埃臭いタクシーの中で、黄色の空を見上げた。
彼らは直線に伸びた広い道路を走っている。
「これから、あなたとこの空はどうなるの」

彼女はまばたきせずひたすら
窓の外の無数にそびえ立つクレーンを追いかけていた。

「だんだんと見えなくなってる」
「ねぇ」
彼女は隣にいる彼に向き直った。

「空ってどこでも繋がっているのよ。あなたが思っているより、もっと近くに私はいるんだから」

「そうかもしれない。だけど今、君も、僕も、この道路の先もかすんで見えなくなってる。そうして君は居なくなってしまう」

「私が住むところにもよく黄砂がやってくるわ、これからあなたの感傷も一緒に届くのね」

「黄砂が届くのにも時間の隔たりがある。日本までは遠い。」

「私が居なくなった後も、あなたはわずかな望みを持ってここで暮らし続けるのね。」

「何が変わろうともおそらく、この北京にずっと居続けるよ」

タクシーが止まった。

「さようなら」

彼女は手動のドアを閉め、大きなサンドバッグを背負い、
人でごった返す空港へ向かった。
二代目社長が私に言い聞かせるのは

【男は、生活力と体力のあるやつを選べ
というものだった。】

前後の話の文脈から推測するに
おそらく、彼の言う「生活力」は経済的なものを多く含んでいると思う。

体力はともかく、男が生活力とは、今まで考えもしなかった。
しかしその視点で世間の恋愛や結婚話を見てみると
どうやら、男性の生活力はルックスより大きな力を持っているように感じる。

そういえば知り合った(美大生ではない)男の子とメールをしていると
やたら、自分がいかに仕事ができるか、その会社がいかに凄いかを文面に出す。
(なんで、そんな会社の自慢をするのかなぁ、とぼんやり考えていたんだけど
ようやく生活力アピールしていたんだ、と気づいた。)

今までの周囲の男の子を考えるとそういった生活力を見せる人ってそんなにいなくて
むしろ生活力とクリエイティブというのはあまり近い位置に存在しないし
生活力をアピールするデザイナーがいたら、なんだかうそ臭い。

貧乏でいいんだ、俺は俺の表現をつらぬく!
という方向性がやっぱりかっこいいのであって、
そういう彼が金を稼いだとしても、そこをあまり前に押し出さないほうが好感が持てる。

生活力アピールする男の子が近くにいなかったのは、
私の興味がそこになかったのもあるけれど、彼らも私に興味がないからだろう。

私はそんなのより、知性と感性を等価交換したいのよ。)
コンプレックスというのは
周囲の人が感じるものと、自分自身で認識しているものが同じでない場合がある。

私のコンプレックスは
フットワークが悪い(頭でっかちでなかなか動かない)こと。

でも、周りの人からは、良く簡単に海外に一人で行くよね、だとか
思いついたらほんとすぐ行動するね、と言われる。
それは
「腰が重い自分」というコンプレックスをなんとか脱却しようと
なかば強迫観念にとらわれ、動いているからだ。

誰某に会う、という予定は、今日に近い日にどんどん入れて、スケジュールをぎっしりさせる。
前倒し気味に予定を立て、実行することによって、最大限に動いた充実感を味わう。

日々追い立てるのは、具体的な物事(課題とか)ではなく
自分の中にあるコンプレックスなだけに、この性質は治りにくいのかもしれない。

自分を知るために、最近よく両親を観察しているが
母の日常も暇がなさそうである。仕事の他に時間ができるとすぐに図書館行ったり、公園を走ったりしてみっちり過ごしている。
父も休日になると立派なデジタル一眼を抱えて山へ行く。
両者とも共通していることは、家で過ごす時間が少ないことと、行動の大半が一人であることだ。
それらを見事に受け継いでしまった。


引きこもりできる人が羨ましい。