昨日、京都はお祭りの日だったが | がいちのぶろぐ

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昨日、10月22日は、京都では「三大祭」の最後となる「時代祭」が行われ、夜には「鞍馬の火祭」が行われた。

 

「時代祭」は、平安京に移って1100年目となる明治28(1895)年に、『平安奠都千百年記念祭』が行われ、その奉祝行事として始められた、という由来を持っている。

 

 

 

この時に同時に、「桓武天皇」を奉祀する神宮として、平安京の主要な建物だった「朝堂院」を8分の5にスケールダウンして建てられたのが、現在の「平安神宮」である。

 

 

 

つまり平安神宮も、遷都1100年を記念するモニュメントの建造物として建てられた。このように、巨大な箱モノを作り、大イベントを打って京都を盛り上げた、ということになる。

 

それ以来、平安神宮は京都市民全体の〝総氏神さま〟という立場になり、「時代祭」はその氏神さまのお祭りという位置付けになった。

 

(以前に見物した時の写真)

 

だから時代祭の〝時代行列〟も、「平安講社」という市民組織が主催し、基本的にはそれぞれの学区を単位として、人を出して行列を構成している。

 

 

(同上/先頭が維新勤王隊の隊列で、時代をさかのぼる)

 

そのためコロナ禍の前の年には、私の小学校時代の級友が、織田信長の「織田公上洛列」の行列に、「滝川一益」という戦国武将に扮して、騎馬で行列に参加したこともあった。

 

(同上/滝川一益に扮した級友の晴れ姿(?))

 

このように、時代祭はある意味で〝市民ぐるみのお祭り〟ということもできる。しかし現在は、この行列が8つの時代区分で20の行列構成となり、結果2千人もの人が歩いている。

 

だから、時代絵巻とか歴史絵巻などと言われるけれど、全部を見ようとすれば、2時間近くも掛かってしまうという、とても大掛かりなイベントになっている。

 

 

(同上/平安女人列の清少納言)

 

それでも昨日は好天にも恵まれ、新聞記事によれば、過去10年では最多となる人出になったそうだ。とにかくこのところの京都市内は、外国人観光客が大幅に増加しているから。

 

 

 

それに、来年のNHKの大河ドラマは「紫式部」を主題とするから、3年前の〝明智光秀〟の時はコロナ禍で観光客が呼べなかっただけに、来年に向け京都市も気合が入るだろう。

 

というような時代祭の日だったが、私はこの間、あちこちへと外出しっぱなし状態だったから、時代祭は〝さすがに、もういいか〟という感じで、今年は見物を見送った。

 

というより、時代祭を避けてどこかに行こうと思えば、市内のメインストリートは行列が通る関係で、市バスが大幅な迂回や通行制限を受けるので、どこへも行き難くなっている。

 

昨日はフェイスブックを見ても、大勢の知人の方が時代祭見物の投稿をされ、写真をたくさん見ることができた。とは言えこの行列は、毎年、特に内容が変わることもないから。

 

というようなことだったが、昨夜はまた、〝鞍馬寺の麓〟にある「由岐神社」の祭礼が行われる日でもあった。この祭礼が、俗に「鞍馬の火祭」と呼ばれている。

 

 

 

こちらは、古く平安時代の西暦940年までさかのぼる行事だそうだ。内裏に祀られていた「由岐大明神」が鞍馬に遷座された時に、それを村人が出迎えた様子を再現している。

 

祭礼は宵闇が迫るころに始まり、幾つもの大松明を掲げて道中を照らし、由岐神社まで神様を道案内する、ということから、この祭礼が「鞍馬の火祭」と言われるようになった。

 

 

 

ただし、あくまでこの松明は祭りの前段階であり、鞍馬寺の山門前の鞍馬街道に松明が集まったところへ、由岐神社から2基の神輿が降りて来る、という祭りの〝本番〟を迎える。

 

この神輿は山門前の街道から、最後は御旅所まで担がれてゆく。だが由岐神社から鞍馬寺の山門前までは、かなり長い階段を下って来る。つまり、けっこう危険を伴う行事でもある。

 

 

 

ということで、祭礼が終わるのはだいたい夜の11時頃になってしまう。しかも、さして広くない鞍馬街道は、祭礼で通行止めになるから、観光客の帰りの足は叡山電鉄だけとなる。

 

臨時運行の電車が夜中までかかって、観光客を市内へ運んでくれるけれど、ずっと満員電車が続くから、ちょっとやそっとでは市内まで帰って来れない、ということになる。

 

だからこの「鞍馬の火祭」は、見物に行って帰るだけでも、大変厄介なお祭りである。実は私も随分と長い間人間をやってきたが、このお祭りだけは、残念ながら行ったことがない。

 

それもひとえに、ほぼ徹夜に近いほど祭り見物に時間を要する、ということが原因している。しかも、翌日が平日であれば学校や仕事もあるから、余計に行き難いことになる。