国によって、時代によって、海外へ移住する人たちの理由はさまざまだが、現在のカナダへの移住者は国によって大きく理由が違う。200年ほど前に、中国人がカナダに鉄道建設の労働者としてカナダへ移住してきた。自国に比べて、高い賃金をもらえるため、働いて家族に送金するのが目的だったのだろう。また、自国の厳しい管理体制から逃げてきた人も多いと思う。日本人の移住者は、やはり自国の貧しい生活を逃れて高い賃金のもらえるカナダへ移り住んで来たのと、海外で儲けて故郷に錦を飾ろうとする人が多かったようだ。現在はどうかというと、日本は経済発展したおかげで、暮らしは楽になってきた。そして、企業に定年まで働いて、年金生活ができるが、今の日本の物価では生活は楽ではない。消費税が上がり、銀行などの利息がほとんど無いので、かっては退職金の利息で生活できたのが、今は難しくなってきている。それで、物価の安い暮らしやすい外国へ移住しようというわけだ。一方、戦争に追われた難民の人が、故郷を捨てて止む無く海外へ移住するのは、過去から現在まで続いている。理由はそれぞれの国によって大きく違うが、こうした移民を受け入れる国と、ほとんど受け入れない国がある。経済的な理由からもあれば、日本のように犯罪が多くなるとか、職場を奪われるとかいろいろあって、これも難しい問題だ。島国だから、鎖国時代のように海外からの移住者を防げるのは、そう長くは続かないように思う。

世に天才と呼ばれる人は、いつの時代にも出現するが、遺伝子の突然変異で平均以上に知能が発達している人たちだろう。逆に、平均に満たない知能で生まれてくる人もいるが、先祖帰りということで、自分たちの祖先の遺伝子を持って生まれてくる人だ。平均並みの人間には分からないようなことが理解できるから、人の性質がよく分かるのだと思う。モーツアルトのような、音楽の天才は、人がどんな音に反応するのかとか、どういうリズムに気持ちを動かされるかということが自然と分かっていたのだろう。並みの人間がどう考えても分からないようなことが、簡単に理解できるわけだ。

大きなことをする時には、私情や計算をせずに無私の心で行動することが大切と言われています。考えてみると、確かにその通りです。人は、どうしても自分の感情や、金銭の損得で考えてしまいがちですが、そんなことは二の次、三の次で、今本当はどうすべきかを真剣に考えて行動することなのでしょう。
2年前に初めてカナダに来た時と比べて、現在の住宅と土地の値段が日本のバブルの時のような勢いで上昇しています。理由はいくつか考えられるのですが、住宅の建設が盛んなのはバンクーバー辺りから、ここケロウナのほうへの移住者が増えていることです。バンクーバーは、もう安心して暮らせるような町ではなくなってきていて、特に子供を持つ親は地方都市の治安のいい静かな環境で子供を育てたいと望んでいるようです。住宅建設のラッシュが始まっていて、更に5年後のバンクーバーでのオリンピックの施設建設などで建築関係者が人手不足となり、一般の住宅建設のコストも上がってきています。不思議に思っていることは、土地の値段が年間で15%以上に値上りしていることです。もちろん需要が増えれば、供給が追いつかなくなり価格も上がるのは分かるのですが、この広いカナダで、たいした眺めでもない土地の価格がどんどん上がり、それを抑える仕組みが無いように感じています。2年前であれば、買えそうな値段だったところが今ではもう手が出ません。広い庭に、プールを作って大きな家に暮らすというのが、もう昔の話になってきつつあります。
本格的な夏になってきました。快晴の日が多くなり、昼間の気温が30℃を越えて、暑くなっています。ところが、ひとつだけ気になるのは、とても静かだということです。日本の夏といえば、セミの声が1日中聞こえていて、昼間のアブラゼミやクマゼミの大きな声から、やがて時間と共にツクツクボウシやヒグラシが鳴き始めます。そして、秋の訪れと共に、虫の音が聞こえてきます。ところが、今住んでいる所は、セミの声が全く聞こえません。近くに松林や、森があるのに・・・そして、秋になっても静かなままです。こちらで見かける昆虫といえば、ハエや蚊はもちろんいますし、蜂もバッタもいます。蟻やクモもいますが、声を出す虫がいません。カエルもいますが、鳴き声を聞いたことがありません。こうした自然環境が人々に与える影響があるように思います。それは、音楽というものが発達しないように思えますし、聴覚が違ってくるように思います。日本でカラオケが盛んなのも、こうした自然環境があるからのように思えます。

宗教というのは、人間の心にくっつくカビやウイルスのようなものだと思う。それは、伝染性があるし免疫がないとごく簡単にかかってしまう。そして、年齢が高くなってから初めて感染すると、症状が特にひどくなる。


どんな症状かというと、自分の考え方が絶対に正しいと思い込むようになり、そして自分は特別に選ばれた人間でとても優れていると思うようになったり、自分の属するグループとそうでない他のグループを一つの基準だけで分けるようになり、自分の属していないグループの人の言うことを一切受付けなくなる。

一種の暗示にかかった状態のようでもあり、精神病になったようでもある。

このウイルスに対して、幼い頃に軽くかかると免疫ができる。そうすると、ウイルスがやってきても、簡単には発病しなくなる。


コンピュータのウイルスと似ていて、人に作用するように人が作ったものだから、目的を持っている。大勢の人を引き付けたいと思う指導者などにとっては、非常に優れた道具になる。兵器や武器とは違って目には見えないし、実際に使っても被害が目に見えないからなかなか発見されにくい。


ワクチンや特効薬があるかというと、「毒をもって毒を制する」という例えのように種類の違うもっと強い宗教を使う方法や、精神病の治療薬のようなものを使ったり、宇宙旅行のような全く違った環境に行って治すという方法があると思う。


宗教のなかでも、その教義に他の宗教を認めないという言葉が含まれているものは、特に始末が悪い。治すために、他の宗教を使っても受付けないからだ。


宗教は人に作用するように人が作ったものだから、いい点もある。「苦しい時の神頼み」のように、苦しい時にすがりつくことで母親と一緒にいた頃のような安心感が得られるからだ。そして、古代エジプトのピラミッド建設や日本の東大寺の大仏殿の建立のように、大勢の人をお金を払わずに働かせたりする時に、とても便利だと思う。


人は皆一人一人別々の考えを持っていて、それぞれ違った経験をしながら自分の人生を生きていて、他人はまた違う経験をして異なった考えを持っている。同じ環境に一緒に暮らすには、お互いに知恵を出し合って助け合うことが大切のように思う。


そして、自分の中にすべての世界があるのではなくて、広大な宇宙の中でほんの一瞬だけ地球上で生命を与えられて、今こうして考えているということを忘れないことが大切に思う。

ここケロウナの町は、オカナガン湖という大きな湖が町の中心にあります。そのために、高台の家からは湖を見渡せる景色が楽しめます。不動産売買のときに、家の窓からどれくらい湖が見えるのかが、価格にも大きく影響してきます。たとえば、窓から90度くらい湖が見えるのか、120度くらい見えるのかによって、違ってくるわけです。ところが、新築で建てた当時は湖が見渡せたのに、すぐ目の前に家が建って景色が見えなくなったという事例が、我が家の近所でも起きています。住んでいる人にとっては、毎日見慣れた景色ですから、湖が見えなくてもあまり気になりませんが、家が建つことでうるさくなったり、人目が気になるように変わります。日照権と違って、裁判で争っても勝ち目はないようです。
今年はなぜか雨の日が多いです。それで、先日は我が家のといを点検して、詰まっていたごみを取り除いたのですが、その時に気づいたことがあります。以前から、雨の降った後にもといからしばらく水か流れている音がしていました。これは、排水口にごみが詰まっていて、流れにくい雨水が時間とともに少しずつ流れていたわけです。ということは、雨が降った後もしばらく水が流れているようであれば、といが詰まっているということを表しているわけです。わざわざハシゴに登って、といを見なくても他の現象から推定できるわけです。このことは、人間の体のことにも当てはまります。ここをチェックすれば、症状がわかるということはよくあります。それは、達人の知恵でもあります。その道に精通している人は、ここをチェックすれば、すべてが分かるのと通じているように思います。

日本で言うマンションは、こちらではコンドミニアムと呼ばれています。4階建てまでは、木造です。部屋の間取りや広さは、ずっと広いのが一般的ですが、最近は価格が上がってきたのに伴って狭い部屋も増えてきています。鉄筋の構造と違って、木造の場合には、階下への音の問題があるようです。地震がほとんど無い土地といっても、木造は防災の面からも怖いです。いい点は、コンクリート作りと違って、窓を大きく取れるのと、壁が薄いのでその分部屋が広く作れることです。木造だからと言って、耐久性が低いわけではありません。日本の古代建築を見れば分かるように、鉄は1000年持たせるのは大変ですが、質のいい木は1000年以上持ちます。こちらの住宅で、もう一つとても気に入っているのは、どんなに小さな間取りの家でも、最低限ツーベッド、ツーバスはあることです。つまり、寝室が二つ以上で、浴室とトイレが二つという意味です。こちらに住んでみて、改めて日本の家にトイレや浴室が一つしか無いのが不思議に思えてきます。当たり前と言えば、そうですが、人が2人以上同じ家にいれば、トイレは1つでは足りないし、誰かが訪ねて来た時に気楽に泊まれないわけです。

最近になって、ようやく分かってきたことがあります。年齢を重ねて、少しは自分自身のことが分かってきたからかもしれません。それは、人の命というのが、他のハエや蚊と同じようにとても小さいということです。
例えば、ハエが飛んできてうるさいので、叩き落したとする。すると、周囲の状況は何か変わるだろうか?ほとんど何の変化も無いでしょう。人も同じで、今自分がいなくなったとしても、周囲はたいして変わらず、また日が昇って新しい一日が始まるのだろう。若い頃は、人生について悩んだり、世の中に対しての自分の存在がとても大きいように思っていました。でも、地球上に人間として生まれて、自分の人生を歩みつづけてくると、とても大切な時間を過ごせたと思います。そして、これからも地球がある限りは、今までと同じように毎日が過ぎていき、新しい生命が誕生して、その生命を守りながら生活することでしょう。
何も恐れることは無いと思います。昔の人は、地獄へ落ちるとか、天国へ行くと言っていましたが、そうしたことを考え出すことができる人類という生物は、恵まれているように思います。小さな昆虫などと、基本的には変わらないと考えれば、いなくなれば何も残らない。ただ、他の人の記憶の中に、そして写真などの映像として影だけは残ることができます。限られた命だからこそ、時間が大切なのだと思います。