女性も政治を考えて❤ブログ

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仕事&恋愛で忙しい日々を送っている人、おしゃれや芸能人に興味がいっぱいの人も、子育でたいへんなママたちも政治を考えて❤
選挙に行かないと損、白紙投票でも意義がある。誰が来たのか、年齢・性別など統計をとる。政治家は選挙に来る人を重視して、政策・予算を考える。

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 安倍元総理の国葬について、賛否が割れている。

 

 凶弾に倒れて世界各国で弔意が示され、弔問の問い合わせで外務省がパンクしているとの記事を見た時から、国葬への流れは自然に思えた。

 日本のプレゼンスをこんなに高めた総理はいなかった。わたしは、誇らしく思う。ただ安倍元総理の外交手腕は、ほとんど取り上げられず、その努力が国民に広く知られていないのが残念だ。

インド訪問時盛大な歓待を受けたこと、国連で安倍総理に挨拶したくて長蛇の列ができたことなどを、他国の記事をネットにあげてツイートしているので知った。自国の総理大臣の誇らしい面を取り上げない日本のメディアにがっかりした。

 オバマ大統領が広島に来たニュースは、誰もが知っている。しかし来てもらうためには、相当な努力があったことは報道されない。ひねくれたメディアの下で、安倍元総理がお気の毒に思える。悪い面は、執拗に拡大解釈して報じるのに、良い面には知らんふり。人を批判して優越感を持つ人達に似ている。

 

 旧統一教会問題が毎日大きく報道されて、国葬に反対する人が増えている気がする。仕方がないと思うが、メディアが安倍元総理の良い面もしっかり報道していれば、国葬に賛成する人がもっといたとも思う。

 

 旧統一教会の集票田は、政治家として権力者として魅力に感じるのは自然。選挙に勝って当然、仲間が増えて力になる。お願いすれば、票が集まる。票は力になる。おじいさんの岸元総理が反共産主義の団体が必要で、旧統一教会を日本に招いた。そのいきさつから、安倍元総理が関係を持っていたのは自然だったのだろう。

 

 ただ、日本のメディアがしっかりしていたら、こんな事態にはならなかったのではないか。合同結婚式、壺などの霊感商法は昔TVでやっていた。1990年代統一教会が怪しい教団だと思っていたが、その後報道されることはなく、静かに慎ましくなったのかと誰もが思っていたのではないか。名称変更時にも問題視する報道はなかった。安倍元総理が凶弾に倒れて、後出しじゃんけんのように騒いでいる。教団が変わっていないのなら、もっと早くからメディアが取り上げて騒いでほしかった。そうしていたら、安倍元総理もビデオメッセージなんて送らなかっただろうし、選挙でも距離を置いていたと思う。

 

 日本のメディアのレベルの低さには、本当に残念だ。メディアとは、悪いことが起きてから気がついて大騒ぎするのではなく、悪いことを見つけて報道してほしい。それがメディアの役割であり、責任だ。

 

 今、旧統一教会について大きく報道することで、政治が距離を置き始めた。被害者を救う法律をしっかりと作ってもらいたいと思う。

 閉会中審査の報道で、どうして前愛媛県知事である加戸氏の答弁を取り上げないのでしょうか。とてもがっかりしました。

 

 ひるおびの八代さんのコメントはいつも賛同しながら、見ていました。恵さんも、一般人感覚のある人だと思っていました。(右派でも左派でもない)

 

 井上キャスターは、朝ズバでTBSらしくない発言をしていたので、期待をしていました。Nスタも変わるかもしれないと思っていましたが、TBSらしいキャスターになってきた感じです。

 

 彼らは、閉会中審査の映像を全てしっかりと見たのでしょうか。報道に携わる以上、きっと見ていますよね。加戸氏の発言に、心は揺り動かなかったのでしょうか。私は熱いものを感じました。獣医学会という既得権者が時には献金で議員を味方にし、その既得権を頑なに守ろうとしてきたこと。文部科学省が、なぜかその岩盤を盾に行政を歪めてきたことがよくわかりました。加戸氏の発言から、その悔しさや怒りがひしひしと伝わってきました。

 そして、それを伝えない彼らに私は失望しました。もし仮に彼らが、「僕じゃない。プロデューサーに言われたんだ。TBSの方針なんだ」と思っていたとしても、伝えないことで信頼感は失われました。番組に出ている以上、本人にも責任があると思います。

 

 よくネットで「報道しない自由」をマスコミは行使していると批判されています。「報道の自由」を主張し、あたかも権力者と戦っているかのように騒ぐマスコミですが、自分たちの主張とは違うことは、黙殺し報じないのです。自分たちの主張に合うように情報を操作します。それは、とても怖いことです。多くの国民が求めているのは、彼らの主張に誘導されるための情報ではありません。

 

 7月10日23:30~フジTVのユアタイムでモーリー・ロバートソン氏が、「メディアは野党の追及でショーアップに加担した。今回信頼を失うのは、自民党と言うよりメディアが敗者になる可能性がある。メディアは操縦かんを握ってる。皆さんには免疫を付けて頂きたい」と言いました。加戸氏の発言を聞いてのコメントです。メディアに洗脳される皆さん(視聴者)への注意喚起です。

 

 忙しい毎日を送っている人々は、国会中継なんて見ていられません。ネットで情報を得ることができる人は、まだ一握りです。TVに影響される人は多々います。TV局は、国民を扇動する力を持っています。総理大臣の権力よりも怖いかもしれない。

 

 閉会中審査の加戸氏の発言を見逃した方は、下記の映像を見てください。twitterで見つけものです。

 

https://twitter.com/_500yen/status/884441473294286848

https://twitter.com/_500yen/status/884444375874392065

https://twitter.com/_500yen/status/884446947225911296

https://twitter.com/_500yen/status/884449378517135360

 

 この本は、日本社会を風刺する物語だ。登場人物が「もしかしてあの人?あの国?と」思いながら読むことのできる、とてもおもしろい本だ。日本社会や政治にに興味のない人や子供が読むだけでも、素直に考えさせられる物語。


 ナパージュ=日本、スチームボード=米国、ウシガエル=中国、三戒=憲法であることは誰にでも想像できる。

 元老会議は、国会の安全保障委員会だと思った。元老会議に出てくるガルディアンは民主党の福山哲郎議員、プロメテウスは自民党の佐藤正久議員に思えた。そして、プロメテウスは時々安倍総理にも感じた。

 ナパージュ国を守る有志のハンニバル3兄弟は、自衛隊と考えた。民主党政権下の仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。共産党は、自衛隊を違憲と考え廃止を党是としている。理解できないが、自衛隊を忌み嫌う勢力が存在している。

 ハンドレッドは石原慎太郎氏か?民主党・社民党の連立政権時代「与党には帰化した国会議員がたくさんいる」と発言していた。

 フラワーズはSEALSの奥田君のイメージだ。ピエールは在日韓国人。彼の国エンエンは韓国。


 デイブレイクは誰か。まず思ったのは朝日新聞。戦後、日本人に贖罪の気持ちを植え付け、中国を擁護してきた、大手新聞社だ。世論を形成し、自分たちが国民を正しい方向に導いて行くという自負がある。そして、時には誤報・ねつ造も厭わない。そんなイメージの新聞社だった。

 次に見えてきたのは、沖縄県の翁長知事のイメージだ。沖縄から米軍基地撤去を主張している。また、沖縄の地方新聞(琉球新報・沖縄タイムス)でもあるかもしれない。


 物語の中にある、南の崖に現れるウシガエルは、尖閣諸島に現れる中国船だといえる。この本を読み終えた8月5日尖閣諸島に複数の中国漁船が現れ、それを公船が先導しているため抗議レベルをあげた記事http://www.sankei.com/politics/news/160805/plt1608050045-n1.html をネットで見つけた。相変わらずTV局は大きく扱わず、翌日6日の読売新聞にも載っていなかった。朝から日本のTV局はリオ・オリンピックの開会式で沸いていた。その日の午後、中国漁船230隻が確認され、公船6隻が接続水域侵入した記事http://www.sankei.com/politics/news/160806/plt1608060017-n1.html をネットで見つけた。明らかに尖閣諸島を奪う目的をもって、侵入してくる中国に対して、マスコミは大きく報道しない。国民が危機感を持つことを封印している。デイブレイクは、日本のマスコミ全体でもあると思った。

 先週は、北海道で行方不明になった男の子(大和君)のニュースが連日報道されていた。無事に見つかった時には、本当に安堵した。多くの人々が同じ思いだっただろう。しかし、全てのTV局が「置き去り」と報道することに心が痛んだ。


 「置き去り」って言葉からは、冷徹で酷いことをしたイメージが伝わってくる。子供を森の中に置いて、家に帰ったわけではないのに・・・500メートル先に車を置いて、迎えに行った。置き去りのように思わせただけだ。たった5分の出来事だった。

 私もやんちゃだった息子を持つ母だからわかる。どこまで自分の悪さが許されるのか、挑戦してくる子供がいる。育てやすい子供を持つ親にはわからない、子育ての葛藤だ。優等生の親に、非難されたことを思い出した。

 もし大和君に万が一のことがあったなら、親はその責任に耐えられず、自殺するかもしれない。そんなことを心配しながら、このニュースを見ていた。コメンテイターの中には、親を責める人が多く見受けられた。確かに一番辛かったいたのは、大和君だったかもしれないが、次に苦しんでいたのは、愛情をかけて育てていた親だったことに思いをもって欲しかった。


 

 外国に住んでいた時、言われたことがある。買い物に行くときに、子供を車のチャイルドシートに乗せて、スーパーに着いたときに寝ていても、そのままにして買い物をすると、幼児虐待になるから絶対にしてはいけないと。日本人の感覚では、10分位ですぐ戻るのだから起こしてはかわいそう。さっさと買い物して帰ってこようと思ってしまう。でも欧米では犯罪になってしまうのだ。驚きの感覚だった。

 でも最近思ったのは、文化の違いだということ。欧米社会は性悪説。人間は何をするかわからないもの。だから、子供から絶対目を離してはいけないという考え方だ。日本社会は性善説。人間は基本良い人という考え方がある。そろそろ、日本人も性悪説を取り入れた社会を考える時なのではないか。


 国際社会は腹黒い。そんなことにも鈍感なマスコミ報道を見ながら・・・考えてしまいます。

 安倍総理の戦後70年談話「我が国は、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びを表明してきた」「子や孫、先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」の部分にとても共感した。いつまで謝罪を続ければいいのだろうかと感じている日本人が多くいる。それを解明する記事があった。


*ZAKZAKにケントギルバード氏が書いた記事より***

 

 8月16日、「どうなる? 戦後70年目の日韓関係」という、トークライブに出演した。拓殖大学国際学部の呉善花(オ・ソンファ)教授と私が、それぞれ見解を述べるスタイルだった。

 呉さんは韓国・済州島出身で、1983年に留学生として来日した。当初は反日的な気持ちが強かったが、さまざまな真実を知り、日本への共感の方が強くなる。韓国で受けた反日教育が嘘ばかりだと知ったときはショックだったそうだ。葛藤を乗り越えて、88年に日本へ帰化した。

 打ち合わせの段階から、呉さんの話には何度も驚かされた。隣国である日本と韓国の価値観や常識が、あまりにも違うことを思い知ったからだ。日韓では「謝罪」の意味や機能がまったく違う。

 日本は韓国に60回近く謝罪しているが、先日、元慰安婦は「一度も謝罪していない」と発言した。日本人にとっての「謝罪」とは、相手の怒りを鎮めて、こじれた感情をリセットする行為である。嫌な過去はお互いに忘れて、水に流すことで一件落着となる。

 一方、韓国人の謝罪は感情の問題ではない。謝罪をすれば罪を認めた「罪人」になり、謝罪を受けた側は、罪人をいたぶる特権を得る。謝罪は理不尽な関係のスタートなのだ。

 しかも韓国人は、過去を水に流さない。朴槿恵(パク・クネ)大統領は「加害者と被害者の立場は1000年経っても変わらない」とスピーチしたが、あれこそ典型的な韓国人の思考という。


           *********


 日本の政治家やマスコミには、談話に謝罪がなかったと責める人々が多々いる。彼らに日本人の心はあるのだろうか。もういい加減にしてほしい。韓国だけではなく、日本が毅然とした態度を取れないことが、日本人を苦しめているのだと思った。

 最近、北朝鮮が韓国を砲撃し緊張が走った。協議の末、北朝鮮が遺憾を表明することで合意したが、韓国人のジャーナリストが興味深いことを呟いていた。


崔碩栄 @Che_SYoung 8月24日

北朝鮮の「遺憾」を韓国政府が「謝罪」と解釈したことに対して、韓国内からも「日本の遺憾表明は謝罪じゃないと言っていたじゃないか」の声。 結局「表現」の問題じゃない。日本が何と言おうが、「謝罪」を認め決着つけたくない。北朝鮮が何と言おうが、衝突は避けたい。つまり「相手」の差


 TVでは平和安全法制についての特別委員会が放送されている。憲法違反だと言われているが、大事なのは現実を見極めて、日本の安全をしっかり守ることだと思う。憲法を守っていれば、日本の安全が守られているわけではないのだから。

 しっかりと議論して法案を通してほしいけど、多くの国民が心配しているのは外圧に屈して他国の紛争に加担していくのではないかということだ。どんなに我が国の存立危機だと言っても信用できないのは、日本の政治のせいだと思う。


 新国立競技場の前代未聞の建設費2520億円。可動式の観客席や屋根の価格は含まれず、さらに工事過程でも費用が膨らむという。また年間維持費が50億。数十年後の改修費は2000億かかるという。どう考えても日本の負の遺産です。

 国民の8割以上がキールアーチの新国立競技場に反対している。喜んで迎えたい東京オリンピックなのに、国民が招致しなければ良かったと思うオリンピックになり兼ねない。選手の育成にかけるお金を減らしてしまっては本末転倒。誰がこの競技場建設推進の責任者なのか、関係者が責任逃れをしている状態で新国立競技場が決まっていく。見直しすることもできない安倍政権。日本の信頼が落ちるとか、総理に恥をかかせたくないとか、そんな話がある。一部の人たちの見栄のために、国民が多額の負担を背負い、嫌な思い出となるオリンピックにしてもよいと考える人たちがいる。


 一度走り出したら止まらない自民党が得意な公共事業と同じで、国民の多くが苦労しても、外圧にNOと言えない日本の政治がとても心配だ。紛争に加担する恐れを感じるのは、情けない外交姿勢に問題があるのではないだろうか。国民に負の遺産:新国立競技場を平気で押し付ける安倍政権が、安全法制の重要性を主張しても、その内容が妥当であっても怖く感じる。政治に信頼がないと通せない法案だと思う。

 高橋ジョージ、三船美佳夫妻の離婚裁判が最近話題になりました。親権が欲しいと主張している美佳さんですが、そもそも親権って片方の親だけが持つべきものなのでしょうか。親権って両方の親にあるものだと思うのですが・・・


 離婚時にどちらが面倒をみるのか揉めるのはわかります。それは養育権です。親権は父にも母にもあるべきものだったなら、争うことはありません。父親だって親権を取られて、養育費を払えと言われてもモチベーションは下がります。だんだん支払わなくなっていくケースが多いと聞きます。親権を取られ、子供と面会もできなくなった人はなおさらその傾向が強くなるでしょう。

 明治時代は家制度だったので、離縁するときには父親に親権があったそうです。新しいお母さんに育てられ、子供に会うことができない母親も辛かったことでしょう。

 離婚した相手とは、縁を切りたい気持ちもわかりますが、子供にとって親は父と母なのですから、両方に親権があってもいいと思います。離婚しても、望めば定期的に面会できる権利は確立してほしいです。


 親権を取り上げる必要があるのは、子供の親として失格と認められたときだけでいいと私は思います。

 日ノ丸に「×」をした映像を使って歌を唄い、年末ライブで天皇陛下からいただいた紫綬褒章の勲章をズボンのポケットから出し「5000円から」とオークションにかける桑田佳祐の演出はどこからくるのだろうか。


 
昨年ソチオリンピックで羽生選手が金メダルを取った。表彰台で君が代を唄う姿がネットで話題になった。それを夫に話したら「おれ、君が代唄えないんだ。学校で教えられなかった」と言った。そんな人が本当にいたんだと驚いた。ちなみに夫は小・中学校ともに公立である。


 私が高校生の時、放課後友人が「職員会議で卒業式に君が代を唄うかどうか揉めている」と言ってたのを思い出した。君が代は天皇を称える歌、危険、洗脳される。と考えているのだろうか。なんか飛躍した論議だと思ったのが蘇ってきた。それはもう四半世紀前の出来事だ。そんな教育があったから、羽生選手の君が代斉唱が話題になったのかもしれない。


 戦前の軍国主義は私も嫌い。戦争は反対。平和を願う。でも戦前の全てを否定して考えることは違うのではないか。歴史は黒か白かでなく、黒も白もありグレーな範囲は多大にあると思う。そしてグレーにも濃淡がある。愛国心は危険と曲解するのではなく、情報を隠蔽・操作し、愛国心を利用した政治体制が問題なのではないか。今の中国・韓国のように・・。


 日本人が国を愛することや日ノ丸・君が代を否定する教育は異常である。そんな教育者がまだいることも事実です。他国の選手が優勝して国歌を唄っても当り前に見えるのに、日本人が唄うと話題になる。どこかおかしな日本です。

 

 最後に、宮内庁はどんな基準で褒章受賞者を選定しているんでしょうか。疑問です。左巻き勢力がたくさん送り込まれているという噂もあるそうですが・・あくまでも噂です♠



 2年前、消費税増税法案が通る時、野田総理はいろんなことを言って国民を説得しました。

 毎年増え続ける社会保障に対応するため、少子高齢化社会を支えるために子育てにも税金を使う。国会議員も身を切る改革をする。財政再建の姿勢を国際社会に見せないと信用を失い、国債が暴落して金利が上がり、日本の経済が混乱する。次世代に国の借金を背負わしてはならない。

 そんなことを言われて、仕方がなく納得した自分がいました。


 今年の春、消費税が5%から8%になって、政治は国民にどんな約束を果たしたでしょうか。子育て世代にどんな支援をしているのか、小さい子がいない我が家にはその情報がありませんが、国会議員が身を切っていないのはわかります。増税した分を当てにして、予算は過去最大になり、国の借金は1000兆円を超えました。借金を減らしていく姿勢を全く感じません。国際社会に示す財政再建って消費税増税だけではない思います。なんか騙されているようです。


 そもそも国の予算も、家計のやりくりと同じです。借金を抱えた家庭は、返済計画を立てます。無駄な出費を抑え、効率のよい支出を考え、余剰金は借金の返済に回すのが常道ではないかと思います。

 国の予算は毎年使い切り予算、予算を使い切らないと来年もらえない。だから、残さずに使う。そんな支出をしていたら、いつまでたっても財政再建なんてできない。まして、増税した分、予算を増やしていくなんておかしいでしょう。

 このままでは消費税を10%に上げるのは絶対反対と叫びたい!

 息子が大学4年生で就職活動中。20社、30社を受けるのはあたり前の実態だが、就職活動をするのにもお金が必要です。


 息子の友人が地方から出てきて一人暮らし「就活で交通費がかかるから貯めないといけない」と言ったそうだ。学費を払い生活費を援助する家庭は大変だと思う。親にこれ以上負担をかけられないそうだ。バスに乗り、電車に乗って乗り換えたりするだけでも、すぐに1000円2000円と飛んでいく。それが毎日だと数万単位で必要になる。


 ある会社の最終面接で、仙台からきた学生が「筆記試験と最終面接3回の交通費を考えるとなんとか合格したい」と言っていたそうだ。息子は最終でダメだったので、その学生がどうなったかわからないけれど、東京の学生と地方の学生では就職活動には大きな格差があると思った。


 資金力のない学生は、就職活動も満足にできない状況が起きているはずだが、マスコミも文科省もそこを見逃しているのではないか。能力のある子どもが、資金力によって社会で活躍するチャンスが閉ざされることには心が痛みます。


 昨年、バイト先の子が青森に帰るから送別会をすると息子が言った。その子は大学3年生だった。親に迷惑をかけないという約束で大学に進学したが、学費や生活費を稼ぐのが難しくなったそうだ。そんな子供たちに政治は何をしているのだろうか。毎年大学を増設するために多額の予算を使い、新しい大学の赤字解消のために奨学金を出して海外留学生を集める文科省の政策ってなんなのだろうか。怒りを覚えます。