時代は動くのだか動かないのだか | がいちのぶろぐ

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創価学会の池田大作名誉会長が亡くなられたというニュースが、瞬時にこの国を駆け巡ったが、思っていたほどの影響は感じられなかった。

 

もう高齢でもあったし、表立った活動をされているという話は、この何年間も聞かなかったし、つまり組織の内部はともかくとして、社会的には過去の人という扱いだったと思う。

 

だから亡くなったと聞いても、正直なところ〝そうですか〟という、ごく冷静な反応が返ってきても当然だったと思う。

 

それ以上にこの間の様々な選挙で、候補者の経歴を見ても、共産党と公明党の候補者は、団塊の世代に該当する70代半ばもおられて、平均的に見ても高齢化が目立っている。

 

かつては、自民党の候補者に高齢者が多かったけれど、それなりに新陳代謝が起きていると思う。それに対して、こういった組織型政党には、新しい血が入って来ないのだろうか。

 

組織がガチガチに強い政党である以上、若い党員であったり活動家であったりする人が、組織に入って、若返りが行われることが少ない組織になった、という状態だろうと思う。

 

それと似たような現象として、生協活動を担っている組合員の減少が止まらない、という話を聞いたことがあったように思う。

 

その時に教えられた減少理由の説明として、いろいろと活動も要求されるから面倒くさいとか、人との付き合いが増えるみたいに思えて、それが〝しんどい〟ということだった。

 

一方で、〝絆〟とか〝連携〟だとか、〝つながり〟などと表現される活動形式もあり、〝人付き合いが面倒〟という考えとは正反対の意見を聞くことも多い。

 

とりわけNPO団体の界隈では、こうした〝つながり〟重視型の人たちが多いように思う。それでもきっと、政党組織の構成員などと言った、〝ガチ〟のつながりではないのだろう。

 

もっと気軽な出会いと協働であれば、楽しく参加することができても、〝かっちり〟とした組織の中で、役割を担って行くというのは〝面倒だ〟と感じてしまうのだと思う。

 

だからといって、相変わらず宗教系の勧誘は続けられているし、それなりに信者数を伸ばしている新宗教もあるように聞いている。

 

こうした現実は、例えばこの間大変な問題となった旧・統一教会のような組織の場合でもそれなりに継続している、ということからも、常に一定の需要があるということだろう。

 

私は、個人的にはまったくの無信心・無宗教な人間なので、ある特定の宗教を信じたり、それが出家にまで至ったりする、という感覚は全く分からない。

 

そんなにも徹底して信じ切れる何かがあることの方が、むしろ私には信じられない、という気になる。それは、宗教に対してだけでなく政治団体でも同じように思える。

 

これをもって、〝支持政党なし〟の「無党派層」というのだと思う。

 

最近の世論調査では、岸田政権の支持率が20%台に落ちて、不支持が60%以上になっている。

 

つまり、無党派層がとても多くて、それが風に吹かれてあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、政権の命運を左右するほどの存在になっている。

 

でもこうした無党派層が、世の中の動きを見る上では、案外もっとも敏感な集団なのかもしれない。自分たちの損得で、とまでは言わないけれど、どちらへ転ぶかわからないから。

 

人間とは、いずれ全員が死ぬと決まった存在である。だから、時が来れば老衰でこの世と別れる人がいる。いや、残念ながら若くしてこの世を去る人もいる。

 

いずれ死ぬ人生だと思えば、一つのことに執着できるほど、一つのことを信じられる人は、きっと幸せな人生を送っているのかもしれない。

 

池田名誉会長が無くなった報道から、漠然とだけれど、あれこれ考えてしまった。でも今回の報道が示しているのは、確実に時代が変わり始めている証明だと思う。

 

今年の新語・流行語大賞の候補にノミネートされた中に、タモリさんが言ったという、「来年は新しい戦前」というのがあった。

 

この言葉は、きっとベスト10などには、ましてや大賞などには絶対ならないと思う。だけど、時代が動いていることを「新しい戦前」と表現したのは、私には秀逸だと思えた。