小学校のクラス会だった | がいちのぶろぐ

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「江戸時代に入って間もない万治二年(1659年)」に創業したそうだ。今日は、小学校のクラス会だった。その会場となった場所が、創業以来365年という老舗料亭。

 

 

 

場所は、清水寺から五条坂を下って来て、鴨川に至る手前になる。北東方向には六波羅蜜寺、南東方向には〝京の大仏〟方広寺がある。

 

店名は「はり清」という。「江戸中期の明和年間に播磨屋清七と称した当主の名より『播清(はり清)』の屋号を揚げ」たと、ホームページに記載されている。

 

 

 

そして私が卒業した清水小学校と、この「はり清」がある地域の小学校は、その当時、同じ公立中学に通うという位置関係だった。

 

なので、今日のクラス会の幹事を務めてくれた女性が、このお店を実家とする女性と、かつて中学校時代にクラスメイトだったらしい。

 

だから、ここで行うことにしたそうだ。けっこうなことだ。何と言っても、京町家というにはそれ以上に〝年季〟の入った建物で、ゆったりした広間を会場に充てていただけた。

 

 

 

しかも今日集まれた級友は、残念ながら10人だけだったけれど、たった10人には広すぎるくらいの部屋で、少し大きな声での会話ということになった。

 

 

 

料理は、まさしく京料理と言うに相応しい品々が、次々と並べられた。ビールで乾杯ということだったのだが、私は食道がん発症以来、ずっと禁酒なのでノンアルコール・ビール。

 

 

 

それにしても、今日は欠席という返事の中に、昨年は参加できたけど、今は体調が思わしくないので、という返信ハガキが2,3通あった。やっぱりねぇ。

 

かく言う私も2、3月には3週間も入院し、その間、3月、4月と2回にわたって心臓カテーテル手術を受けた身である。無理ができないのは、私も同様の身だ。

 

それに、いつもなら顔を出すメンバーからも、都合が悪いと数人が欠けていた。それでも、ゆったりした昼食の時間を過ごしながら、ワイワイ、ガヤガヤと取りとめもない話。

 

人先に帰った者もいたが、2時半過ぎに終わって店の前で記念撮影をして、それからは7人が喫茶店で二次会。さらに1時間余り話して、4時前に解散となった。

 

 

小学校を卒業してから、今年で早や65年になる。卒業時の担任の先生が亡くなった年齢を、もう超えてしまっている。

 

それでも、あの時は先生とあそこへ行った、あの時はここへ行ったと、先生を囲んでの思い出話が尽きない。みんな担任の先生が好きだった。それだけは間違いない。

 

 

 

すでに、幽明境を分けた級友も10人近くになった。卒業して早々から、行方が分からない級友も数名いる。ただ今年も、20名ほどに葉書を出したということだった。

 

つまり、卒業時のクラスの人数の半分ほどは、今も案内を出しているということになる。そして、返事があったものも17人だったという。これは立派な数字だと思う。

 

今日の別れ際に、全員が満80歳を超えた年のクラス会を、みんなに連絡して集まる最後にしようと話し合った。そこまで、あと3回ということになる。

 

なんとかそこまでは、〝よれよれ〟になりながらでも参加できるようにしたい。そんな思いを持った今日のクラス会だった。