「菱田春草と画壇の挑戦者たち」展 | がいちのぶろぐ

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昨日は、私が関わっている「やさしい日本語」を広めるNPO団体の定例ミーティングもあって、なんだか慌ただしく一日が過ぎて行ったような日になった。

 

これは、ブログを書かなかった言い訳ということになるのかな。いや、確かに午前も午後も、精神的には〝多忙な感じ〟を受ける日だったことは間違いない。

 

その上、夜にはサッカーのワールドカップ第二次予選の最終戦、対シリア戦もあり、結局はブログを書こうという気分にはならない日だった。

 

「いいじゃないか、こんな日があっても」と、自分を甘やかしつつ、今日は午後にJR京都駅ビルにある「美術館「えき」KYOTO」へ出掛けていた。

 

現在の展示は、「菱田春草と画壇の挑戦者たち」と題された、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)の創立初期の校長・岡倉天心の周囲にいた、〝弟子たち〟の展覧会である。

 

岡倉天心はボストン美術館中国・日本美術部長を務め、日本の絵画を紹介し、また「茶の本」を著すなど、明治期に海外に日本を紹介した人として知られている。

 

そして、天心の東京美校校長時代の教え子で、若き画学生だった横山大観、下村観山、菱田春草を中心に、〝旧来の日本画〟に対して挑戦を続けた様子が、解説・展示されていた。

 

 

 

この展覧会は、夭折した菱田春草の〝生誕150周年〟に合わせているけれど、春草だけでなく、横山大観や下村観山などが、旧来の日本画へ挑戦を試みたことを主題としている。

 

当時、日本画と言えば、江戸期からの狩野派が重きをなしていた。だが、若き東京美校の画学生たちが、当時の描画法から抜け出して、新しい技法への挑戦を続けたというのだ。

 

それが、日本画の最大の特色である輪郭線をなくした絵画であり、もう一方で、琳派の〝たらし込み〟の技法を取り入れるなどの研鑽を重ねた、と解説されていた。

 

そして、東京美校を離れた後も、彼らは生活に苦しみながらも、日本美術院として自分たちが目指す創作と取り組んだ姿が、作品を介して窺えるように展示が吟味されていた。

 

 

 

横山大観といえば富士山、菱田春草といえば黒猫、といったワンパターンの知識しか持ち合わせていない私も、今日の展示を見て、彼らの画業の到達点を知ることができた。

 

今の私には、これ以上はどう表現することもできないけれど、今日の展覧会のキュレーションの〝確かさ〟のお蔭で、明治期以後の日本画を見る目も少し変わったと思う。

 

もっともこの間、竹内栖鳳や富岡鉄斎の回顧展にも行ったし、それなりに明治期以後の絵画も見たと思っていたが、やはりこうして、新しい切り口から教えられることが多々あった。

 

それにしても、私には行けていない展覧会も幾つもあったけれど、これほど多くの美術展が立て続けに行われるのも、ちょっと凄いことかもしれない。

 

博物館も、奈良国立博物館は、とうとう私は行けず仕舞いになってしまったが、空海と密教関連の展覧会があり、神護寺の国宝「高雄曼荼羅」が修復を終えて飾られていた。

 

また、大阪中之島美術館では、今週末から8月下旬まで「醍醐寺国宝展」が開催される。こちらは、なんとしても行きたいと思っている。