人には大きく分けて2つのタイプがいる。
印象に従う人と論理で解明しようとする人。
父殺しの疑いで逮捕されているスラム育ちの少年には目撃証言等があり有罪の可能性が高い。その少年を12人のそれぞれ職業やバックグラウンドが異なる男たちが審議し、全員の意見が一致すれば審議終了となる。
第一印象の時点で有罪は11人、無罪は1人
有罪が圧倒的優勢だが、白スーツに身を包んだ理知的な男が「人の命がかかってることに議論もせず議決をすることはできない」と敢えて一人反対票を投ずる。
ほぼ密室での議論だけでこの映画は構成されていて、ともすればやや退屈に思えるかもしれないが、むしろこの狭い空間だけで12人が議論を白熱させ審議の行方をみるのは思っているよりも面白いかもしれない。
白スーツの男が理論展開すると一人ずつ無罪に変える者が増えていく。
有罪に疑義が生じると推定無罪の原則が適用され、確からしさに覆われた事件も無罪になる場合は多い。
目撃証言の確実性もどんどん薄れ、犯罪を立証する材料としては乏しくなり、有罪に疑いが生じ、最終的には全員が無罪に手を挙げ審議は終了する。
そもそも印象で物事をとらえるタイプの人は議論ができない人が多いのが現実なので、ここまで議論を重ねてひっくり返る人はそんなにいないだろう。だがアメリカ民主主義の良い部分が象徴されていて、一般市民が参画し審議をする機会がある事の合理性やその意義についても考えさせられる。陪審員制度がなぜ必要なのか、国選弁護人の報酬が少なくやる気がない場合は検察側が有利に働いてしまうというこの映画でも語られている負の部分をいかに陪審員制度が補っているのか。
1960年代の古い映画だが、観るだけでも学べる事が多い。
★★★★☆