ついに4月。娘、はらこ中学へ入学しました。

あっという間過ぎてビックリです。とりあえず忙しすぎて中学用品はすべて小学校6年間もお世話になった近所の制服屋さんで調達。小学校も制服だったのですが、額が結構違ってビビりました。

中学といえば、セーラー服、詰襟な昭和世代の私ですが、時は令和。すでにわが市は昨年からブレザーを全中学統一で採用。

娘はセーラー服を着ることはきっとコスプレでもせん限りないでしょう。
それに先駆けて塾は3月から始まり(友達二人と通っております)いろいろと物入りでお母さんは大変です。
 

春休みは塾はあったものの、祖母や従姉妹と旅行へ行き、友達のおかーさんに私にはよくわからないYouTubeアイドルの歌い手のライブに一緒に連れて行ってもらったりとすっかり満喫し、ぐうたらしていたはらこでしたが、いよいよ、入学式。
私は今回も着物を着る予定だったので、朝は6時起きで娘を放置し7時には着付けへGO!小学校入学式と同じ訪問着に。
8時前に戻り慌てて娘と徒歩で中学へ。(ちなみに我が家から小学校は徒歩3分、中学は徒歩7分ほどです)
今回は卒業式の失敗を教訓に前日から、マイ上履きを用意。中学までは草履でなくクロックスでニコニコ入り口で履き替える賢い母さんです(笑)

娘は自分で着替えるし、楽なもの。しかし、彼女たちは小学校から制服なのであまり制服~という感激はなくなんだか着慣れてる感が…。ジェンダーレスでいろいろ選べるのに、はらこはスカート。リボンの選択。さすがのかわいいもの好き。
女子のスラックス、ネクタイの子はちらほらいましたが、男子のスカートはさすがにいなかったです。

娘の中学は3校の小学校から。ちなみに夫の母校です。夫はスクールウォーズ世代ですので当時は荒れていたそうですが、令和の今そんなことはなく平和な入学式。とは言え、今まで1クラスの保育園、小学校から来た母と子にとっては人が多すぎる!
そして娘生まれてはじめてに近いクラス分け(正確には2歳、年小は2クラスだっだのですが1クラス12名程度だった)

親もドキドキのクラス分け。さすがに忖度が働き小学校からは女子2クラス、男子3クラスにしか分かれず。

娘は保育園からの付き合いであり、部活も一緒だった友達と保育園からの付き合いの男の子1名も一緒で。例のいろいろあったYちゃんとは離れました。残念ながら一番の親友とは別クラス(まぁ塾で会うからいいと思うけど)
担任は若い男性の先生。ここのところずっと女性だったのですがまぁ、彼女は先生を尊敬できるタイプなのでよいと思われる。
大人になって自分の人事異動よりドキドキしたクラス分け。来年からは忖度もなくなるとのことなのでどうなるやら。
入学式はサクッと終わり、写真タイム。ここで6年ぶりとなる保育園の友達&母達と再会。
娘はともかく保育園フレンズたちの顔が成長しすぎててわからない。が、子供たちは意外と普通。そんなもんかしら。

親とはとりたがらないけれど、友達とは撮りたい。まぁコロナがあけてもマスク率高めではあったものの楽しそうで何より。やたら写真を撮りまくって解散。

午後からはとっとと着物を脱ぎすてて、トラブル続きの職場へ…。やっぱりなかなか感慨に浸れないという切ない宿命よ…

いよいよ、中学生。

やりたがりで、負けず嫌い。それなのにどこか幼児性も強く傷つきやすい娘が今まで彼女の個性を知って受け入れてくれていた6年一緒だったクラスメイト達と離れ果たしてどうなのか?親としては不安ばかりですが、本人は「クラス委員もやりたい」「オケ部に入りたい」と野望満載。

女子はすでにいろいろLINEグループ等でもありそうですが、ともかく健康第一で中学生活を楽しんでほしいです。

がんばれ、はらこ。

 

3月11日、娘はらこが12歳の迎えました。
あと数日で中学生。時の流れのはやいことよ!誕生日は前日に科学館へ行き、帰りにデパートでプレゼントを購入。
夫からはヘアアイロンをもらいましたがびっくりマーク私からはシナモロールのぬいぐるみ。アンバランスな思春期らしさというべきか。
あっという間の12年。このまま成人をすぐに迎えてしまいそうでびっくりしております。
今年はホールケーキを買ってもみんなで食卓を囲むことがなくなったので、二人分のショートケーキを買いました。本当はデパ地下で買う予定が人混みに負けて撤収…。翌日職場近くのケーキやさんで購入しました。ダメだ。人混み耐性がゼロ…。

スペシャルショートにしたのがせめてもの罪滅ぼし…。

その8日後、ついに小学校を卒業しました。当日はとても良い天気で(前日は強風、翌日は暴風警報が出て大雨)最高の天気での卒業式、そういえば彼女の卒園式もばっちり晴れだったことを懐かしく思い出す。

今年は卒入学式ともに着物で参加することにした私。卒業式は母の着物を借りました。朝からバタバタで娘の最後の登校姿を見送ることなく着付けへ。
しかもこんな時に限って腹痛!大ピンチ。と思いつつすますものは済ませて会場へ。会場について受付を終了し気づきました。なんと、6年間1度たりとて、忘れなかった父兄用上履きを忘れた…驚き「と、取りに戻ります」という私に(着物だったからか)小学校のスリッパを貸してくださった御恩は忘れません。
うちの小学校、卒業生入場がなく開始の挨拶とともに緞帳が空き、卒業生がどーんと舞台に立っているという演出(まぁ36人という少人数だからこそかもですが)で、証書授与はそれぞれ子供が校長先生から受け取ると、所定位置に立っている親に私に来てくれるんですが…。ここでまた大ピンチ。慣れない着物にスリッパ。我が子の名を呼ばれる前に立ったところで脱げるスリッパ。コントのような私。

何とか、間に合って受け取ることが出来ました。トホホ…。

卒園式の時の号泣を覚えていたので、当然号泣する準備は出来ていたんですが、そんなトラブルもあってこの時点で全然涙も浮かびませぬ。

娘たちの学校は、卒業生の言葉も子供が少ないため一人1セリフ以上あり。娘の出番は「緊張しなさそうで大きな声のあなたに託します」という担任の先生からのお言葉でトップバッター!緊張という言葉を知らぬ娘、堂々と挨拶しておりました。

他の子供達も保育園ほどは知らないけれど何しろ1クラス。全然知らないという子供はおらず、やっぱりいろいろあった中でみんな大きくなったなぁ~と感動。今や仰げば尊しなどは歌わないので卒業生は「旅立ちの日に」在校生は「明日へつなぐもの」と。感動ソングの連続で親の涙腺を刺激。最後に校歌を歌い、卒業生の退場。

卒業生退場の時には、6年生が音楽会で歌った嵐の「ふるさと」(6年生歌唱の音源)がかかり、この退場が一番私の涙腺を刺激しました。

そのあとは学級卒業式。親の想像では先生たちと子供たちがしんみりと思い出を語るんかと思いましたが、なぜか、うちの子供たちはレクを選択したようで、「もしばなゲーム」と「隠れた友達を探せゲーム」で…。親的にはもしばなゲームは帰宅してから近くの公園でやってくれや…と思いましたがね。それもこの子達らしさか。

そして、はらこたちの学校は公立小学校でありながら制服だったので、卒業式も制服。
みんな着こなし感が…。
そして、はけてからの写真撮影…。うちはもってませんけど今時らしくスマホを母に預けていた子供たちは映え写真を撮りたいとなかなか校門前があかず。1時間近くも写真タイムに付き合わされた親は疲れました…。

しかも私14時からは夫の通院介助もせねばならず、着物を速攻脱いでお昼は親子でカップ麺。

意外とあっさり卒業してしまいました。

娘、はらこの小学校は児童数が市内で一番少なく、娘たちは1年からずっと1クラス。1クラスの弊害もあったものの総じて仲は良く、なにしろ先生たちの目が行き届いており、子供たちに対する対応はきめ細やかだったのがありがたかったです。

1~6年まで休むこともほぼなく、元気で通えたこと。部活を頑張っていたこと。児童クラブのもめごとや女の子同士の難しさはあったものの無事に卒業まで迎えられたことを今は素直に喜ばねば。

娘、はらこは負けず嫌いで割と学校ではいい子でいようと頑張ってたなぁ。いつの間にか6年生になり、下級生にやさしくできている姿を見るとほんわかした。児童クラブもぎりぎりまで嫌がりつつも通ってくれました。

生まれた時や1歳くらいまでは「元気でいてくれればよい」だったのが、いろいろと求めるようになり「こうなってほしい」となりがちだった親としての過剰な期待を反省し、中学校へ望む春となりそうです。

ちなみに、さすがの小規模校。ほぼ全員の先生が寄せ書きしてくださるという卒業アルバム。

うらやましいほどいい思い出になったね。中学校もあなたらしく頑張ってほしいです。

 

2024年、あけましておめでとうございます。
そういえば、我が家は本日が入籍記念日でした。すっかり忘れています。夫は忘れないように2001年1月1日に入籍しましたが、思い出しやすい反面、元旦に気を取られて忘れがちですね!

さて、我が家の2023年を一文字であらわすとすると、残念ながら「疲」でしょうか…。高齢者二人と神経難病の夫がいるので、年々大変になるのはもちろんですが、今年は本当にいろいろな出来事が…。

昨年8月から、在宅酸素になった義父は無事に介護保険の更新を(嫁のカンニングペパー、かなり盛りました)要介護2という好成績(笑)でクリアし、デイ週4回、訪看週1回で現状維持。やや物忘れもあるし、もともと頑固ですからあまりこっちが怒ってもしゃーない。とは思いつつ、さすがに酸素ボンベ片手に蚊取り線香に火をつけた時は嫁と大バトルでした。私も本当に強い(怖い)嫁だと思います。
そして、9月にはおそらくデイからもらってきたコロナに私と義母が感染。感染源で間違いなかろう義父は咳ぐらいで無症状。なんということでしょう。お互いたいしたことなかったのが救いです。ま、でも義父はキープと言ったところでしょうか。

義母が、今年は大変でした。80歳も過ぎたので仕方ないとは思いつつ、なぜかしんどいのを知らせずに受診し、町医者から不整脈で救急車搬送。しかもスマホを忘れた彼女、主治医の先生から直接電話をもらい面食らう仕事中の嫁。

仕方なく義姉に依頼しました。結果はたいしたことなかったのでホッですが、これを機に一切の夫の介護ヘルプが難しいとおっしゃり。我が家には毎日平日は3回もヘルパーさんが来ることになりました。まぁ、これは致し方ない。
家事も負担が大きかろうと、言い方は悪いが結婚当初、若夫婦と食事を別にすることを好まず、更に私が作るのを好まなかったということもありまして平日は一緒に食べていましたが、これを機に一切食事は別にしました。

そして、夫は要介護5になりまして。まぁ、本当に大変。神経系難病って本当にむごい病気ですよね…。とは言え、私も大変すぎてレスパイト入院を頼むことにしました。が、これが寝る時間が増えたことと症状の進行もあって、レスパイトから帰る度に介護が大変に…。

ヘルパーさんや諸々の手配。嚥下食の作成などなど私の目に見えない仕事は増えるばかり。しかし、夫にはわからんですよね。ヘルパーさんの「奥様へ 本人がおかずが少ないと言ってます」のメモにはさすがにキレました。一番気の毒なのは夫と思いつつ毎日しんどいっす。
そんな疲労蓄積、しんどい我が家の希望の星。娘はらこは…

1月末ぐらいから始まった1クラスの弊害ともいえる女子のマウント合戦。
人間関係のめんどくささに巻き込まれつつ終えた5年生。

それはともかくとして、手紙コンクールで優秀賞、某絵画コンクールで全国奨励賞をもらい、大変なりに頑張りました。

3月末には祖母、姪と4人であいち割を使って近場へ旅行へ。雨の中でしたが久しぶりの旅行は楽しかったです。

4月はついに6年生。もちろんなりたがりの娘は、図書委員長、縦割りチームの団長と役員づいて張り切っておりました。

その中でも微妙な女子関係。6月にはついに濡れ衣的なトラブルに巻き込まれまさかの親が学校お呼び出し。まぁ、はらこに悪いところはないことは明白でしたが、やっぱり友達トラブルはすっきりしないもんですね。1クラスだとお互いに逃げ場もないし…。今も微妙に気を使いつつあと少しとお付き合いしてるようです。
7・8月は親の誘導もあり、友達二人と塾の夏期講習へ。思ったより試験に緊張する繊細な一面を発見しました。8月は北海道へ旅行へも行きました。
10月末の運動会では、なんと!予想外に代表リレー(4人しか出られない)を勝ち取ってきました。親からすると50メートル走のタイムがクラスで4位だなんて信じられんですけど。後期児童会も、会長はダメでしたが役員は無事ゲットしてきました。

11月は修学旅行。どーでもいい土産を買ってきたり、女子たちは班決めで揉めたりいろいろあったようですが、まぁ楽しめたようでヨシ。

12月の持久走もなんと過去一よい成績で私よりは運動神経が良いことがわかりちょっとほっとしました。あと身長がまさかの急成長。1年で一気に10㎝近く伸びなんかお姉さんになってしまいました。ちょっと寂しい。冬休みも友達と塾の冬期講習へ行き3月からは通うことに決めました。中学まであと少し。

卒業式までのカウントダウンが始まりさみしい母です。

そして、無事人生100年時代でも半分を過ぎた私。年末の人間ドックでまさかの「無症状性の小さな脳梗塞!」発見と。脳ドック恐ろしいですね。様子観察ですが、とりあえず脳血管に悪い要素は全くなく(血圧、血流、血液データー良好、心疾患、糖尿等なし)おそらくストレスだろうと思われます。あまりにも怒りすぎてたせいかと…。今年はストレスをためないよう怒らない母、仏のこむぎを目指したいと思います。つらつらと長々と書きまくりストレス解消し、今年も頑張っていこうと思います。