対話と傾聴のあり方とは | がいちのぶろぐ

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今まで書いて来た私のブログとは、感覚的に少し合わないテーマかも知れないけれど、今日のダイヤモンド・オンライン誌で、〝対話や傾聴〟についての記事が載っていた。

 

小倉広さんという方の、『すごい傾聴』(ダイヤモンド社)という書籍から抜粋した、「『深い対話ができる人』が大切にしている〝超シンプルな質問〟とは?」題された記事だった。

 

それで、「『傾聴』するときには、話し手が話題の『回避』や『転換』のために無意識に使う『曖昧言葉』を、見逃したりスルーして」はいけない、ということから始まっていた。

 

なぜなら、その時に語られた「『曖昧言葉』をひもとくと、『本音』が見えてくる」からだと説明される。

 

「『曖昧に』表現されたことを『明解に』表現し直すこと」によって、「相手の『本心』を探すサポートをする」らしい。

 

「相手が無自覚、無意識のまま『曖昧に』して目を背けていることを『明らかに』して」いけば、「そこに気づきが起きる」というのだ。

 

「その気づきとは『問題の原因』や『解決策』の気づき」ではなく、「自分の本心にきちんと目を向け、それを一切否定せず認め共感する」ということだとされている。

 

「すると、自己否定や禁止令が解け、ごく自然に自分のしたかった方向性が『降りて』くる」という説明になっていた。

 

つまり、曖昧な表現をそのままにしておくのではなく、かといって「根掘り葉掘り」問い詰めるというのでもなく、「自分の『感情』に気付くのをサポートするのが『傾聴』」だという。

 

このようにして、何かを訴えたいと思っている相手が、「自分の感情を深く掘り下げて」行けるように、質問によって引っ張って行く、ということらしい。

 

こうすれば、相手も自分の「思考が進んでいく」ことになる。つまり、「自分の『感情』に気づき、その『感情』を大切にするお手伝いをするのが傾聴」だとされている。

 

だからこそ、「『曖昧言葉』をスルーせず、しっかりと確認」して、「『曖昧言葉』のベールの向こう側に」隠れた、「相手の『本音』」を確認して行く作業を行うことになる。

 

ということで、〝対話や傾聴〟の場では、例えば「彼はいつもあんな感じですから」などと、「あんな」と曖昧に言われたら、「あんな感じって、どんな感じ?」と突っ込んでみる。

 

そうすると、相手は「あんな」の中味を答えざるを得なくなる。これで少し、中味が明快にされる。例えば「こちらの質問に答えてくれない」などというように。

 

そこで新たに出て来た「質問に答えてくれない」という中味を、さらに突っ込んで「答えずに、何をするの?」と聞いて行ったなら。

 

今度は、「質問とは関係がない、自分が言いたいことを主張する」といった回答が返って来るだろう。その時には、「あなたは何と言うの?」と引っ張って行くことができる。

 

話している人は、そこで、「あきらめて無言になります」などと答えるかもしれない。こうして、「あの人はあんな感じ」という〝曖昧な言葉〟の中味が、随分と明確になってくる。

 

このようにして〝引っ張って行った〟なら、言いたかった中味の「本音」の部分が見えて来るだろうというのが、この記事で示されている「傾聴」というものの本質だと思う。

 

単に、相手の言うことをじっと聞いてあげるだけが「傾聴」ではなく、相手が隠していたり、語り切れていなかったことを引き出すのが、「傾聴」の本質だということだ。

 

そのために求められているのは、相手の本音を〝引き出す〟という行為に結び付くような、「対話」だということになるのだろう。

 

小倉さんが言われている、こうした〝対話と傾聴〟のあり方は、これからも頭のどこか片隅にずっと置いておきたいと思う。