犬や猫の毛皮を売ると言う記事を見て、生活水準の低いことと教育の低さを感じました。この記事は中国からのものですが、カナダでもかっては原住民の人達が生活のために動物の毛皮を大量に作って、白人との取引をしていました。必要以上に動物を殺すことは、許されないことですし、同じ生命をもったものを大切にするという意識が大切です。

子供ころに初めてあいうえおを習った時に、おかしいと思っていたのは、さ行やた行の発音が変なのと、や行とわ行が同じ音になることだった。たとえば、さしすせそ(sa,si,su,se,so)と発音すると、しの音は、本来はsiでshiではないはずだし、たちつてと(ta,ti,tu,te,to)の発音は(ta,chi,tsu,te,to)ではないと思う。

やいゆえよは(ya,yi,yu,ye,yo)で、わいうえをは(wa,wi,wu,we,wo)と発音すると、yiやye、wi、weのおとは、いやえとは違う音になる。母音と子音がはっきりと分かれていないのも、日本語の発音の特徴だ。英語や、他の言語を正確に発音しようとしたときに、うまく発音できない原因は、こんなところにもあると思う。

カナダのケベック州は、かってフランスの領土であったため、現在でもフランス語が使われています。ところが、カナダの人から聞いた話では、本国のフランスでは、ケベック州で使われているフランス語はひどい方言で聞くにたえないと嫌っているとのことです。英国が、米語のことを嫌うのと同じような感覚かも知れませんが、フランス語を知らない者にとっては、どのフランス語も同じかと思っていたら、そうではないということが分かりました。

11日の土曜日は、カナダやオーストラリア、ニュージーランドの戦没者記念日です。太平洋戦争での戦死者も含まれているので、募金のための赤いけしの花を売っているのですが、複雑な気持ちです。もちろん、最近のイラクでの戦死者もいます。それにしても、戦争をしていないと国を保つことができない国は哀れです。北朝鮮もそうですが、アメリカも同様だと思います。

今月末の31日はハロウィン祭ですが、このお祭りもクリスマスと同じように、本来の意味が失われつつあるようです。かぼちゃをくり抜いて、中にろうそくを点けて、ランタンのようにするのは、本来はやってはいけないことだとも聞きました。そうした過去の行事とは離れて、現在のカナダのハロウィンは、子供達にとってたくさんのお菓子を手に入れることができる、たのしいお祭りです。31日の夕方になって、子供達はお化けや魔法使いのコスチュームを着けて近所の家々をたずねて、「Trick or Treat(いたずらされたいか,それともお菓子をくれるか)?」と言ってお菓子をもらって回ります。子供の多い地域では、一晩に100人以上の子供がやってくるので、お菓子の準備が大変です。お菓子のメーカーは、バレンタインやクリスマスと同様に、稼ぎ時ですから、スーパーなどにお菓子が山積みになっています。

自然に対する考え方の違いは、日本人とカナダ人ではとても大きいと感じています。日本人は、大昔から自然の中に神がいるという考え方をしていました。山の神とか海神とか、森や水などにも神が宿ると信じていました。これは、農耕民族と狩猟民族の違いでは無いように思います。仏教が伝来しても、こうした自然神の考えは長い間伝えられてきました。ですから、自然を大切にしたり、きれいに保とうとすることは強制されてやるのではなく、敬うという気持ちが根底にあってやってきたわけです。一方、カナダ人はもともとヨーロッパからやってきた民族ですから、自然は恐ろしいもので克服すべきものという考え方でした。それで、今でも自然を破壊して自分達の暮らしを守るという考え方があるように感じます。森の木を倒して、家を作り、鹿などの野生動物を捕らえて利用するということです。最近になって、自然を保護しなければならないと気づいたわけですが、法律などで強制されてやらされるのは、なかなか人は従いません。心の根底にある考え方が、大きく違っているように思います。

目の具合が良くなくて、しばらく書き込みを休んでいました。年齢と共に、水晶体が硬くなってきて、ときどき網膜からはがれることがあります。網膜はく離とまではいかないのですが、目の中にぎざぎざの明るい光がしばらく走ります。30分ほどで収まるのですが、車を運転していたりすると、視野がさえぎられるので危険です。目の中に虫が飛んでいるような、飛蚊症はだれでもよくありますが、そのひどくなった状態です。

それで、ブログのスキンを緑系のものにしたのですが、背景をグリーンにしたいところです。

車を運転して信号待ちをしていたら、猟銃を装備したラフロードカーを積んだトラックが隣に止まった。よく荷台を見ると、何と大きな鹿が手足をくくられて乗せられていた。もちろん、殺されたものだが大きな動物の死体を見るとショックが大きい。今朝までは、元気に森を飛び回っていただろうにと思うと、すぐに人間に置き換えてしまう。交通事故でも地震やハリケーンでも、その朝まで元気に生きていた人を襲いその命を奪ってしまう。必要以外に生き物を殺すことに、強い憤りを感じる。やがて自分にその反動が帰ってくるだろうに。
かなだ人にとっての家とは、人を入れるための器に過ぎないという考えのように感じられる。新築の家でも、3年もしないうちに引っ越してしまう。眺めのいい、きれいな庭ときれいに作られた部屋であっても、それは売る時の条件として、有利になるというだけのことのようだ。今住んでいる新興の宅街も、ようやく4年経つくらいの家がどんどん売りに出されている。ホームという言葉は、家族の一緒に暮らしている家庭を表すが、ハウスと言うのは家そのもので、人が住んでいなくてもそう呼んでいる。日本人からすると、どうしてと思うが、そこが考え方の違いなのだろう。
かなだは広い国土で、今は鉄道がほとんど廃止されているので、交通手段は車かバスになる。都会を離れると、乗用トラックというか荷物を運んだり、キャンピングカーを引っ張ったりできるトラックが多い。もちろん乗用車やバン、CRVなども多い。そして、日本車は低燃費なので人気があるが、トラックではシボレー、フォードの4X4(4輪駆動)が大半を占めている。車体が通常のトラックより一回り大きいのと、馬力が違う。上り坂にさしかかると、その違いは歴然で、普通車が速度を保つのがやっとでも、平気で加速を続けていく。郊外の一般道路は、90km/hか100km/hの速度制限だが、スピードの取締りが少ないので、120kmくらいでどんどん追い抜いていく。カナダ人は、スピードを出すのが好きだと思う。そして、車は下駄代わりに使うという感覚なのだろうか、車体の手入れをほとんどしない。だからどの車も、ウインドウは泥だらけで、車体も汚れたまま平気で走っている。冬の間は、雪ど泥で汚れるのは分かるが、気候のいい季節でも手入れはしない。日本では、どの車もぴかぴかに光っているのが不思議な感じがする。