感想 自分を愛する方法の一つ | 見える子供

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娘から聞いた話

を読んだ感想です。
まずプロローグに3人の人物が書かれていたことに驚きました。エピローグに柱のことが書いてあり、偏光の夢を思い出しました。
 
本文より抜粋
《人間にとっての鬼は、怖い存在ではなく、人間を守ってくれる存在なのだ。怖くて、強くて、情け深くて涙もろくて、人間からの差別に苦しみつつ、それでも弱き人間を守ろうと生きる存在。
 
僕は、これをやりたいんだ。僕は、本気で人形劇がしたいんだ。そのために、僕が作りたい人形を作る。それは、鬼だ。真っ赤な鬼の、大きな人形を作りたい。だけどその鬼は怖くない。

鬼はおそらく日本人ではなかったのだ。もしかすると宇宙人だったのかもしれない。それとも大陸から渡ってきた野心を持つ有力者だったか。
いずれにしても異端の人として、やむを得ず人里離れて暮らさなければならなかった。そして結果、人に滅ぼされた。その理由は「みんなと同じではなかった」から。

当時の庶民はこう思っていたに違いない。高い知能はいらない。背の高さも必要ない。権力に反発するなんてもってのほか。力なんてものはいらない。そんな時代だ。とにかく平和に生活できればよかった人々にとって、鬼は恐ろしい存在だったのだ。
そんな近寄り難かった鬼に対して、子供だけは違った。素直な気持ちで、損得勘定なしで、その能力を尊敬し、褒めた。その知恵を称えた。その行動を認めた。鬼の発する真摯な言葉を受け止めた。》
 
 
『天界では身分差はないのですが、このカミサマだけは、やはり何となーく特別な存在として天界の他の人たちも接してしまうらしく、でも本人はみんなと同じように扱って欲しいと願っているそうです。

だから本当は何でも簡単にできるのにわざと間違えたり失敗してみせたり、みんなと同じに思われるようにとぼけた行動をしたりして仲間に入ろうといろいろ努力してはいるものの、それでもどこかで線引きされてしまっている状態だそうです。
 
さて別の場所に心臓と脳が専門の病院があり、そこで働いている2人の医師がいます。
その2人は外見も性格もそっくりで、まるで双子の兄弟のように仲が良くいつも一緒に行動しているそうです。』
 
 
この記事を読み返して納得してしまいました。
くまさんの再開を知ってブログの記事をざっと読んでいた時に、駄菓子屋さんに来た女の子と人形の会話を読んで、上の記事の「カミサマ」にとっての人の形・人形のような存在がここの「アニキさん」(くまさん)なのかもしれないと、ふと思いました。
「カミサマ」にとってすべての人や存在は子供のようなものでしょう。
本に「僧形の男」とあるのは、これも形として現れた光でしょうか。
 
 
エピローグにある残りの「苦」の体験は生老病死ですが、調べると、この場合の「苦」の意味は思い通りにならないことを意味するようです。
 
(同じ過去記事)
『今朝見た夢で、アニキさんは自由自在に次元・密度を出入りできるけれども、自分で寿命を決めることはできない、という内容の言葉を受け取りました。人であることをやめるのは自分の意志ではできないようです。』
 
その夢を見た日が、先日三重で人形劇と講演会をされた日のちょうど一年前だったので、この記事を書くことにしました。
 
インスタの人形を使ったカウンセリングについての動画(12月31日まで)を見せていただいたのですが、おそらく人形を動かして話すときの意識は自然と子供になるのではと思いました。
喜怒哀楽を素直に表現したり、難しい言葉ではなく思ったまま感じたままを話していた頃のように。
自分で動かして人形を通して自分と会話すると、自分への愛情が言葉として表現され、同時に聞いて受け取ります。
自分を大切にする行為・表現を積み重ねることで、おそらく他者にも愛を向けることができるようになるんでしょうね。
 
宗教でも人でも、外側の存在に心の拠りどころを求めると、行き過ぎれば執着や依存や共依存になったりもしますが、自己を満たす意味での自己愛は、溢れさせることで他者へと循環するのかもしれません。
 
 
 
『「Uの上の部分の中心」にいるカミサマ は、当時長女は「Vのように上が広がったU」と実際は言っていまして、おそらく紙の ・ と半円を指しているように思います。』過去記事の最後
 
中心点とその半円のようなU ですが、偏光の夢もそれに似ているのに気付きました。
 
(本のタイトルの意図 https://note.com/hinata_neko8/n/n4909a5eb1a90 
 
 
一つの存在が自己を知るために分離・分身を創造することによって、人々の間で愛という体験が生まれたように、愛されないこと・たった一人でいることや誰にも気にされない孤独という体験も生まれます。
一方だけではなく両方が存在するのを知っているからこそ、それとして体験できるのですが、分離が進んだ結果として生まれた強い孤独感を何とかするために、方法の一つとして、人形を通じて伝えようとされているのかもしれません。
 
 
 

方法の一つと書いた理由は、まず殆どの男性は人形を使わないでしょうから、それならきっと他の方法があると思います。

人々を言いなりにするのが目的ではなく、ヒントを与えることで、それを元にそれぞれが考えて自分なりの方法を見つけていくのでしょう。
アニキさんとして表現されている優しさや愛を、表面だけで理解すると妄信や依存になってしまいますが、だからこそ少しずつ自分で考えられるようにしていると思います。

 

なぜ「神様」なのか、など色々ありますが、まず気付くことが求められていて、他の注意も別のところに書かれています。

 

(過去記事)

『全てが明らかになっているため、見よう・知ろうとはしない、見てもそれ以上は疑いを持たなかったり、理解を深めようとしないことが、自由意思による選択になるのでしょう。』

 

これも「人型の神」と同様に、人々に明確に知らされているのかもしれません。