良い日和で大仙院へ | がいちのぶろぐ

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昨日の大雨は何処に行ったのか、今日は、朝早くこそ曇り空だったけれど、昼前からはすっきりとした青空になり、気温もあまり高くなくて、良い〝お出掛け日和〟になった。

 

 

(昨日の雨で、まだ増水していた高野川(手前)と賀茂川)

 

午前中は、〝さて、せっかくだからどこに行こうか〟という感じで迷っていて、結局、出かけられたのは昼食も済ませた午後から、ということになってしまった。

 

簡単に行けるところへは、もうだいたい行き尽くしているし、〝ここへは行っておきたい〟と思う場所は、もはや〝半日仕事では、まず無理〟というところばかり残っている。

 

それと、今はやはり〝長く歩くこと〟に関して、かなり弱気になっている。長い距離を歩くとどうしても息切れがするし、所々、立ち止まって息を整えたりしている。

 

早く歩こうと思っているわけではないけれど、歩いていると若い人にあっさり追い越される。ただ競争しているわけではないのに、つい早足で歩こうとして息苦しくなったりする。

 

 

(昨日の雨で塵が洗い流され、比叡山もくっきりと見えていた)

 

一昨日、京大病院で心臓リハビリを受けた際に、いろんな測定をされたけれど、6分間に歩ける距離と、その時の1分ごとの酸素飽和度も測定された。

 

その結果、6分間の歩行で、片道30mの距離を7往復+アルファだけ歩けた。大体430mというところだろうか。毎分70mちょっと、という感じだった。

 

しかし6分間歩いた後、数分間はハーハー、ゼーゼーという感じで、かなりひどく息が上がっていた。だから、息が上がらずに歩ける速度は、大体50m/分くらいだろうか。

 

ということなので、今日も出掛けるについて、自分なりの制約はあまりアップ・ダウンがない場所で、かつ2,3時間で帰って来れる場所、という条件で考えた。

 

それで、フッと思い立って、大徳寺の境内にある塔頭の「大仙院」に行くことにした。このお寺には、もう50年ほど前になるが、二度ほど訪れたことがある。

 

 

 

その当時、著書がベストセラーになり、テレビやラジオにもよく出演されていた、この「大仙院」の尾関宗園住職が、現在も健在でおられるはずだ。

 

このお寺の本堂(方丈)は最も古い方丈建築として国宝に指定され、庭園は国の史跡・特別名勝に指定されている。つまり建物とともに、庭も国宝級の指定を受けている。

 

 

 

ただこの数年間は、何度も大徳寺へは足を運んでいたけれど、どうも「大仙院」へ行くのはためらいを感じていた。理由は自分でもわからないけれど、拝観はしなかった。

 

 

 

それで今日は急に思い立って、「大仙院」へ行こうという気になった。なので、午後2時過ぎから大徳寺まで行って来た。このお寺はいつも公開しているので。

 

お寺の内部は、庭も含めて撮影禁止だそうで、本堂(方丈)を取り巻くように南庭と北庭、さらに東~北にL字型になった枯山水の庭園が作られている。

 

 

(南庭)

 

南庭は白砂だけで大海を表した庭、北庭は三尊石を配した庭、そして東~北のL字型の庭は、北東の角に滝石を立てその前から白砂で水流を表し、東庭に舟型石を配している。

 

 

(北東角に置かれた滝石)

 

東~北のL字型の庭は、狭い空間に数多くの石を整然と配した、素晴らしい庭になっていて、この庭が特別名勝に指定されている。

 

 

(東庭の舟型石)

 

また本堂(方丈)の襖絵は、狩野派の祖とされる狩野正信の「四季花鳥図」、弟の之信の「四季耕作図」などであり、重要文化財の絵画がごく普通に目の前に存在している。

 

この「大仙院」は大徳寺北派の本坊であり、古嶽宗亘が1509年に開創し、その後も笑嶺宗訢や沢庵宗彭(沢庵和尚)などの名僧を生んでいる。

 

 

 

というようなお寺だが、今日、私が受付で拝観料を納めて方丈に向かおうとしたら、そこにヒョコッと尾関老師が座っておられた。

 

思わず「お元気で何よりです」と、一礼をしながら声をお掛けしたら、「92歳になりました」と、しっかりとした口調で答えが返って来た。

 

半世紀ほど前、このお寺へ拝観に来て、尾関老師から直々に説明を聞いた時は、40代初めだったわけだ。そして、今なお〝かくしゃく〟とした姿で椅子に掛けておられた。

 

ということで、今日は「大仙院」へホントに久し振りで行ってみた、という日になった。