アドラー(個人心理学)とは
フロイト(精神分析学)ユング(分析心理学)
とならび1800年代から1900年代中頃まで活躍した精神科医や心理学者たちです。
今回は全体論をテーマにお話していこうと思います。
アドラーの提唱した個人心理学では、人間の人格は意識も無意識も分離不能と考えます。
これを『全体論』と言います。
例えば
宿題や家事など「いろいろやらなくてはならないと思っていたのに
いつのまにか時間だけが過ぎていった」というご経験はありませんか?
私たちはこのような出来事をつい無意識のせいにしてしまいがちのようです。
フロイトやユングは意識や無意識という考えかたのもと、心の中で良心との葛藤が生じ
そして先に挙げた例のように無意識や欲求が意識を踏み越えてしまう考えです。
そこでアドラーは無意識も意識も全部合わせて、その人自身であると考えました。
これは目的に向かっての行動としたとき「つい」や「うっかり」、「~だったのに」
ということも自分の意志で行ったことで矛盾はないということを意味しています。
理性や感情は一見、相反する現象に見られますが
これは矛盾ではなく補う関係としています。
無意識=意識
例えば
「解っちゃいるけれど止められない」ということがあるとします。
でも実際は「止めたい」という自己決定はされていなく
「止めない」ことを選択していることになります。
つまり「止めたい」という意識であっても「止めない」という無意識であるということです。
でも意識も無意識も一つでその人自身ですので、やはり「止めない」を選択しているのです。
これに気付けると
どうなるかといえば、本当に止める方向にへと近づけます。
なぜなら無意識を意識することができるからです。
「止めようと思ってたのに今日もやってしまった。」という出来事があるとします。
これは結局、無意識でやってしまったことでも自分で決めてやったことですから
自分自身に言い訳はできません。
本当に止めたい人はここで無意識を意識化することで
「止めるためにはどうしたらよいだろう?」といった考えに向きやすくなります。
あとはもうお解かりですね。~アドラーの心理学~第2回☆自己決定性☆にもありました。
ユースレス(無益)かユースフル(有益)から自分のできることからやってみる。
ということです。
例えば
「ついまた行ってしまう」という場所があるとします。
そうしたら、先ずは近づかないようにする。その場所を通るけど違うことに意識を向ける。
などなど、涙ぐましいこうした、ちいさな無意識を意識化して積み重ねることで
本当に行かなくなってしまうことも十分に起こりうるということです。
無意識も意識もイコールで無意識を意識化してみる。
「塵も積もれば山となる」ということわざがありますが
みなさまも試されてみてはいかがでしょうか?
というわけで
アドラーの心理学☆全体論☆ のお話
お楽しみいただけたでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
心理カウンセラー 岩本紳吾
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