東京都知事選挙はとうとう明日が投票日 | がいちのぶろぐ

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東京都知事選挙は、それこそ〝話題満載〟の内に選挙運動期間が終わった。こんなに様々な問題点をあぶり出してくれた選挙も、かつてなかっただろう。

 

 

 

これまでの選挙は、仮に〝泡まつ候補〟と呼ばれるような立場の候補者であっても、建前としては当選を目指して活動をするという、最低限の方向性というか指針は存在した。

 

しかし今回の選挙戦では、そうした最低限のあり方さえ、一部の候補者にあっさり見捨てられる結果となった。すなわち、根本的に〝当選を目指さない〟立候補者がいた。

 

その証拠に、20人を超える候補者を同一政党が公認するケースがあった。同一政党が、当選者の数を超える人数の候補者を立てるのは、選挙としては明らかに矛盾した行為である。

 

市町村議会議員選挙では、無所属議員が圧倒的に多いケースがある。いや共産党と公明党から1~2人公認候補が出ている以外、残りは全員が「無所属」ということも珍しくない。

 

こうした選挙では、政党代表として立候補しているわけでなく、個々人が自分の意思と考えから立候補をしている、ということになる。

 

それで仮に、定員以上の無所属候補が立候補していても、それは個々人の問題であるから、当選・落選に関わらず、選挙という視点では何ら問題はない。

 

しかも選挙が終わって当選者が決まってから、おもむろに議会内で〝会派を構成〟する作業が行われる。そこで初めて、無所属と言っても多少の色分けが行われるようになる。

 

つまりは、自民党に近い保守系無所属であったり、立憲民主党と共同会派を作る革新系無所属だったりと、無所属の中でもいくつかのグループに色分けが行われることになる。

 

しかし落選した候補者の中に、仮にどこかの党の公認候補がいたとしても、その政党は定員を超えて候補者を立てていたわけではない、ということだ。

 

ところが今回の東京都知事選挙は、当選者が絶対に1名しかいない〝首長選挙〟であるにもかかわらず、20数人を立候補させる政党というのは、理論上おかしいことになる。

 

仮にその政党に所属する誰か1人が当選したとしても、残りの候補者は同じ政党内で〝共食い状態〟を作っていることになり、しかも1人以外は必ず落選する結果になる。

 

早い話が、この状態は同じ政党内に、当選を目指すことなく立候補している候補者が存在する、という形になってしまう。

 

だから〝首長選挙〟の場合、同一政党からは複数の公認候補を立てることはできない、というように公職選挙法の規定を変えるべきではないだろうか。

 

もし、どうしても複数の候補者を立てたいということでも、1名以外の残りはすべて政党公認ではなく、無所属であれば立候補可能ということにすればいい。

 

こうなれば無所属の複数の候補が、連携して〝当選目的以外の活動〟をしたいと考えた場合、さすがに法的には取り締まれないけれど、連携して同一政党の宣伝はし難くなる。

 

もっともこの場合でも、選挙ポスター掲示板の面的占有を目指して、大量に無所属で立候補をさせ、その掲示枠を宣伝目的に販売する、という今回の手口は実施可能ではあるが。

 

それでも無所属での出馬であれば、供託金は立候補者本人が支払うことになり、現実には他人である政党が支出したとなれば、それは「贈与」となって課税対象になる。

 

つまり、政党の立て替え払いでも、事前に政党から交付したとしても、結果的には「贈与」となるので課税対象にできる。そして、自己資金の証明が出来なければ脱税になる。

 

このように、無所属の場合は立候補の届出時に、供託金について本人の自己資金の証明を添えることを求めるなら、今回の都知事選挙のような〝多数立候補〟はし難くなるだろう。

 

いくら何でも、今回の都知事選挙で示された、余りの〝茶番劇〟や〝あほらしさ〟は、この国の〝首都の首長選挙〟としての品位を疑われる内容だった。

 

ある意味、広告効果を狙った宣伝目的の立候補者がいても仕方がないが、何十人も公認候補を立てるという考え方は、やはり〝自由のはき違え〟と言えるだろう。

 

参議院選挙で当選したけれど、その後、いっさい国会に登院しなかったガーシー元・議員も同じ政党から立候補していた。

 

この党の党首の考え方は、選挙戦術としては意表を突いてはいるけれど、選挙による間接民主主義という概念とは、相容れない行為が多いように思う。

 

既成の大政党だけが正しいとは思わないが、こうした〝摩訶不思議な行為〟の裏には、何か胡散臭いお金の動きがあるように思えて仕方がない。