京都市の施設に「京都市生涯学習総合センター」(愛称:京都アスニー)がある。生涯学習ということだから、私のようなシニア向けの講座なども頻繁に開催されている。
その京都アスニーには、「古典の日記念 京都市平安京創生館」という、ちょっと珍しい付属施設まで作られている。
ここでは、平安京の時代を中心にした、巨大な復元模型などが展示されているほか、数カ月ごとにテーマを変えたパネル展示なども行われている。
何が凄いかと言って、平安京ができた当時の町の姿を1,000分の1に縮尺した模型が置かれていることかもしれない。大きさが、なんと11m×10mという巨大なものだ。
さらに、現在の京都市動物園の辺りにあった、白河法皇が建立した「法勝寺」の100分の1の模型もある。こちらも3.3m×5.6mというデカいものだ。
この「法勝寺」を皮切りに、名前に「勝」の字が着けられた六つのお寺、いわゆる「六勝寺」は、白河法皇から始まる5代の天皇・上皇や皇后によって、岡崎公園一帯に建てられた。
今はすべてが失われ、その地には平安神宮や京都市京セラ美術館、京都市動物園、ロームシアター京都、京都府立図書館などが立ち並ぶ、大きな文化ゾーンを形成している。
(平安神宮)
こうした歴史的な変遷なども、この京都アスニーにある「平安京創生館」に行けば、体感的に理解することができるように、展示が工夫されている。
というわけで、私は以前にも何度か行ったことがあるけれど、今日も10日先に迫った「京都・観光文化検定(京都検定)」の勉強に少しは役立つかと、この施設に行って来た。
京都検定の勉強の役に立つように、これまでの1年間も、今まで行ったことがなかった寺社や観光スポットなどに足を運んで、実地に体験するように努めてきた。
(西本願寺の特別公開)
それでも京都検定の対象となる範囲は、歴史や寺社の知識だけでなく、美術・古典文学から芸能・お祭り・花街にいたるまで幅広い上に、歴史的に1200年分の積み重ねもある。
(京都国立博物館で開催された「親鸞」展)
ここまで来れば、多少の悪あがきをしてみても、それくらいではもはやどうなるものでもないとは思う。だから今日は原点に戻って、気分を落ち着かせようと出掛けてみたのだ。
そもそも、平安京が生まれるに至った経緯や、平安時代とは歴史的に見ていったいどういう時代だったのかといったことを、改めて思い返そうと思ったから。
だから、「平安京創生館」に置かれた巨大な模型を見たり、「洛中洛外図屏風」という織田信長が上杉謙信に贈った屏風の〝陶板〟による壁画などを見たりしていた。
400年間の平安時代の終わりには源平の戦いもあり、鎌倉時代以後は室町時代、安土桃山時代、江戸時代と700年間にわたる武家政権の統治の時代もあった。
だけど一貫して、京都は都であり続けた。そもそも「京」であり「都」であるのだから、文字さえ重複していると言ってもいい。今なお、首都は「東」「京都」と表記される。
明日から、市川團十郎さんの襲名という華々しい話題で幕を開ける顔見世興行だって、その舞台となる南座は、日本でも最も歴史の古い劇場の一つということになっている。
(知人が撮影された南座・顔見世の写真)
南座の前に掲げられる「まねき」に使われる文字「勘亭流」だって、その文字を書き続けている書家は、今年から若い川端清波さんに代わったが、この方が5代目を引き継いだ。
こんなふうに歴史を積み重ねてきたことを、肌感覚として知っておきたいと思うから、現地にも足を運んだし、博物館や美術館、資料館などにも積極的に出掛けて行った。
だけど相対する相手が巨大すぎて、何をどれくらい勉強したとしても、分かってきたとか、理解できたなどと言う気分にはまったくならない。
今日も、「平安京創生館」の企画展示では、パネルによる展示として「陰陽道と天文、暦」がテーマになり、単に陰陽師の歴史だけでなく、暦の改定の歴史なども解説されていた。
(天文・暦・渋川春海とゆかりの大将軍八神社)
江戸時代に囲碁の宗家だった安井算哲が、天文にも詳しくて幕府の暦の改定に関わっていたことや、それで名前も渋川春海と改め、暦学中心の生活に切り替えたと紹介されていた。
こんなことも、名前だけはうろ覚えに知っていたけれど、今日のパネル展示で具体的なイメージが湧いてきて、何となく理解が深まったように思える。
こうして、機会があるごとに知識は増えて行くと思っているけれど、だからと言って、これだけで京都検定の1級に合格するとはとても思えない。
また、せっかく覚えたと思っていることも、この年齢になれば記憶力が心もとなくなり、頭の中からボロボロと抜け落ちて行く。やはり、過ぎてきた歳月を恨むしかないのだろうか。