あなたは「わたしはまだ、本当にやりたいことをやっていない!」と思っていますか?
そのために「本当にやりたいこと」を見つけようと頑張っているでしょうか。
それとも、日々の生活に追われて、「こんなのはわたしが本当にやりたいことじゃないのに…」と嘆くばかりでしょうか。
一般的には、「嘆いているだけ」よりも「やりたいことを見つけようと頑張っている」方がよしとされますね。
だからこそ、「やりたいことを見つけようと頑張っている」状態はやっかいです。盲点に気付きません。気付きたくもありません。
あなたが本当に求めているものを手にしたとき…というよりも、最初からそこにあったのだと気付いたとき、その頑張りがまったくの無駄だったと知ってしまうことになるからです。
まったく無駄、なんですよ。
エゴは「いいえ!気付いた人は頑張ってきたからこそ気付くことができたのでしょう?遠回りだったとしても無駄だったなんてことはありません!」と言うでしょう。
それもまたひとつの視点ですね。しかしそれがすべてではありません。
「頑張ってきたからこそ知ることができた」というのもストーリーです。幻想です。
その「頑張ってきたわたし」を握りしめている手を、開くことができますか?
本当にあなたが求めているのは「やりたいことをやる」ということではないのです。
そのことに気付かない限り、あなたは永遠に「本当にやりたいこと」を探し続けるでしょう。
握りしめている手を開いたときには、「すべてが無駄だった」ということに、完全降伏して笑うしかないでしょう。
「すべてが無駄」だから、「何をしてもいい」んです。
そうなったときに、あなたは何をするでしょうね。
それはどんな素晴らしいサイキック能力を持った人にもわかりません。
その瞬間のあなたにしかわかりません。
自分の目で自分の世界を見る覚悟はできていますか?
自分の肉体で、自分の世界を生きる覚悟はできていますか?
そのような問いが内側から聞こえてきているのなら。
握りしめている手を開くときなのかも知れませんね。
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