東海道復路歩き 2024.5.4. 三井寺 | greenjadeのブログ

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生け花を中心に、discover Japan の日々。

6月になってしまったあせる

5月の連休の

東海道復路歩き

2日目の記録です。

 

帰ってきてすぐに

日経新聞に

白洲正子さんの本

近江山河抄」が紹介され

まさに逢坂の関の部分が

抜粋されてましたひらめき電球

 

すぐに買って読んでますが

近江の地の歴史の

奥深さに魅了されています照れ

 

東海道復路歩き

2日目は実は歩いておらず

大津周辺の

史跡巡りをしたのですが

本を読んでみて

まだまだ見てないものがたくさんあるな、と

大津にまた行きたくてうずうずあせる

 

 

5月4日、

まずは三井寺へ。

 

琵琶湖疎水

きれいだなーと眺めていたら

地元の方が

「桜の時期にいらっしゃい、

きれいよ」

 

両岸が桜の木なので

花の時期は素敵でしょうね。

この若葉の風景も

清々しかったです。

観光船があるようなので

乗ってみたい!

 

仁王門

右に「園城寺」とあります。

こちらが正式名称。

 

天台寺門宗の総本山。

天智・弘文・天武天皇の勅願により

弘文天皇の皇子

大友与多王が建立

天武天皇より

「園城」の勅額を賜り

「長等山園城寺」と称したのが始まり。

 

ではなぜ「三井寺」?

 

天智・天武・持統天皇の

産湯に用いられた霊泉があり

「御井(みい)の寺」

と呼ばれていたものを

後に智証大師が

三部灌頂の法水に用いられたことに

由来するそうです。

 

とにかく広いこのお寺!

重文や国宝のお堂が目白押しです。

 

釈迦堂

室町初期の建築で、

中世寺院の「食堂(じきどう)」

の様式。

 

金堂

総本堂。

こちらで

百体観音の特別公開を

見ることができました!

 

通常は「百体堂」という

別の場所に安置されています。

 

江戸期の観音信仰の高まりとともに

巡礼が盛んになり

いろいろな案内記も

刊行されました。

 

西国三十三所

坂東三十三所

秩父三十四所

各札所のご本尊のお姿を模刻した

百体の観音様が勢ぞろい。

 

これは見応えありました。

そして

「観音様」と一口に言っても

いろいろなお姿があり個性的なこと!

 

それから

西国が西日本

坂東は東日本なのですが

坂東に入ってもよさそうな

秩父だけで三十四あることにびっくり。

 

 

三井の晩鐘

近江八景のひとつ

三井の晩鐘で有名です。

音を聞いてみたかった・・・

日本三銘鐘のひとつだそうです。

 

閼伽井屋

天智・天武・持統の

三天皇が産湯に用いたという

泉が湧いています。

上の写真の龍は左甚五郎作と伝えられるそう。

 

左甚五郎の彫刻は

抜け出して動くという伝説が

とても多いですが

この龍も例外ではなく

夜な夜な琵琶湖に出て

暴れたので

困った甚五郎が

自ら龍の目玉に

五寸釘を打ち込んで

静めた、と伝わります。

 

弁慶の引きずり鐘

この鐘はもともと

俵藤太秀郷が

百足退治のお礼に

竜宮から持ち帰ったものを

三井寺に寄進した、と伝わります。

その後、

延暦寺との争いで

弁慶が奪って比叡山へ引きずり上げて撞くと

「イノー、イノー」(帰りたい)

と響いたので

「そんなに三井寺に帰りたいのか!」

と弁慶が怒って

鐘を谷底に投げ捨てたとか・・・

 

この鐘

傷だらけなのですが

弁慶が引きずったときのもの、

といわれています。

 

弁慶の汁鍋

弁慶が所持していた大鍋で

鐘を奪ったときに

残していったと言われているそう。

さすがに

両方は持てなかったんですね爆  笑

 

一切経蔵

中は拝見できませんが

経典をおさめた

回転式の八角輪蔵が

あるそうです。

 

唐院

智証大師の廟所として

神聖な場所。

 

三重塔

徳川家康の寄進。

もとは奈良県の別のお寺にありました。

 

灌頂堂

密教伝承の道場。

 

微妙寺

三井寺の五別所のひとつで

こちらに移築したもの。

 

もみじの新緑が美しいです。

 

毘沙門堂

新緑の中で

朱塗りのお堂が

より一層鮮やかでした。

 

高台にある

西国十四番札所・観音堂。

 

観月舞台

本堂

展望台に上がってみます。

観音堂を上から見たところ。

琵琶湖の景色も最高キラキラ

 

新緑が清々しくて

あちこちで

何枚も写真撮っちゃう音譜

 

水観寺

こちらも

五別所のひとつで

移築されたもの。

 

お寺の名物

弁慶の力餅をいただきます!

このお皿がオシャレラブラブ

それにしても

弁慶は本来

敵対していた延暦寺の僧なわけで

その名を冠したものが

三井寺の名物になっている、

って面白い爆  笑

 

護法善神堂

 

入り口でいただくパンフレットの

順路案内に従って歩くと

これでだいたい網羅しているのですが

実際にはまだまだ見きれなかった

お堂がたくさんあります。

 

実は帰ってきてから

パンフを見せながら

父とよもやま話をしていて

「ひとつ離れたところにある

お堂に行かれなかった」と言ったら

なんだよーと言われ

「ここ、

新羅三郎義光が

元服した場所なんだぞ」

 

びっくりガーンマジで!?

 

新羅善神堂、というのですが

ここで元服したので

「新羅」三郎義光、なんだそうです。

 

タクシーで行ったことがあって

運転手さんもよく知らなかった、

と自慢?されましたてへぺろ

自分の父ながら

歴史好きで好奇心旺盛、

話していると面白いです。

父には全くかないませんが

私の歴史好きは父ゆずりウインク

 

あーそれにしても

2時間以上かけてまわりましたが

新羅善神堂のほかにも

見逃したものがいくつもあり

また行かなくてはあせる

 

 

それでは次の目的地へ・・・

 

続く