安い国ニッポンになってしまったから | がいちのぶろぐ

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安い国・NIPPONになったものだと思ってしまった。今日の、京都新聞オンライン版の記事を見掛けたからなのだが。

 

一つ目の記事は、国宝の知恩院の三門に落書きされているのが見つかった、という記事だった。三門のどの部分に書かれていたのかは、わからなかったけれど、いやしくも国宝である。

 

(知恩院の三門)

 

国宝に落書きされました、で済ましてしまえばどうなるか。日本には各地に国宝の建物がある。例えば〝白鷺城〟の異名をとる姫路城で、もし白壁に〝墨汁〟で落書きをされたなら。

 

次の記事は、こちらも観光の大名所・嵐山の大堰川の、遊泳禁止とされている渡月橋の上流の場所で、水泳パンツや下着姿で泳ぐ外国人観光客がいる、という記事だった。

 

(嵐山/大堰川の景観)

 

確かにこの間の気温であれば、川に入れば気持ちが良いだろうと思う。暑くなって来れば、小さな子どもが噴水のある浅い池などで、水に入っている映像を見ることはある。

 

また、我が家の近くの賀茂川と高野川の合流点には、亀石形の飛び石があり、その周辺でジャブジャブと川に入る子どもたちも少なくない。

 

 

こうしたケースでは、子どもであっても泳ぐほどの水深はなく、せいぜい子どもの〝むこうずね〟くらいの水深のところである。それに、川に入っているのも子どもたちである。

 

一方、嵐山では大の大人が、最初から泳ぐつもりで、それなりの水深がある川に入っている。川の流れは複雑で、時に足を取られて溺れることもある。だから遊泳禁止の場所も多い。

 

 

(保津川下りの到着風景/このあたりの水深なら泳げるけれど)

 

事故が起きてからでは遅い、ということもあるし、それ以上に、山が間近に迫っている川の流れ、という嵐山の売り物の景観にとって、泳ぐ人間の姿は不要である。

 

上流から下って来た保津川下りの舟や、嵐山の辺りを巡る屋形船などは風流なものだ。そこに人間の頭がプカプカ浮いていれば、それも興ざめなシーンになってしまうと思う。

 

 

 

そんな嵐山にしても、国宝の三門の落書きにしても、「おもてなし」などと言って、〝サービスすること=外国人観光客を付け上らせること〟ではないはずだ。

 

なにしろ1ドル=157円では、5ドル(780円)も出せば昼ご飯が食べられるし、10ドル(1,600円)も出せば、大抵の観光スポットには入ることもできる。

 

何とも、安っぽい国になったものだと思う。嵐山で泳いでいる外国人観光客に、「いや、お上手どすなぁ」などとは、間違っても誰も言わないだろう。

 

嵐山で『遊泳禁止』の立て札を多国語で書いて出す、なんて言うのも情けない話だし、祇園で、舞妓さん芸妓さんの〝着物を引っ張ってはいけません〟などというのも情けない。

 

 

(以前に祇園にあった看板/効果はなかったが)

 

「毅然とした態度」と「おもてなし」とは、決して矛盾する話ではない。もっと言えば、国宝に落書きする行為は「器物損壊」だけど、文化財の場合は別途規定を設ける必要もある。

 

「文化財」は単なる「器物」ではないのだから、文化財保護法によって、文化財を故意に棄損した場合には「文化財棄損罪」として加重の罰則を与えるべきだと思う。

 

これは、自分たちの〝誇り〟に対する侮辱行為への罰則規定であり、その対象とする行為は、「国旗を燃やす」ということと同じくらい侮蔑的な内容なのだ。

 

こうしたことを前提に、観光のあり方を再考するべきだろう。この国のこれまでの〝慣習〟とは相容れない「歩き食い」を、「食べ歩き」などと言い換えてしまうことにもつながる。

 

私自身は、決して〝ネトウヨ〟的な思考をする人間ではないと思っているが、それにしても安い国に対しては、安い国に相応しい対応をとられてしまうのだろうかと嘆かわしい。

 

私たちも、過去には外国に出掛けて〝旅の恥〟目一杯カキ捨ててきた、という事実を思い返して、自己批判することも必要だが、同時に毅然とした態度もとるべきだと思う。