紅葉シーズンと観光公害と | がいちのぶろぐ

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〽契り置きし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋も往ぬめり (藤原基俊)

 

この和歌の下の句は、「甲斐なく、今年の秋もむなしく過ぎて行くようです」ということらしいが、私は特に何かを「契り置いた」わけでもないが、秋は勝手に過ぎようとしている。

 

昨日あたりからの強い寒気団の影響で、今朝は雨空から薄暗い曇り空になり、午後になってやっと位置的に晴れたものの、気温は一向に上がらず寒い一日になってしまった。

 

今年は、晩秋といった風情もないままで、一気に初冬を迎えたような気がする。三日前に、嵯峨にある鹿王院まで紅葉を見に行ったけれど、まだ十分には色付いていなかった。

 

 

 

それでも今朝の新聞では、京都の南北の大通り「堀川通」の、北寄りの一帯に植えられているイチョウの並木が、黄色く色づいている様子が掲載されていた。

 

 

 

だが夏の猛暑が長く尾を引いた上に、紅葉の時期を迎えるころからは雨量も少なくて、紅葉の色付き具合が何となく〝褐色〟っぽくなり、あまり良い色になっていないように思う。

 

それでも、来週後半の23日の祝日から26日の日曜にかけて、京都市内は紅葉を求める観光客が押し寄せて、とんでもない混雑になると予想されている。

 

さてそうなると、観光客によるあまりの混雑で市民生活にも影響が出始め、バスには乗りにくいし、主要道路は渋滞するしで、これは「観光公害だ」という声が出ている。

 

その一方で、京都の観光産業の側からすると、「観光公害」と言ってしまっては、〝せっかくお越しになる観光客から、悪い印象を持たれてしまう〟と反論が出て来た。

 

 

 

確かに、観光産業の側からの言い分はもっともだと思う。公共交通の混雑や道路の渋滞は、町の活性化という点からすれば、決して「公害」という枠には納まらないだろう。

 

何よりも、京都市は観光が基幹産業の一つなのだから、観光客があって成り立つ街でもある。だから、お客さまを公害の元凶などと言うことはおかしい、というのもうなずける。

 

このあたりが難しいところだ。バスの混雑に対して、観光客と市民が利用するバスを分けるというアイデアも出されていたが、実際問題として実現性には無理がある。

 

コロナ禍以前には、観光地とターミナルなどを結ぶバス路線を設定し、その間にある幾つかのバス停を飛ばして運行するという、観光客に便利な急行バスが設定されていた。

 

しかし、コロナ禍で観光客が激減して以来、急行バスは運行を取り止めている。この際だから、解決策として、春・秋の観光シーズンに限り、これを復活させてはどうだろうか。

 

もちろん現状では、バスの運転手の絶対数が不足しているために、従来の路線を維持するだけでも窮屈になっている。それに上乗せしての運行となると、かなり難しいだろう。

 

さらに京都市の財政赤字の影響で、市としては公共交通の料金を上げたくて仕方がない状況だと思われる。そんな時に、この従来路線の乗客増加は有難い話なのだろう。

 

おまけに、宿泊・飲食といった観光関連の産業では、非正規従業員の人数が圧倒的に不足している。そこへ「観光公害」などと言われては、働く従業員の士気にも関わって来る。

 

だから、今回の〝反論〟ということになったのだろう。難しいテーマであることは間違いないが、それこそ、どこでどう折れ合うのか、市民を巻き込んだ議論が求められていると思う。