反応性うつ病からの再生 輝く笑顔を取り戻す物語 | 【医療福祉×メンタルコーチング】スキル習得と起業を支援するブログ

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日本初・精神科医監修の「マインドフルネスカード」開発者。メンタルコーチ育成。経営者。著者。
2021年6月にぱる出版より「幸せなお金を引き寄せる44の心理学レッスン」発刊。

  『反応性うつ病』から再生への道のり


53歳で慢性疲労症候群、適応障害、そして反応性うつ病に苦しめられた美樹さん。新しい部署でのパワハラや人間関係に悩み、職場に入れなくなり、家でベッドに横たわる日々が続いていました😢

そんな美樹さんがマインドフルネス自慈心コーチプログラムに出会い、3ヶ月後には笑顔が戻り、心から人生を楽しめることができるように❣️

10年ぶりに登山を再開し、新しい仕事の構想まで始めるほど身心が回復 ⤴️

この対談では、美樹さんがどのようにして変化を起こしたのか❓


プログラムを通して学んだマインドフルネス、認知行動療法、セルフコンパッションのトレーニングや気づきをシェアしていただきます😊

どんな人でも、状況やタイミングでうつ病に陥ってしまう可能性がある現代✨


この対談では美樹さんの貴重な体験や学び、回復への道のりを共有して頂きます。



こちらの動画をご覧ください💁‍♀️


動画を見る時間がない人は、ぜひ下記のテキストをご覧ください💕😃


  ​メンタルコーチ養成プログラムを受ける前はどんな状態でしたか?


なんだかんだ45歳ごろ(10年ほど前)から 体にいろいろな不調が出てきましました。

当時子どもが小学生。手もかかり、仕事はフルタイム+サ-ビス残業。


職場は男性が多く、体調の話ができる年代の女性はいませんでした。

いつも体のどこかが痛く、子供の受診で小児科に行ったとき、自己免疫疾患の専門医に受診するよう勧められたり、自分でも重い病気ではと心配でしたので、いろいろな医療機関を受診しました。

 

お医者さんは、総合的に見るわけでなかったので、頭痛は脳神経内科や脳神経外科、生理が辛ければ産婦人科、指が痛ければリウマチ科、めまいは耳鼻科のときもありましたし、目が痛いときやぼやけるときは眼科、食欲不振や胃痛は内科、あとは漢方内科etc…たくさん行きました。


検査もたくさんしました。そして結果はどれも異常なし。


「いわゆる更年期障害ですか?」と聞いたこともありますが、ハッキリ言われたことは一度もありませんでした。


更年期障害と言われないのは、少し嬉しくもありましたが、原因不明とは

かえって悶々ともしました。


こんなに辛いのにどこも悪くないなんてと。

 

仕事は、同時にいくつものことを考えながら残業もこなすのが普通。加えて学校役員、地域活動なども盛んで、子供たちも手がかかる年頃で、毎日何をしているかわからくなりそうでした。

 

そしていつしか全身痛に加え、だるさも取れなくなりました。


帰宅時も車で15分のところを休憩しながら1時間以上かかることもしょっちゅうで、よく帰宅後玄関先で倒れこみ、朝まで動けなくなっていました。


あまりにも調子が整わないので、当時の上司にも仕事配分の相談をしましたが、なかなか理解して貰えませんでした。


慢性的に人不足で、仕事を休むこともできませんでしたので、だましだまし何とかやり過ごしていた感じです。

 



その後、49歳で職場を異動し、慣れない仕事と人間関係で、更にハードになりました。


間もなく、前からの不調に加え、職場で緊張感が取れず、息苦しく、声が出にくくなり、首も回せなくなりました。


原因不明の腰痛で椅子に座れなくなり、デスクワークなのに一日中立ったまま仕事をするときもありました。


月経過多や貧血、逆流性食道炎、乗り物酔いのようなめまいにも悩まされるようになりましたが、メニエール病ではなかったため、めまいがひどいときはトラベルミンを服用して仕事をこなしていました。


同じころから、だんだんと不安感が湧くようになり、不眠にも悩まされるようになりましたので、医師に相談し、薬を処方してもらうようになりました。なので、約5年前から不安感が出るようになった感じです。


2019年頃から、相性の良い精神科医と出会い、依存性の少ない薬など配慮してもらいながら投薬してもらいました。

ここまでは、診断名も慢性易疲労症候群ぐらいで、ほかに病名は言われませんでしたが、精神的にも肉体的にももう限界でした。

 

2022年2月、53歳のある日、職場で苦しくなり急に動けなくなりました。


受診したところ、慢性疲労症候群に加えて適応障害との診断。ドクターストップがかかりました。


2週間ほど休暇を取り、復帰後は体力も判断力も落ち、以前のようには仕事をこなせなくなっていました。ここで、抗うつ薬が処方されました。

 

2022.4には新しい部署へ異動しましたが、ほっとしたのも束の間、全く経験のない業種であったことに加え、上司との人間関係に悩むことになりました。簡単に言えばパワハラです。


いつも緊張感が取れず、精神的にも辛くなり、仕事はおろか、すべての効率がおちていました。


2022.8のある日、とうとう自分の中の張りつめていた糸がプツンと切れる音がしました。 


涙が止まらなくなり、心臓がバクバクし、職場のデスクに座っていられなくなりました。医師から診断されたのは、『反応性うつ病』でした。


その日を境に、心に強烈なブレ-キがかかり、職場の敷地にも入れなくなりました。

 

その後自慈心に出会うまでの3ヶ月間、少しの家事をこなしたら、ベッドに横になることが大半の生活でした。家族にも大きく心配をかけました。



 

  ​どんな変化が起こりましたか❓


本当に不安が激減した

心から笑えるようになった

2ヶ月目くらいから散歩が日課になり

3か月目には10年ぶりの登山も再開

3か月過ぎた頃には、10年以上前のように楽しい事を考えられる自分を取り戻してきた

やりたいことを考えられるようになった

朝らぶに参加したい事を目標にしたら、皆さんの暖かい応援で実現する事ができた

応援しあうコミュニティに身を置くことで、物事も体調も良くなりました

新しい仕事の構想に取り組めるようになった





   この様な変化が起こったのはメンタルコーチ養成プログラムの中でどんなことを学んだからでしょう❓



・恐怖感などの感情にとらわれているとIQが下がる。マルチタスクは効率が落ちる。心が固くなる。私でした。


コントロ-ル戦略ばかりして、感情を押し込めようとしてずっと頭の中から不安やネガティブ思考がグルグル渦巻き離れませんでした。


その時がとても大変でしたので、感情をありのまま湧いてくるものだと認めていいんだと分かった時が、一番嬉しかったです。


感情に反応しなくていい。どうしたいのかゴールに焦点を当てる。とにかくゴール設定。

 

良くない環境であっても、慣れ親しんだ場所は心地よいコンフォートゾーンだったりする・・・なるほどと思いました。恐怖感で・・・


・デフィュ-ジョンで感情と思考を分けること、誰かに役立つ思考か考えること。湧いてきた思考がネガティブでも、その感情は悪いことじゃない。古代に身を守るために大切な機能だったこと。感情が湧いたあとの行動が大切なこと・・・


・自分を責めて、自分が×相手は〇か、自分も相手も×、自己否定・・・

考え方のクセ(基本的構え)に対して、支配される側に自分からなったために、本当に起きた出来事が多かったこと・・・目から鱗が落ちる思いでした。


今ここに意識する。マインドフルであることを意識することが、これほどまでに自分に変化が起き、環境すら変わることに驚いています。


他人の評価を意識しない・・・人が見てるとか、世間体が大切と言われ育ったので、当たり前だと思っていました。


ほんとうは、自分を大切にしてこそ、よくなることばかり、自分を粗末に扱うことがいかに色々とダメージであったかがわかりました。


こどもたちにも、それをそのまま伝えられるようになり、お互い楽になりました。





  ​これからの夢を教えて下さい


・目標は来年度の転職、
・SNSなどで、働く人のメンタル不調に対する活動。
・日本の物を海外へ出品することなど。
 どちらも、ライフワークの一つにしたいので実現に向けて私なりのスキルをあげたいです。


美樹さんの夢を応援しています🎉