「雪舟伝説―『画聖』の誕生」展 | がいちのぶろぐ

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このところ外出が多くなっている。今日は、早くに前売り券を買っていた、「特別展 雪舟伝説―『画聖(カリスマ)』の誕生」展に、京都国立博物館へ出掛けていた。

 

 

 

雪舟は〝小坊主〟時代に、経を詠まずに絵ばかり描いていると折檻され、柱に縛られていた時に、自分の涙を足先につけて鼠の絵を描いた、というエピソードで知られている。

 

この話は、江戸時代の狩野永納が編纂した『本朝画史』(1693年刊)に出ている話であり、後の世に創り出された伝説かも知れない、とされているけれど。

 

それにしても雪舟と言う画僧は、室町時代に活躍した我が国でも最も知られた画家の一人だと言っても良いだろう。「雪舟」は号で、諱は「等楊(とうよう)」と称した。

 

 

 

この人の凄いところは、国宝に指定されている絵画が6点にも上ることである。この点数は、画家としては最も多く国宝指定を受けているということだ。

 

 

(京都新聞に掲載されていた「秋冬山水図」(国宝)」

 

それとともに凄いのは、時代が江戸時代へと下るにつれて、雪舟の絵画を敬慕し、その模写をする画家が多くなっていった、ということらしい。

 

長谷川等伯や雲谷等顔などが、まずは世襲の弟子筋に当たると名乗り、その後は、狩野探幽をはじめとして、狩野派の多くが雪舟の模写をしている。

 

また今日の展示の解説では、芭蕉の「笈の小文」という俳諧紀行の中にも、「歌の西行、連歌の宗祇、絵画の雪舟、茶の利休」として名前が掲げられている、と記されていた。

 

この展覧会が始まる前から最近まで、京都新聞の紙面には、何度もこの特別展を紹介する記事が掲載されており、私もその記事であれこれと事前知識を吹き込んでもらった。

 

 

 

ということで、今日は大型連休が終わって数日が経過し、平日でもあるから、多少は空いているだろうと思って、京都国立博物館へ出掛けて行ったのだが。

 

連休中と比べれば、きっと空いていたのだと思いたい。だけど、私の想像をはるかに超える観客が、この展覧会に詰め掛けていた。

 

第1章として「雪舟精髄」と題された展示室には、いきなり6点の国宝と3点の重要文化財が並んで展示されていた。

 

 

 

なんという贅沢な、そして大胆な構成だろうか。これらを見るだけでも、お金を払った値打ちがあったと思った。絵心のない私にも、それくらいに素晴らしかった。

 

続く第2章「学ばれた雪舟」でも、真筆かどうか多少の疑問が残るという「伝雪舟」も含めて、重要文化財・重要美術品も含めた10点が展示されていた。

 

これらを鑑賞するだけでも、何しろ人が多いから、飾られている絵の前をノロノロと進むこともあり、随分と時間が掛かってしまった。

 

さらに第3章以後は、雪舟もちらほらはあるけれど、長谷川等伯と雲谷等顔という雪舟の継承者があり、その後の展示室は雪舟伝説とともに、模写された絵画が並んでいた。

 

そこに並ぶ模写した画家の名前は、狩野探幽の多くの作品があり、江戸狩野派の狩野常信・狩野尚信、京狩野派の狩野山楽、琳派として知られる尾形光琳や酒井抱一もある。

 

その他にも、円山応挙や伊藤若冲、曽我蕭白に原在中など、江戸時代の〝ビッグネーム〟はすべて網羅されている、と言っても過言ではない。何じゃこれは、という感じがして来る。

 

中には葛飾北斎や、日本の西洋画(油絵)の創始者とも言える司馬江漢までが、雪舟をフィーチャーした模写を行っているではないか。

 

つまり、この特別展のサブタイトルである「『画聖(カリスマ)』の誕生」ということが、これで証明されたことになる。それくらい、ビッグネームが次から次へと並んでいた。

 

出品点数としては、せいぜい90点足らずなんだけれど、私はとにかく疲れた。疲れまくって、終いには〝もう狩野探幽くらいでは何とも思わないぞ〟くらいの気分になっていた。

 

 

(「天橋立図」(国宝)のクリアファイルを購入)

 

この展覧会を見終わるまでに、たっぷり2時間は掛かってしまった。さらに、出口の横にあるショップでクリアファイルや絵葉書、さらにガチャで缶バッジまで求めてしまった。

 

 

(ガチャの缶バッジは原在中の「富士三保松原図」だった)

 

という一日になったのだが、この特別展は京都だけの開催ということらしい。あまりに〝もったいない〟という気もするが、見せてもらえた私はラッキーと思っておく。