私の中に流れているもの | リフォーム未満のおかたづけ

リフォーム未満のおかたづけ

今の暮らしのここがイヤ!
お金をかけて気分一新するも良し。お金をかけずに『何か』を変えるも良し。
娘と息子とラク~に穏やかに暮らし・・つつあります。

ONとOFFの両方とも大事、

鎌ヶ谷のライフオーガナイザー大石です。


「あいでんてぃてぃー」って言葉、カタカナ言葉によくあるように意味が分かったような

わからないような、そんな言葉です。

で、今調べてみたら「自己同一性」とか「自己認識」とか。

日本語に直しても、分かったようなわからないような・・・。



「私」を作っているもとになっている物は、(昔、嫌いだった)父であり、

(最近、この人こんなだったっけ?と感じることの多い)母であり、

そのまた祖先だったり、恩師だったり・・・



でも先日、それだけじゃないな~って思いました。


中学のプチ同窓会に参加してきたのです。


地元富山に住んでいたのは、高校卒業まで。

その後、大阪を経て、今は千葉にいますが、

富山を離れてからのほうが長いんだな~と改めて実感。


でも、でも。

「血」のような濃さでいろんな記憶がよみがえる。


口から出るのは、完全に方言丸出し。


あの風土で、あの言葉で「私」が出来ているのも事実だね。

分かったようなわからないような日本語ではなく、

標準語では表せない実にしっくりとくる方言のニュアンス。


「嫌だ」とか「記憶から消し去った」とか思っても

自分の内側の奥の奥までしみわたってるんだな~。



でも、でも、でも

今の私があるのはこれらすべてのおかげクローバー


って思ったら、嫌だったことも、嫌いだった人も、消し去ったつもりになってたことも

みんなみんな愛おしいもののように感じた。



モノも同じかも。


あんまり気に入ってないけど、あの人からの貰い物だから、とか

どうしてもしがみつきたい過去の栄光の品物、とか


いい思い出も悪い思い出も、どちらもあるから

今の私がいるんだと思えば、モノを手放す時の

ハードルが少し下がるかも。


ゴールデンウィークに仕分けをした押入れの中の

「思い出の品」たち。


その時は

「とりあえず私の部屋にはなくていい」と

押入れから出したものの、物置部屋へと移動しただけ。


今度もう一度仕分けたらもう少し手放せそうな気がするぞ天使



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