卍 高校卒業翌日に別の意味で浪人になった話 卍 | 23ルーメンの時計塔

23ルーメンの時計塔

CrackTower、Lumen XXIII本舗であるぎらふみの公式(?)ブログです。イベントとかでもない限り殆ど更新しませんが宜しくお願いします。
画像などの転載をする場合は、Twitterに一言お願いします。

 

 

コミケ、なくなっちゃいましたね………。

 

 

 

こんばんは、マージナルマン真っ只中のぎらふみです。

原稿はやってません。まあコミケに合わせたところで…という話もあるしコミケがないのに頑張る理由って…という話もあるのでご容赦ください。5月か6月中には印刷できたらいいな。

前回のブログを書いた後、

…というメッセージが届いており、「マジかぁ〜書きたいけどネタさえあればなぁ〜」と思ってたそばから意味不明な話題が出来たので、冒険譚としてここに記録します。

この私、高校卒業翌日に

家出しました。

 

 

 

前回のブログで私の高校での青春は忌々しい思い出でしかないことは把握して頂けたかと思いますが、実は家族もなんかちょっとヤバいです。一番分かりやすいヤバさを最も簡潔に述べると、両親がクッソ不仲です。幼少期から両親が仲良さそうな場面一回も見たことありませんでした。私はそれが普通だと思って十数年生きていました。そんなことはなかった。

 

父母どちらかと特定して話すのは嫌なので親1親2という言い方をしますが、親1の方が割とヤバくて、私の機嫌をとるために平然と嘘をついたり、今度は私にストレートに罵詈雑言を浴びせるような人間でした。ぶっちゃけ嫌いです。親2と話すと離婚を普通に考えてるようなことも聞きますが、離婚したら私は家にも住めないし学校にも行けないしそのまま路頭に迷って死ぬのでどっちにせよキツい。

大学受験という私の人生の大きな分岐点に置かれて突如本性を現し出した親1に受験のストレスも重なって「もうこんな人間と同じ家庭に居たくない…」「この家庭にいるだけで吐き気がする…」と本気で思うような極限状態になってしまった私。

 

どうせ親1には嫌われてるし、突然家から消えても心配するわけないよね…

じゃあ家出しても良いのでは…??

そう、私はもう自由でした。高校を卒業するんですから。誰も心配しないなら堂々と家出し放題です。やったね。

 

そこから私は家出の計画を入念に練り始めました。まずは私が突然家から消えたら心配するであろう親2に家出の許可を取りました。もう家出というより一人旅ですが、片方の親には言わないので家出です。

それから数少ない友達や親戚に「家出するんですが寝床を貸して頂けませんか」という連絡をして、およそ1週間分の寝床を確保しました。まあいざとなったらカプセルホテルとかに駆け込めば良いんですが、コミュニケーション能力が終わっているのでチェックインする勇気が出るか分からなかったのと、結局寝床が取れなかったら困ると思ったので、寝る場所は確実に決めました。そのうち半分くらいはCrackTowerのお二人の家でした。本当に助かった。ありがとね。

 

そんなこんなで出発。

1日目の寝床はラブホでCrackTowerの2人とウェイウェイでした。初日から飛ばしすぎじゃないですか?

部屋のでかいテレビで3人並んでヒカキンの動画を見ました。

コンドーム水風船めちゃくちゃ楽しかった。小学生ですか?

 

余談ですが、この家出により私が7時前後に目が覚める体質であることが発覚するなどしました。というわけで私が最初に起きて、大音量でMOGOLOVONIOを流してあと2人の目を覚ますなどしつつ2日目。

CrackTowerの片割れと渋谷で服を買いました何やってるんですかほんとに。

その後片割れの家にお邪魔して一泊。これまた余談ですが、家出の数日間はかえって食べる量が増えていたような気がします。私の少食はやっぱりストレス由来が大きいのかもしれない。

 

かれこれ家出は3日目に突入。

今度はCrackTowerのもう1人の片割れの家へ。

た の し い

フォントかるたです。割と取れました。

からの

B  B  Q

めちゃくちゃ美味しかったです。特に焼き芋…

家出楽しすぎですか!?

欠片もストレスというものが存在していませんでした。全ての瞬間が楽しい。

ぎらふみがぎらふみとして生きている感じがして最高でした。

 

BBQで打ち上がって4日目、ちょうどこの日の昼頃に3人で昼寝していたところで親2から大学合格の連絡が来ました。その晩、私はいつもの数学デーに行きました。ちなみに着ていった服は2日目に渋谷で買った服そのものでした

「家庭がしんどすぎて家出した先でBBQとか買い物とかゲームとかして遊び散らかしまくってます」とありのままの事実をそこにいた人々に伝えました。

めっちゃ笑ってました。家がないという状況は深刻な割に本人はめちゃくちゃ楽しんでるという、もはや一種の怪奇冒険譚になっていましたからね。

その帰り道がいつもと全く違う方面だったことがやけに家出感を高めてきたことを覚えています。

 

同じ寝床をもう一晩貸して頂き5日目。

ここでCrackTowerの2人と別れて、真の家出が始まりました。まず向かったのはマギレコ聖地巡礼でした。

知る人ぞ知る「あの階段」です。くっそー、もう1人いればここを降りながらやちよさんごっこが出来たというのに…(CrackTowerの2人は残念ながらマギレコ未履修でした)。

これもこれも、知る人が見ればピンとくる風景のはずです。

普段は何気ない風景が、一つのきっかけで特別になるってなんか面白いですよね。そういうの好きです。

マギレコのエンディングでやちよさんは荷物も持たずにこんな場所をふらふらと歩いていましたが、その姿がこうして家出している私の姿にソックリで(私は大荷物でしたが…)、あのやちよさんは家出していたのでは…?なんてくだらない考えを巡らせながら、足がバッキバキになるまで歩きました。

とりあえずこの風景の他にもう一つ収穫として、この聖地巡礼コースを案内できるようになったので、今度誰かマギレコ知ってても知らなくてもいいからこの辺り一緒に歩きたいな…。

どうでもいいですが聖地巡礼の途中でずっと一目見たかったエレベーターを拝むなどしました。某ウイルスのおかげで誰もいなかったから不審な目で見られることもなく拝み放題でした。意味もなく上下を3往復くらいしました。

 

その晩の寝床は親2の方のおばあちゃん家でした。パンパンになった三つのバッグを持ったまま4,5時間は歩いていたので、駅までおばあちゃんが迎えにきてくれた時は救われた気持ちでした。

おばあちゃん家に泊まるのは何年ぶりだったか分からないくらい久しかったのでやけに昔の記憶が呼び起こされて、さっきまでウェイウェイだった家出がここで急にしんみりになってしまいま

した。ちなみにこのおばあちゃん家ですが、おばあちゃん家という言葉からよく連想される縁側のある家のような感じじゃなくて、イギリスとかそっち系の地域を彷彿とさせる洋風テイストな家です。たまに私はおばあちゃんのことを「お人好しに全振りしたマミさん」と表現します。

 

足がバキバキだったのですぐに寝て、気づけば6日目に到達。

この日は朝からこの家でしんみり過ごしていました。何年かぶりに家にあるピアノを弾いたり、何年かぶりにおばあちゃんのアクセサリーを眺めたり、私が生まれる何十年も前に亡くなったおじいちゃんの話をしてもらったり…ここにきて急にドラマチックになってきたなと思いました。少年漫画だったら死亡フラグです。

実家って自分を見つめ直すのに素晴らしい環境なんですね。これは私の得た学びです。その頃例のワニが死ぬか死なないかという状況だったことも相まって、そういえば親1の方のおばあちゃんはもう私のことを覚えてすらいないんだったっけ…とかシリアスな考え事ばかりしてしまいました。

 

もう帰ろうと決意したのはこの辺りでした。

大学も合格したし、不安要素はもうあまりないし、早く帰って自分の人生攻略してったほうがいいな。そんな考えがはっきりと頭によぎりました。

その後はご飯を食べて、まっすぐ自宅に帰りました。行きは二つだったはずの鞄が帰る頃には四つに増えていました。

 

前回のブログに書いた通り、私は学校という集団を捨てて、今度は家族という集団も捨てましたが、やっぱりついて行きたくない集団からは逃げても全然問題ありませんでした。むしろクッソ楽しいです。もし良ければ参考にしてください。

いずれは全員遅かれ早かれ死ぬんですから、自分という個人が生きた痕跡を残したいじゃないですか。もう集団に拘る時代は終わりだぜ。

 

私も10代として生きていけるのはあと少しになってしまいました。ここまで来たらいつ死ぬか分かりませんが、今は原稿と大学でのお勉強を頑張ります。皆様も御自愛ください。

 

 

結論:一人暮らしするぞ

 

 

 

 

 

一人暮らししたいけどお金が足りないので良ければ投げ銭ください。見返りにお絵描きします。→Skeb

 

一人暮らししたいけどお金が足りないので良ければ既刊買ってください。死神少女二部作は在庫限りです。→BOOTH

 

一人暮らししたいけど(略)→minne