新たに国宝となった観音さまに | がいちのぶろぐ

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日本人が〝仏さま〟と出会った時には、どんな言葉を口の端に上らせるのだろうか。何をまた、突然に言い出しているのか、だって?

 

多くの日本人は、子どものころから食事の前に手を合わせて、「いただきます」と言って育ってきている。つまり〝刷り込み〟がなされて、それが習慣として染みついている。

 

だとすれば、仏像やお仏壇の前に進み出た時も、それぞれ個々人が手を合わせて発する言葉には、なにがしかの刷り込みがされていたとしても、不思議ではないだろう。

 

私の場合であれば、それは間違いなく「ナムアミダブ」という〝音〟になると思う。正式な言い方である「南無阿弥陀仏=ナムアミダブツ」ではなく。

 

同じように、法華経信者の家庭で育った人であれば、「南無妙法蓮華経=ナンミョウホウレンゲキョウ」かも知れない。

 

今日、お寺の前のポスターで見かけた言葉は、「南無大師遍照金剛=ナムダイシヘンジョウコンゴウ」となっていた。〝弘法大師さん〟の真言宗のお寺だったから。

 

 

 

ということで、今日は今にも雨粒が落ちて来そうな空の色だったので、あまり遠出にはならないように、だけどこの間、行きたいと思っていたお寺へ出掛けていた。

 

それが「千本釈迦堂 大報恩寺」である。いやここへは今月の初めに、「阿亀桜」を見るために行ったところではないか。そうなんだけど、ちょっと〝ワケアリ〟で。

 

 

 

桜を見に行った時は、家人ともども出掛けて行った。ところが、家人は仏像やお寺の由緒などはあまり興味がない。花や景色を見るために出掛けたい方だ。

 

 

 

私はむしろ、花よりは仏像や建築、由緒や故事来歴などに興味があるのだが。だから、2人で〝桜を見に行く〟と決めたなら、その他の目的は切り捨てられてしまう。

 

なので、今日は独りで「千本釈迦堂 大報恩寺」の〝霊宝殿〟見物を目的として、サッとひとっ走り出掛けてきた。我が家からバスに乗れば、せいぜい15分ほどの距離だから。

 

 

 

今回、「千本釈迦堂 大報恩寺」の霊宝殿で見たかったのは「六観音像」。これは国の文化審議会が3月に出した答申で、国宝に指定されたばかり、というホットな仏像(笑)。

 

この6体の観音像は、「平安~鎌倉時代に盛んになった六観音信仰を伝える貴重な像で、地獄道や餓鬼道などの『六道』から人々を救う仏として信仰を集め」ていた(読売新聞)。

 

 

(京都新聞の記事より)

 

保存状態が良かったため、〝新しい時代のものでは〟という見方があったくらいだそうだが、胎内に1224年の造像年が記されていた。だから今年は、ちょうど800年目になる。

 

この6体の像は、「運慶の次世代として注目される『肥後定慶』の銘」(京都新聞)があり、〝現存する最古の代表作〟と見られているらしい。

 

「六観音信仰」はいわゆる「六道輪廻」と結びついており、今日も、霊宝殿で見た像の説明に、それぞれの観音像の名とともに、「六道」のどれに当たるかが示されていた。

 

ちょっと退屈になるが、説明板からの内容を書き写しておく。

如意輪観音=天道 准胝観音=人道 十一面観音=修羅道

馬頭観音=畜生道 千手観音=餓鬼道 聖観音=地獄道

 

また、この6体の観音像と同時に作られたのではないか、とされている木造地蔵菩薩立像も、今回、合わせて国宝に指定された。

 

もっとも、准胝観音像と地蔵菩薩像の2体は、調査のために出張中ということで、今日は残念ながら不在だった。

 

 

 

それと、このお寺は「千本釈迦堂」である。だから、ご本尊は本堂にある「釈迦如来」像ということになるが、こちらは秘仏となっていて本堂の内陣にあって非公開。

 

 

(本堂も京都市の町中では最も古い建物として国宝に指定)

 

この釈迦如来像は、快慶の弟子の行快・作だそうで、霊宝館にはこのご本尊の写真が展示されていた。

 

 

(散り残った普賢象桜)

 

ところで、今月の初めに桜を見に来た時には、「御衣黄桜」と「普賢象桜」はまだ咲いていなかった。今日見たところ、「普賢象桜」は萎れ倒していたが、まだ微かに花が着いていた。

 

 

(下に落ちた御衣黄桜)

 

一方、「御衣黄桜」は樹の上では散り果てていたが、樹の下に〝緑色の花びら〟の中央が薄紅色に染まった花が、それでもまだたくさん散り落ちていた。