伝える文章ではなく伝わる文章 | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
観光・伝統産業関連などについて、「がいち」が考えたこと、思ったことを書きとめてゆきます。

私自身はこのブログも書いているし、何よりも「やさしい日本語」を広めるNPO団体で活動をしている、という状況にある。要するに、言葉と向き合うことが多い人間だ。

 

そんな私にとって、心すべき文章と出会った。「Kyoto love Kyoto. 伝えたい京都、知りたい京都」という〝ネット情報誌〟と言えば良いのだろうか、そこで見つけた文章だ。

 

ここでライターをされている100名余りの方々は、それぞれが〝京都の何か〟と深く、長く関わってこられた人たちで、その体験から、深掘りした京都の話を寄稿されている。

 

そんな中で、「三若神輿会幹事」であり、「日本ペンクラブ」の会員でもある、デザイン会社の役員・吉川 哲史さんという方が書いておられた文章と出会ったのだ。

 

「伝わる文章はハードル走の勝者。勝負の決め手は『おもてなし』」と題されていた。つまり、三若神輿会という〝祇園祭のお神輿〟の話ではなく、ペンクラブの話の方だ。

 

さて、吉川さんの記事は、「『心』が入っていない文章は、文字という記号が並んでいるだけ」と、のっけから厳しい発言で始まっている。

 

そして、「文章を『伝える』という意識で書くと、たいてい失敗」するから、「伝えるではなく、『伝わる』を基準に考える」ように、と指摘される。

 

「『伝える』の主役は自分」であり、「自分一人で完結できる行為」だけど、「『伝わる』の主役は相手」なのだ。「文章を読み、(中略)行動するのはすべて読み手である相手」だから。

 

実に、耳の痛い指摘だ。私たちが「やさしい日本語」という、外国人とコミュニケーションを取るための道具と考えている行為も、まさに「伝わる」を目指しているはずだ。

 

とすれば、「『相手のココロに負担をかけない』『相手のアタマを使わせない』文章」を目指すべきだ。これを「ひと言でいえば、読みやすい文章」を心掛けることなのだ。

 

吉川さんは、「読みにくい文章は読み解くのに時間がかかり、相手の時間を奪っている」のだから、「わかりにくい文章は時間ドロボー」だとまで言っておられる。

 

つまるところ、文章表現とは「『見た感じ』が大切」になる。「『パッと見た感じ、読みやすそう』な文にする」ことが、必須のポイントなのだ。

 

文章だから読むもの、ではなく、文章を一目見た時に〝読みやすそう〟と思って、取っ付いてもらわないといけない。「読みにくそうな文章だと、読む前から心に負担をかける」から。

 

それとともに、「何と何の話をするのか?それは、どんな順番で書かれているのか?を最初に示す」といった、テクニックも教示しておられる。

 

「『相手がわかる言葉を使う』など、読み手の負担を徹底的に軽くする」というように、「常に読み手の立場になる」ことが肝心かなめだ、と述べておられた。

 

吉川さんが言わんとするところは、私にも十分よく解る。何よりも〝読み手に伝わる〟文章を書きたいと、私も常々思ってはいるのだが、なかなかその境地には達していない。

 

今日も、このブログを書き終わって、さてどうなんだろうかと、自己検証をしなければいけないだろう。でも、到達点まで先は遠いし、なかなか難しいよなぁ。