一度レビューを書いたのだが、先週末にやっていて再鑑賞してしまったので、

色々と追加して、こっちに持ってきた。

松田優作とか沖雅也とか、今は亡き俳優たちがたくさん出ている古い映画

乱れからくり』は、1979年の映画らしい。

 

◆◆以下、2021年3月に書いたブログ記事◆◆

 

しんのすけさんのブログに、からくり人形展の話が出ていた。

横浜だそうだ。行けるかな……

江戸のロボットが現代に蘇る 横浜高島屋でからくり人形「九代 玉屋庄兵衛展」(おたくま経済新聞)

 

からくり人形の小説は複数あるものの、

読んでいると実際の人形を見たいという思いが強くなり、

小説がおろそかになってしまうのが考え物だ。

動いているからくり人形はないか、と探して、これはyoutubeにあったもの。

 

 

オルゴール館のオートマタも美しいし、オルゴールも好きで集めてはいるが、

動きの複雑さに関しては、からくり人形は群を抜いている。

ちなみに、弓曵き童子は田中久重の作なんだそうだ。東芝の創業者ですってさ。

ナノマシンだの、マイクロドローンだの、喜んで作る日本人の血筋は、

江戸から続いていたのか、と実感したりする。

 

さて。

からくり人形映画といえば、泡坂妻夫原作の『乱れからくり』だ。

原作の切なさとか不思議さ無常さと、無理のない荒唐無稽さが好きだったのに、

探偵役も違うし、犯人も違うし、まったく別のお話にされていた。

 

そもそも、隕石どーした?

 

◆◆再鑑賞したのでこのあたりから追記いろいろ◆◆

 

ずっと、長い間、泡坂妻夫のファンだった。

いや、映画があることは小説を読んだ時点で知ってたんだけどもね、

ちょい、理由があって観ていなかった。

(以下、小説版映画版絡めて豪快(?)にネタバレします。)

 

玩具メーカー「鶴寿堂」の製作部長の馬割朋浩(沖雅也)が交通事故に遭って死んだ。息をひきとる直前、同乗していた妻、真棹(篠ひろ子)の首を締めようとしながら。「鶴寿堂」社長・馬割鉄馬に依頼されて会社乗取り工作を調査していた興信所の社員勝敏夫(松田優作)は、すんでの所で真棹を助け出した。馬割家は江戸時代以来の人形作り一節に歩んできた一族で、現在は、脳溢血で倒れた三代目の鉄馬に替って息子の宗児が営業部長を、鉄馬の弟、龍吉の息子朋浩が製作部長を担当して店の経営にあたっていた。しかし、朋浩の妻、真棹と宗児には肉体関係があり、朋浩と宗児の仲は業界でも評判の険悪なものだった。やがて「朋浩さんは殺されたのよ!」と話していた宗児の妹の香尾里が屋敷内で殺された。馬割一族の屋敷は〈ねじ屋敷〉と呼ばれるほど迷路の入り組んだ邸宅で外部の者はとても自由に歩けない。犯人は内部に存在するのか? つづいて宗児が自分の自慢の茶運び人形に仕掛けられた毒入りの注射器で殺された。敏夫は、茶運び人形の作者が江戸時代末期に金沢で活躍した天才人形師、大野弁吉であることをつきとめ、金沢に飛んだ。そこで、弁吉に鈴木久右衛門という愛弟子がいたこと、そして、ねじ屋敷の見取図を発見した。敏夫は東京に戻り、図面にあるねじ屋敷の洞窟に忍び込むと、そこには毒殺された鉄馬の姿が。警察は真棹を容疑者としてマーク、しかし、ある確信を持つ敏夫は彼女と温泉町に逃れ、そこで燃えるような一夜を過ごす。翌日、謎を究明しようとねじ屋敷に戻る二人。秘密の洞窟に忍び込んだそのとき、二人の前に突如として出現した驚くべき人物--それはなんと朋浩、事故死は偽装で、すべてが真棹に操られていたのである。乱闘の末、朋浩は井戸に落ち、真棹はニューヨークに逃げるのだった。(映画comよりあらすじ。なんで今回こんなに細かいんだ?)

 

 

DVDのジャケットだが、この日本人形、出てこないからね。

小説には出てくるんだけどさ、映画には皆無だからね。

小説版のこの人形、とても愛らしい顔立ちで、

でも、首がグリンと回って、悪鬼のような顔に豹変する。

 

梨割っていう文楽人形などの顔変化のやり方があるんだけど、

原作の説明を読む限り、それとは違う感じだった。

 

この新しい玩具、魔童女(←だっけ?)を馬割朋浩が真棹と一緒に

アメリカの玩具ショーに持っていく、という設定で始まるお話だ。

羽田に行く途中で、降ってきた隕石が偶然車に当たって、

朋浩は真っ先に死んでしまう。

その後からくり屋敷でからくりを使った殺人事件がたくさん起きて、

未亡人の真棹が疑われるけど、探偵とその女性上司が解決……

真犯人はからくりを仕掛けたまま死んでしまった馬割朋浩で、

そして誰もいなくなった、的なラスト。

ざっくりいうと、原作はそんなお話だ。

 

そもそも犯人死亡の状態で自動的に人が殺されていくのが

予想外ですごいトリックだし(アリバイなど調べようがない)

犯人の方も、からくりで仕掛けた凶器が山ほどある屋敷から、

妻だけは助けようと(屋敷から)連れ出すはずだったなら、

瀕死の状態だって「戻るな、米国に行け」って言うよね。

でも自分が死んだ製で妻は屋敷に戻るし、

からくり発動で、連続殺人事件発生、妻、容疑者……

海外に売り込みに行こうという「魔童女」も色々暗示してて

(これが小説としてのミスディレクション)とてもよかったし、

時間で変わる迷路も目新しくて楽しかった……

とまあ、原作はトリック満載新しい試み満載で素晴らしいわけだ。

 

そしてドロドロのお家騒動殺人事件の奥の、

馬割朋浩と真棹夫婦の純愛っぽい必死さ。

馬割朋浩はサエない役者を使わなきゃダメだったんじゃないかな。

オタクで、自分に自信がなくて、でも、蔑ろにされていれば怒る。

妻を慰み者にされれば、苦しむし、相手を憎む。

妻の浮気に怒り狂うのではなく(浮気相手に嫉妬もしてたのかも知らんけど)

妻が自分の親族にひどい目にあっていると判断できる冷静さもある。

ただ、それを人前で断罪する勇気や度胸はなく、鬱々と殺人計画を立てる。

そしてその計画が全部無駄になる、世紀末文学みたいなやるせなさとか、

すべてが終わってから、真棹が朋浩の自分への愛に気づくとか、

それを無にしてしまったことに失望した真棹が、会社を継ぎ、

愛や恋とは無縁の守銭奴になるエピソードとか――

 

大野弁吉(江戸時代のからくり師)とか銭屋五兵衛(金沢の豪商)とか、

歴史上の面白げな人物たちと、それを受け継ぐ馬割一族のおどろおどろしさが、

上手い感じに混ざりこんでるのよな。

 

でも、そのいっぽうで人間のドロドロに無頓着の探偵(宇内舞子)は、

軽妙でニュートラルで、お家騒動に巻き込まれそうで巻き込まれず、

役立たずっぽい助手の敏夫も、馬割家に毒されることはなく

軽妙なままに謎解きをしていく。

(原作の敏夫は映画よりも馬鹿だけど)

 

 

なのになのになのに、この映画は何だ。

刑事ドラマみたいになっていて(松田優作と沖雅也なら両方「太陽にほえろ」?)、

人間関係とか横溝正史風で、その割に舞台がチープすぎる。

原作の謎解きは、刑事もの推理とは別の所だったはずだし……

そもそも、魔童女出てこないし、

ジュモーのビスクドールに似ているっていう宇内舞子役に至っては――なんなのよ。

 

ジュモーの人形は、この顔ね⇒ 

 

日本人でこの顔――要は頬のふっくらした可愛いけどおばちゃんな顔で、

タバコを吸ってサバサバ喋っても、宇内舞子はこの系統の

品の良さと柔らかさのあるキャラだったはず。

野際陽子は悪い役者じゃないと思うけど、顔が違いすぎるし、

セリフも棒読みだったし、サバサバしているというより下品だった。

タバコ云々は時代の違いだったとしても、原作のイメージとも違いすぎる。

 

もちろん、犯人を違う人にしちゃったのは、許しがたいし、

ああ、すべてが破綻している――

ここまで別の話にするのなら、なぜ原作付きにした?

 

原作をズタボロにされてて悲しい映画でした。