ゴミのような高校生活を振り返る | 23ルーメンの時計塔

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CrackTower、Lumen XXIII本舗であるぎらふみの公式(?)ブログです。イベントとかでもない限り殆ど更新しませんが宜しくお願いします。
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こんばんは。ぎらふみです。ご無沙汰しておりました。

 

タイトルの通り、3年間に及ぶ高校生活がついに終わったので、なんとなくまとめてみようと思った次第です。

3年分な上にかなり特殊な出来事ばかりで、それぞれの出来事を高校生活というひと繋がりで話したいので段落っぽい段落もない長文になりますが、興味がある方はある程度時間がある時にゆっくり読んでみるといいでしょう。面白い保証はしません。

 

 

とりあえず私の高校についてですが、いわゆる自称進学校または進学校だったはずのものです。幼稚園から大学まで全てが同じ名の下に揃っているので、頑張れば20年間ほどをこの監獄でお過ごしになれます。私は嫌です。

小学校からここで学校生活を送った身として思うのは、小学校時代の方が進学校してたな〜ってことと、(学校生活の観点だけだと)高校の3年間が一番ロクな思い出できなかったな〜ってことです。

青春の象徴文化祭は睡眠ゼロ時間のブラック奴隷ボランティアでした。イェイ。

華の女子高生活とは?

アッ、でも部活動だけは恵まれました。漫画研究部と化学部の部長を同時にやって死にかけた時期なんかもありましたが、どちらの後輩もよく慕ってくれてぼくはしあわしぇです

 

そんなことはどうでもいいんですよ!

 

私がしたいのは学校生活以外のぎらふみの話です。

学校生活の話をしてもよくある(?)ハブられ陰キャのエピソードにしかならないのでここでおしまい!

 

まず高校入学当時に私が心血注いでいたものは共同創作です。

知る人ぞ知るCrackTower(多分公式アカウントが近々復活します)っていう創作グループの総本山が私なのですが、高校1年生から2年生の初夏くらいまでは学業その他を放り出してこれしかやってませんでした。だからTwitterもCrackTowerのあと2人とのやりとりに使うのがほとんどで、ツイートも数日に一回するかしないかでした。

丁度1年生の誕生日(四月)に液タブデビューしたこともあり怒涛の如き勢いで絵を描き続けていました。

ここで当時(2017年)の絵を見てみましょう。

ひーん!御察しの通りマシな方です。まあ3年前だからしゃあなし……というかそれ以前にクロスオーバーものが多くて載せられる絵が既にかなり限られているんです。許せサスケ。

こんな感じで好きな曲に合うキャラをそれっぽく描いたりもしてました。

 

ちなみにあまり関係ないですが、この頃学校方面で諸々あり闇堕ちしました。これにより漫画研究部と化学部以外の同期を1人も信じられなくなります。高校生活終了の瞬間でした。

 

そんな中、高校1年生の夏にかなり大きな人生ターニングポイントがありました。

コミティア初出展です。

イベントの多くは義務教育終了後ならサークル参加可能なので、最速クラスです。ちなみにそれ以前の私はコミティアの名前すらよく知りませんでした。

CrackTowerの名義で3人半机に詰め込まれての出展でした(分かる人なら分かると思いますが、イベントの1スペースに3人は普通にキツいです。結果的に次回は合同で2スペース取ることになりました)。私は本は出さなかったのですが、サークル手伝いとオマケでレジンを頒布しました。

これが楽しいのなんの。具体的なことは話すとキリがないんですが、もうイベントそのものが面白い。ここで自分の作品を出してみたいという決意が生まれたことは言うまでもありません。

 

 

少し飛んで高校1年生も終わるという2018年2月、ここにもかなり大きな人生ターニングポイントがありました。

端的に言うと、ある作曲家さんとの出会いです。先にも述べた創作のためにYouTubeで音ゲー曲を漁ってたら偶然その人の曲にどハマりしただけなのですが、こんな素晴らしい曲を書く人なんだ、さぞ5桁くらいフォロワーを抱えているのだろうとその人のプロフィールを調べたら想像したほどの有名人ではなく(動機がクソ失礼なのは承知です。実は本人にも既に話してたりする)、「民衆の耳がおかしいんじゃねえのか?」「こうなりゃ私が宣伝大使になるしかねぇ」という流れでその人の追っかけを始めました。

これが何気ない出来事のようで運命の始まりです。

そこに絵があってもそれを描いた人間にはあまり興味がないように、曲の作曲家なんてよっぽどハマりでもしない限り調べないのに、ほんとどうしちゃったんでしょうね。

 

 

そして学年が変わって高2の5月のコミティア124にて、初めて自分の本を発刊しました。記念すべき処女作の内容はさっきのCrackTowerにも出てくる創作キャラの過去編(64p)(←リンク先通販)でした。64pのうち20pくらいを締め切り前日に描きました。ほんとです。

ついでに徹夜で働いた締め切り翌朝が運動会でした。これに関してはぎらふみ史でも稀に見る地獄です。

そしてコミティア124に偶然にもさっきの作曲家さんが出展していたので、初めてご尊顔を拝んで作品をまとめ買いした日でもあるのです。二つの運命の歯車が噛み合い始めたみたいなアレでしょうか?

 

そんなマイペース創作ライフを送っていた最中、2ヶ月後の7月の期末テスト終わりにおそらく高校生活最大の事変が起きました。

_人人人人_
> 炎 上 <
 ̄Y^Y^Y ̄

高校2年生にしてTwitterが炎上しました。

というか正確には炎上というより延焼ですし、この事変は7月の発火から鎮火まで軽く1ヶ月、なんなら3ヶ月くらいあって、事の顛末を今更1から話していられないのでここら辺まともまとめページか「ぎらふみ 炎上」とかで調べれば出てくるのでよろしくお願いします。

これは本当に裏話なのですが、作曲家さんに出会う前はあまりTwitterで活動してなかったので、それがなければ発端となったイラストもTwitterに上げなかっただろうし、さらに「憧れている人やキャラに言葉遣いや振る舞いがだんだん似てくる」という特性を持っていた私は、それまで若干グレていましたが作曲家さんの丁寧な言い回しと豊富な語彙を吸収し、炎上の際にここまで華麗なカウンターを決めることが出来たと個人的に思っています。要するに作曲家さんとの出会いがなければこの炎上もなかっただろうという…。別世界線を知らないので分からないですけどね!

この時、炎上の火種を引っ掛けてきた相手のニコ生のコメント欄でチャットをする謎のコミュニティ、通称ニキーズが出来上がっていました。これも今思うと、自分にとっての転換点になっていたように思えます。

炎上を見ている野次馬集団と炎上に巻き込まれた当事者という共通点しか持たない、本来なら赤の他人であったはずの人々が何気ない会話で盛り上がれたのは、私にとって非常に新鮮な体験でした。騒動が下火になってきたあたりで波が引くようにこのコミュニティも実質解散になったのですが、本当にただ他愛ない雑談だけで人間はコミュニティを築きうるという可能性を見出せたのは、多少なりとも私を変えたと思います。

 

そして次のイベントであるコミティア125を控えた8月頃…

なんと炎上を引っ掛けてきた相手の生放送内で私の殺害予告コメントが流れる(リンク先そこそこ衝撃的なので注意)という事件が。

名指しです。ぎらふみコロス!!です。いやほんとびっくりしました。

イベント目前でTwitter名に出展場所も明記している時期にそんなこと言われたら、もし荒らしでも普通に焦ります。当然ですね。そこで自衛のために作ったものが

じゃん!トレードマーク(?)の誕生の瞬間でした。

これのせいで今後収容違反インシデントとかに出ることになるのはまた別の話…。

結局不審者等も出ずにコミティア125は結果的に無事に終わることになりました。新刊はコミティア124で頒布した漫画の絵本リメイク版でした。

こんだけ各所から汚い言葉をかけられ続けて精神参らないんですか?って聞かれそうなので答えておきますが普通に参りました。ついでに後遺症としてHello Distopiaを聴くとえも言われぬ激しい怒りが込み上げる体質になってしまいました。良くも悪くも多少有名になる以外に良い事はないのでよい子はマネしないでね。

 

 

それでもなお燃え盛るインターネットの炎の渦中でもさっきの作曲家さんを元気に追いかけていた私は、イベント後の8月末にある界隈に身投げすることになります。

数学界隈。

今までのぎらふみさんのTwitterとか見ても数学のすの字もないのに急にどうしたんですか!?

理由:好きな作曲家さんがいるから。

数学デーっていうイベントのスタッフをその人がやってるという、本当にそれだけの理由で行きました。くだらね〜!たまに他の人と初めてイベントに来たきっかけの話をしますが、私より意味不明な理由の人はまだ観測していません。

ハイ、ここから数学デーアドベントカレンダーの続きです。

この数学デーっていうイベントがまた面白かったんです。数学というワードを抱えながら、コンセプトが「数学好きまたは数学好きでない人がなんとなく集まる部室みたいなやつ」なんです。

数学デーに来る人の共通点が数学好きであるという訳では無いんです。私が例の一つですね。

数学を始点として色々な繋がりの人々がふわっと集まって、数学を軸に他にも色んな話をふわっとするコミュニティー…。

 

…あれ…?

これどっかで見たな……

 

ニキーズだ…!!

炎上を始点として色々な繋がりの人々が雑談をしていたあのコミュニティーと、似たような出自であることに気づいてしまいました(数学に比べると動機がだいぶ不純ですが…)。

別に同じ学校じゃなくても、出身が遠くても、会ったことすらなくても、コミュニティーなんて築き放題なのに、私が今まで生きていた世界はなんと狭かったのだろう。

この所属ジャンル闇鍋状態だからこそ色々な話が聞けるという環境がしっくり来ていたようで、当時すでに学校の方ではほぼ空気になりつつあった自分をギリギリ生かしてくれました。

私もお絵かきかゲームの話でいつか人を生かしてみてぇ〜!

 

この数学デーがあまりに楽しい空間だったので、その感想を勢いで縦に長い漫画にまとめたら色々な人にとても喜ばれたのをよく覚えています。

それからもちまちまと数学デーに行っては時折レポマンを描いていますが、このレポマンがのちの私の動向にちょっと影響したりしなかったり。

この1週間後くらいにあの作曲家さんからTwitterをフォローされてオギャーーーーーー(墓)となったりしました。

 

 

さて季節も変わって2018年末、初コミケ出展というイベントが発生しました。

いつもはCrackTowerの片割れと合同でスペースを取っていたのですが、この回に限っては炎上の際に増えたフォロワー様方の強い要望に慌てて応えた形だったので、初の単身出展にもなった回でした。

新刊はこれまでと方向性を変えて夜をテーマにした英語の絵本を発刊しました。締め切りまで割と余裕を持って描けたので、今の所これが代表作みたいなポジションです。

 

ちなみにこのコミケが開場してほんの10分ほど(めちゃくちゃ早くてビックリしました)で来て頂いた方が、チロルチョコを600個(!!!)差し入れしてくれました。これはゴミのような高校生活の中では珍しい良い思い出の一つです。

右手に新刊の入ったクソ重い段ボールを持って、左手にチロルチョコが600個入ったクソ重い段ボールを持って、お台場の片隅で立ち尽くしたあの時の感情はEmotionalそのものでした。

 

そしてすぐ2ヶ月後、2019年2月に今度はCOMITIAに出展。新刊はナシ。

しかし何かが違う…?

そう、何の偶然か、数学デーが同時にサークル出展しているではありませんか。

しかも数学デーの活動記録を新刊として出しているではありませんか。

そしてその中に

!?

なんかレポマン載ってる〜〜〜!!!

載せて頂いちゃいました。イェイイェイ!

おそらく一番新参者で最年少なのにありがたき限りです。たくさんサインもした記憶がありますね。しかもこの日にあの作曲家さんがコミケの新刊買ってくれてウギャーーーーーーーー(墓)みたいになりました。

色々ひっくるめてこのCOMITIAも珍しく良い思い出の一つになりました。

 

 

そしてこのCOMITIAを区切りにLumen XXIIIというサークル名では少々お休みに入りました。お受験のためという名目でしたが、ぶっちゃけこの一年も全力で同人活動してりゃよかったと後悔しています。途中で本作りたすぎて発狂したからです。絵以外の使命を課されて初めて、短い期間でも絵を描かなかったら死ぬ人種であることを自覚しました。

これは体験談なんですが、他の人間に関心を持たれない日々を過ごしていると自分の存在感と共に自尊心も薄れていくので注意してください。その頃は自尊心がぶっ潰れて「私ごときの画力で絵を描く仕事が務まるはずがない……」とうわ言を言うレベルには卑屈になっていました。これもあって、1年くらい絵描かなくても平気やろ笑とか抜かしていたせいであとで発狂するとは思いませんでした。

そういう意味で、学校外のコミュニティーに入っていなかったら今頃自尊心の消滅でくたばっていたと思います。

 

3年生の1年間が人間関係という側面では一番充実していたような気もします。夢にまで見た「友達と一緒に朝から晩までゲーム」も「友達と一緒にエレベーター巡り」も「友達と一緒にタピオカ(が入ってない)ミルクティー」も達成しました。えらい。

そんでもって10月の数学界隈総合イベントでちゃっかり知り合った方に誘われてちゃっかり12月の冬コミの合同誌に寄稿したりして

 

2020年3月高校卒業!!!

 

あの忌々しい学校に二度と足を運ばなくて良いのですね!!!

あの着るだけで息苦しい呪いの制服も二度と着なくて良いのですね!!!

同級生の連絡先を全部消しても責められないんですね!!!

これが…自由…。

先日の卒業式は数少ない友達とだけ話して即帰宅しました。むしろ私らしい終わり方で潔いと思いました。少ない時間を割いて卒アルのデザインやったのは私なのにクラスメイト30人くらいのうち全員ノーコメントだった辺りから察してください。というか誕生日プレゼントの返礼(要は私は全員に用意した)すら誰も用意してくれなかった人々が(中略)

クラスの思い出動画に私の写真が映ったら静かになったのとか普通にグサッと来たから来世は高校生活なんて絶対やらないぞ。

 

そして自由を手に入れた私は真っ先に髪の毛を染めました。心なしか青みがかった黒です。でも染める前も結構黒かったのでよっぽど私を日々観察している人でもない限り気づかないと思います。これまでの自分とは気分的に変わりたかった心理もあるのかもしれませんね。

 

さらに5月のコミケとCOMITIAにも既に申し込み済みです。さらっと大事なこと言いました。

高校というしがらみが無くなったことで同人活動もおおっぴらにやれます。これが自由…。

今のところコミケの配置は「月曜日西C60a」となっております。新刊はまた絵本の予定ですので乞うご期待。

 

 

 

…そんな感じで、表舞台では死に、裏で生を繋ぎながら3年間を駆け抜けました。

表舞台の話は可哀想のオンパレードなので関連物品はとっとと燃やしてついでに校舎も燃やして全て記憶から消し去ろうと思っています。何かあるとすぐ校舎に火を放とうとするのやめよう。

スマホの画像見返したら私と一緒に写真に写ってる人も校外の人のが多い気がするし、学校よりそれ以外の場所でよく喋ってた気がするぞ。

青春という言葉から想像されるはずのものから完全に何かが欠落していますが、これも青春ってことで良いんじゃないですかね。

学校という集団を捨てたことで私は堕落の道から踏ん張って、さらに身の丈に合った集団に所属できているわけですし。そこに固執する意味はもう薄らいでいると私は思います。

後々「良い高校生活を送れましたか?」とか聞かれたら「最悪でした」と即答するつもりですが、「学校外ならそうでもないですが…」みたいな言い回しを考えておかないといけませんね…。

 

 

だらだらと6500文字ほど書いてたみたいですが、本当にここまで読んでくれた方はすごいです。大切なお時間を使わせてしまい申し訳ありません。ありがとうございます。

なんかもし私の高校生活周辺で気になることとかあれば、ある程度ならお答えできると思いますので質問箱にぶち込んでおいてください。なんか来てたらまとめて記事かなんかにするかも。

 

 

 

結論:C98月曜日西C60aに是非おいで〜!!