい気持ちになったことはある?
夜道で局所を出す変態に出会うのではないか、とおびえたりしたことはほぼ無いでしょ?

25mのプールでずっと泳いでいると、やたら、後ろをぴったりついてくるおじさんがいる。気分があまり良くない。蛙足の後ろ姿を見られ続けるというのは、きわめて不健康なのだ。
さすがに、何週も執拗に追われた後は、一度コーナーで止まり彼を先に行かせる。
仕方なく彼が泳ぎ始めると、私はその後ろをできるだけ近くをキープする。泳ぎ方はできるだけ尋常じゃないほうがいい。犬掻きでもしよう。
3歳から泳ぎを習っていた私は、おじさんより泳げる。不信感を感じさせながら、どこまでもきっちり彼の肢体を追う。コーナーでクルリと回ったとき、すぐ手前で犬掻きをし、突進する私を見る。
おじさまは声にならない悲鳴を上げる。
彼の皮膚に触れる寸前、クイックターンをする。
派手に水しぶきがあがる。


目には目を。
捕食者も喰われる恐怖を、どうぞ。
前おきが長かったけれど、これが卒業制作のコンセプトです、笑。
卒業制作の映像を見終わった後
教授は数秒の沈黙のあとでこう言った。

「君は、これから、コンセプトや表現したいものを、映像やグラフィック、脚本家などのそれぞれのスペシャリストに仕事を指示するポジションが合ってるんだろうね」

今、そんなことを言うのには、教授は
私の制作物に見切りをつけたからですか!?と激しく動揺したのだけれど
まぁ自分で見返してみても、こだわらない私の「荒削り感」がなんとも言えない気がした。
なので「確かにそうかもしれないですね」と返す他なかった。

講評の後
教授の台詞が、悶々と私に付きまとうようになった。
「本当に私は表現したいものがないのだろうか」

大学に入るまで、ひとりよがりだけれど、多くの小説や漫画、音楽などを作ってきたのを思い出した。この4年間、身を潜めていた自分の「世界観」をおぼろげに抽出してみると
「諦観」に根ざすものが多い気がした。

ジャンルは問わないけれど、様々な受容すること自体の美しさに惹かれるのだ。
(あまり宗教的ではないけれど、日本での生活上、少しは体に染み付いた感覚だと思う。)

「もしね、(人間の)世界が滅びる映像を作るときは、静かで優しいワルツを流したいのよ」
と言ったのを思い出した。(まぁ、人間の存在することなんて、あんまり大したことじゃないと思うから、そんなものでいいんじゃないと思うの)

大学では、そのような世界観よりも、表現の幅を知ることができた。表現はだだ漏れになるべきではないのだ。恐らくこの4年間は知識や多くの感情を蓄える期間だったのだろう。
だから、卒業後、自分の世界観を伝える仕事をしてみたいと思う。


それまで、じっくり構想を温めつつ、自分の能力を見極め
いずれ、すばらしい才能の人とタッグを組んで、それなりの年齢で発表したいものだ。
目覚ましが鳴り、ゆっくり目を開くと
薄緑のカーテンが光を浴びて、私を穏やかに照らしていた。
視界のおよそ80%を覆うカーテンには、木の模様が点在し
それらはカーテンのたゆみに沿って、静かに動いていた。
カーテンの生地に並ぶ模様達は
その位置から1mmのズレもなく規則正しく配置され
ただ、風の方向に対して、決まった軌跡を描いていた。
その模様は昔、無機質な工場で
大きなトイレットぺーパーのようなものの形状から、ベルトコンベアで運ばれ
変わらないリズムでスタンプを打つように付けられていったものだろう。
そのように大量生産されたあらゆるものを大人しく享受することにより
人間はある一定のグリッドの中に押し込められてしまっているのではないか。
画一化された現象というのが
不完全さを自覚する人間の1番恐れるものであり、
その恐怖というのは、利便性の世の中にヒタヒタと迫っているように感じる。