日本大学の騒動が泥沼にはまり込んでいる | がいちのぶろぐ

がいちのぶろぐ

環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

日本大学の経営陣の泥仕合が、まったく収まる気配を見せない。先日の理事会で、学長と競技スポーツ担当副学長に辞任を求めたが、二人はその場で辞任を拒否したと伝えられた。

 

理事会側はこの二人に対して、最終的な態度表明の最終期限を今日に設定していた。ところが今日になって、競技スポーツ担当副学長が林真理子理事長をパワハラで提訴したという。

 

いったいこれは、何がどうなっているのかと思ってしまう。これほど深いぬかるみにはまり込んだ泥仕合は、滅多にみられるものではない。それも、大学という場での出来事だ。

 

これで副学長側は、仮に辞任を受け入れたとしても、その後も林理事長と係争を続けることで、いわば〝死なばもろとも〟とばかり、林氏を泥沼に引きずり込もうということなのか。

 

もはや、日本大学という〝ブランド〟などはどうなっても構わないけれど、自分だけが悪者のように見られて、引責辞任することが我慢ならない、ということなのだろうか。

 

その一方で、日大アメリカンフットボール部から、今回の大麻騒動に関連して3人目の逮捕者が出た、という報道も目にした。こちらは、もう完全にアウトだろう。

 

アメリカンフットボール部は、廃部処分とせざるを得ないだろうが、だからと言って、前理事長に近いとされた幹部職員による大学支配という構図も、簡単には崩れないのだろう。

 

結局、日大という組織があまりにも巨大化してしまい、さらに教員と職員という二重構造もあるから、ガバナンスを行き渡らそうとしても、とても不可能だということなのか。

 

そうであるなら、それこそ〝大学解体〟という文字がチラつき始めてしまう。思い返せば、1967年ごろからの〝日大闘争〟では、秋田明大氏というカリスマが出現した。

 

同時代に大学生活を送った私にとっては、〝日大闘争〟という出来事によって、それまでのスポーツの強豪校という評価から、一気に異なった評価を得たような気がしていた。

 

その後は、日本で最大の学生数を有する大学であり、各地に大学の学部や系列の高校を有する最大級の学校法人グループ、というイメージが出来上がって行った。

 

ところが5年前の悪質タックル騒動以来、結局のところこの大学の本質的な体質は、1960年代当時の大学理事者の意識から脱していなかった、という認識が生まれてきたと思う。

 

良くも悪くも体育会的気質というか、縦の関係による個人の意思の抑え込みという風潮が、この大学にはずっと残ったままだった、という評価がよみがえったと思う。

 

そして前理事長の不祥事を受け、大学イメージの立て直しに就任したはずの林真理子理事長体制は、周囲の抵抗によって何も変えることができなかったことがさらけ出された。

 

そう考えざるを得ない。だからと言って、結果的に、在籍している学生たちを〝可哀想だ〟と言っていいのかどうか、私にはよくわからない。

 

大学理事会がこんな状態であったとしても、圧倒的に大多数の教員は、普通に大学として授業を行い、圧倒的に大多数の学生も、普通に大学生活を送っていたはずだから。

 

こんな状況の下で就職活動を行わないといけない、現在の3年生以下の学生は、どんな気持ちで自分が通う大学の、こうしたニュースと接しているのだろうか。