このところ出歩いていたので | がいちのぶろぐ

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京都・観光文化検定(京都検定)の試験日まで、とうとうあと半月になった。今日は試験実施機関から、受験票も送られてきた。いよいよ来るべきものが来た、という気分だ。

 

 

 

今週の火曜日には〝嵯峨野の秋〟を訪ねて、「宝筐院」から「厭離庵」「二尊院」と廻ったが、中でも特別公開で初めて入った「宝筐院」については、すでにブログに書いた。

 

 

(宝筐院)

 

「厭離庵」は、歌聖と言われる「藤原定家」の山荘跡とされている。それが1772年に霊源禅師によって禅寺となったが衰退した後、明治末期に山岡鉄舟の娘・素心尼が入寺した。

 

 

 

ここも普段は公開していないが、今回は偶然にも特別公開されていたので立ち寄った。ただお寺というよりも、山荘に茶室もあるお堂といった趣きだった。

 

 

(厭離庵)

 

(同 上)

 

最後に立ち寄った「二尊院」は、嵯峨野の中でも、紅葉の時期にはとりわけ大勢の人が訪れる有名な寺院とあって、この時期の拝観料は強気の1,000円也だった。

 

 

(二尊院)

 

〝紅葉の馬場〟と呼ばれるモミジの並ぶ長い参道を通って本堂に上がり、「二尊院」の名前の元である二体の仏像、〝釈迦如来〟と〝阿弥陀如来〟を拝観した。

 

 

(同 上)

 

このお寺には、高瀬川や大堰川の開削で有名な角倉了以と息子の素庵、江戸期の儒学者の伊藤仁斎と息子の東崖、さらに初期の映画の大スター坂東妻三郎の墓などもある。

 

 

 

(角倉了以の像/二尊院)

 

続く水曜日には、「南禅寺」の塔頭で亀山上皇の離宮から始まった、庭が美しい「南禅院」に行ったことも、一昨日ブログに書いておいた。

 

 (南禅院)

 

そして昨日は、祝日で京都の町はとにかく〝ごっつ混んでる〟と思ったので、観光スポットではない町中のお寺の特別公開を拝観に出掛けていた。

 

かつては平安京のメインストリートだった〝朱雀大路〟が、現在は「千本通り」という、そこそこの大通りになっている。その千本通りと出水通りが交わる辺りは、お寺が密集している。

 

「千本出水」から「七本松下立売」にかけた一帯、せいぜい300m四方の狭い範囲に、15カ寺ほどもの宗派もバラバラなお寺が固まっている。

 

そんなお寺の一つである「光清寺」は、1669年に創建された臨済宗に属する禅寺である。このお寺には、昭和の作庭家・重森三玲の最晩年の作となる庭がある。

 

 

 

 

「光清寺」自体は、ホントに町中のお寺という感じで、決して広いわけではない。それでも本堂の前に、重森三玲によって100坪ほどの枯山水の庭が作られている。

 

 

 

 

しかも、この「光清寺」は山号が「心和山」というところから、この枯山水の庭は「心和の庭」と名付けられ、白砂の中に「心」の字の形に石組みが設けられている。

 

 

重森三玲がこの庭を作った時に書いた文章では、「最初から作庭意図を用いた本格的な心字庭は、本庭が最初」であると言っている。作庭は、1960年代後半のことだという。

 

こうした来歴を持つ庭なので、昨日から26日までの短い公開期間だけど、初日となった昨日午前に行った時には、さして広くない本堂にすでに50人ほどの拝観客がおられた。

 

 

 

そんなことで、昨日は紅葉スポットの混雑を避けてはみたものの、町中のお寺とは言え、こちらもそれなりに混んでいるという印象を受ける状態だった。

 

今日の天気予報では、明日から全国的に気温が急降下するらしい。北日本は大雪や大荒れかも、という解説もあった。いよいよ冬が、そこまでやって来た。

 

それでも明日・明後日の京都は、紅葉を求める観光客でエライことになるだろう。だから私は、じっと家に引き籠もって、京都検定に向けた追い込みの受験勉強をしようかな。