体調の悪い日が続く | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

一昨日のブログに、体調が急激に悪くなったことを書いた。そして昨日は、私が関わっている「やさしい日本語」を広める団体の通常の活動を、とうとう欠席してしまった。

 

昨日は、この間制作を進めてきた「やさしい日本語・薬局ドラッグストア編」について、発送作業を行う予定だった。だから、何よりも人手が必要だった。

 

そのために一度は家を出たのだけれど、少し歩いただけであまりにも呼吸が乱れるというか、息切れがひどくなった。

 

なので、これは無理をして誰かに迷惑をかけてはいけないからと、すぐに家に引き返して、メンバーのグループメールに状況を報告した。

 

今まで、高齢者だとか、がんサバイバーだとか言いながら、それでも何とか他のメンバーに伍して活動を行って来た。もちろん、何度かの入院中には制約もあったけれど。

 

それでも、入院中もスマホを使って、イヤフォンで音声を聞きながら、時折りは顔出しモードにして、話だけは聞いていた。

 

ラッキーなことに、私が入院していた時期はコロナ禍の真っ只中でもあり、ずっとオンライン・ミーティングが続いている時期だったから、それでも上手く行っていた。

 

 

 

しかし今回は、私自身がこの息切れと急激な体重増加は、どう考えても心臓にから始まった症状ではないだろうか、という気がする。多分そうだと思うが。

 

とは言ってももちろん素人考えであり、第一、心臓がどうなったのかなどは、私ごときにわかるはずもない。だから、とにかく安静第一にしながら経過を見ている。

 

こうして椅子に座って、パソコンと向かい合っているくらいなら、特にどこがどうというわけでもなく、基本的には何ともないのだが、やはり動き回ることが難しい。

 

半月後には、がんに関する全身の検査があるので、もしこのままで症状が固定できれば、そして何とか病院に行けるようであれば、その時に主治医とゆっくり相談できるだろう。

 

何とも、情けない限りの状況になってしまったと思う。思うけれど仕方がない。これが、高齢者になるということだと思う。突然死に至らなかっただけ儲けもの、と思っておこう。

 

人間なんて、いつどのような状況で、突然に人生を終わることになるかなど、自分でもいっさい想像がつかない。そんな日が来ることだって、特に不思議なことではない。

 

これまでも、医学部を出て大学病院で教授の職にあった同級生が、くも膜下出血で急逝したことがあった。先日は、大学時代の後輩が、いわゆる突然死で亡くなった。

 

だから、人とは本質的にそういう〝儚い運命〟の下にある存在だと思う。

 

今日は、天気予報よりも悪い状況になって、晴れたり曇ったり、時雨が来たりと目まぐるしく変わる寒い一日だった。

 

関東方面では強風による建物被害も出ているし、東北では季節外れ(?)の大雪で、いきなり除雪に困っている地域もある。

 

いろんな人にとって色々なことが起こったり、誰かに突然何かが降りかかったりして、そして私たちは、自分が生きていることを思い起こすことになる。