本を返して、新たに借りて | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

沖縄では今日、梅雨明けが報じられている。その一方で、九州・四国全域が梅雨入りしたけれど、本州はまだどこも梅雨入りが宣言されていない。

 

なんてこった!梅雨明けした沖縄と、梅雨入り前の本州って、いったい全体どうなってるんだろう。数日前には沖縄が豪雨だったり、昨日来、奄美地方が豪雨だったりした。

 

先日のテレビニュースでは、ヨーロッパで気温が40℃台になっていたり、インドでは50℃なんていう数字が出ていたりもした。やはり、地球規模で天候が異常になっているのか。

 

そして今日の天気予報などでは、いよいよ今週末くらいに、本州でも〝梅雨入り宣言〟が出そうだという話題も聞こえてきた。なんたって、もう6月も下旬になったのだから。

 

ところで私は、今日、借りていた本を返しに京都府立図書館へ出掛けた。返したのは、「おんなの史跡を歩く」と題された本だった。

 

 

 

歴史に様々な形で〝名を残す〟ことになった女性たちの、人生にまつわるエピソードと、そのエピソードに関わる史跡をルポする、という趣旨の本だった。

 

もちろん、ただいま大河ドラマで人気上昇中の、紫式部や清少納言なども出て来るけれど、一般的にはほとんど知られていない女性も、数多く取り上げられていた。

 

〝歴史に名を残す存在〟なのに、〝あまり知られていない〟とは、「いったいどういうこと?」と思ってしまいそうだ。

 

そうは言っても、それはこちらの知識が着いて行ってないだけで、言われてみれば、〝なるほどそうか〟となる女性が多い、ということかも知れない。

 

例えば、現在は知名度が〝それほどではないだろう〟と思われる、紫式部の娘「大弐三位賢子」だって、この先のドラマの展開次第では、名前がもっと出てくるかもしれない。

 

 

(蘆山寺には母の紫式部と一緒に、歌碑が建てられている)

 

(大弐三位/有馬山 稲の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする)

 

この人は、紫式部よりも実生活では凄い女性かも知れない。紫式部と同様に上東門院・藤原彰子に仕えたのだが、その後が凄い。後冷泉天皇の乳母となり、そのまま女官長になる。

 

書き出すと長くなるが、最後の職である〝女官長=典侍(ないしのすけ)〟のころには、あの藤原道長の息子で、平等院を作った藤原頼通の時代に、文化面のリーダーとなっている。

 

 

 

また、江戸時代後期~末期の女性としては、例えば徳川家茂に降嫁した皇女和宮や、その前の将軍・徳川家定と結婚した篤姫などは、大河ドラマなどにもなったりして知られている。

 

だけど、幕末の動乱の中で、勤王派として奔走した「村岡局」や、反対に大老・井伊直弼の手足となって働いた「村山たか女」などは、それほど知られてはいない。

 

この村山たか女は、かつて1963年に大河ドラマの第1作となったこともあった。原作は舟橋聖一の「花の生涯」で、主演の井伊直弼に尾上松緑、たか女には淡島千景が扮した。

 

もちろん白黒テレビだったけれど、この大河ドラマは私もリアルタイムで見た記憶がある。というか家中の全員が集まって、それこそこのドラマを見ていたと思う。

 

というような本を返却して、その代わりに新しい本を借りて来た。今日、借りてきたのは、「京都名庭を歩く」(宮元健次、光文社新書、2004)という本。

 

 

 

著者の宮元さんは東京芸術大学大学院修了で、この本を書かれた当時は龍谷大学国際文化学部助教授だった。建築家であり、建築評論家だったが、2017年に若くして他界された。

 

それはともかくとして、宮元さんはプロローグの初めのところで、「庭とはいったい何だろうか」と問いかけられている。

 

 

(京都の庭の代表例といえば「龍安寺」の石庭も挙げられる)

 

それに対するご自身の回答として、「晩年に近付くにつれて徐々に惹かれはじめる」ようになり、「老いや死といったものに対峙して初めて庭の魅力がよりわかるようになる」と書く。

 

つまり「庭園の成り立ちに深くかかわりのある、死=他界の概念」を重要視されている。だから「古来、人々はそこに清らかなあの世を見ようとした」ということらしい。

 

さて、これからじっくりと、この本と取り組んでみたい。京都観光の重要なスポットに、「名庭」があることは疑いもない。そしてそこには、死=他界が横たわっている、というのだ。

 

 

(南禅寺塔頭「金地院」の鶴亀の庭/小堀遠州の作庭)

 

これは、楽しみな一冊というしかないだろう。残念なのは、著者の宮元さんが7年前に55歳という若さで、ご自身が他界されたことだと思う。