言葉の難しさと言葉の消滅と | がいちのぶろぐ

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環境問題と経営の接点、中小企業の戦略やマーケティング活動,
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本当にあった話なのか、それとも噓というか〝フェイク・ニュース〟だったのか、コトの真相はわからないけれど、なるほどと思ってしまうような有りそうな話。

 

あるテレビ局がバラエティ番組か何かを放送していた際に、画面の一角に出ていたテロップの文字が、〝殺チュウ剤〟と書かれていたらしい。私はこれを直接見たわけではない。

 

ただ、ネット上を流れていた〝笑えない笑い話〟として知っただけだが。この文字のどこが〝おかしい〟のかって?これが〝殺虫剤〟であれば、全く不思議でもなく理解できる。

 

では何だったのか。それは〝ネズミ駆除剤〟だったのである。鼠退治のためのお薬ならば、「殺鼠剤(さっそざい)」という言葉になる。もうお分かりいただけただろう。

 

画面上に、〝殺鼠剤〟という文字を表示したいと思った。だけど、『文字変換』を行ってみても、どうしても「鼠」という文字が出てこなかったと思われる。

 

担当した人間は、ネズミ駆除の薬だから「殺ネズミ剤=殺チュウ剤」だと、信じていたのだと思われる。ところが、である。「さっちゅうざい」と入力したらどうなるか。

 

当たり前だが、〝殺虫剤〟とだけ表示される。そこで担当者は考える、「なぜだ?」と。そしてとうとう、「そうか、このワープロ機能の文字変換がアホなのだ」という結論になる。

 

〝ねずみ〟と打ち込めば、きちんと変換しただろう。だけど、そこまで知恵が回らなかったのか、または〝鼠〟を「そ」と読むことすら、まったく知らなかったのか。

 

結果的に、〝チュウ〟と無理矢理に書き込んだ。それがなぜか、第三者のチェックを潜り抜けて(いや、きっとノーチェックで)放送に出てしまった。

 

こうなれば、もはや〝放送事故〟レベルのお粗末さである。

 

さて、問題はここから始まる。貴方は、日本語という言葉が、恐ろしいほど学習困難な、難しい言葉だということを知っているだろうか。当然、ご存じだと思いたいが。

 

「明」この字をどう読めばいいか。明治=めいじ、無明=むみょう、明日=あす・あした・みょうにち、明らか=あきらか、明るい=あかるい。〝明朝体〟となれば「みん」と読む。

 

〝なんだ、これは〟と思わない方が不思議なのだ。中国語でも韓国語(ハングルでなく漢字表記として)でも、一つの文字はほとんど一通りの読みしかない(まれに例外がある)。

 

日本語には、元の漢字の読み(音読み)と、日本の言葉をその漢字に当てはめた読み方(訓読み)がある。さらに音読みは、中国の時代ごとの〝発音の変遷〟を受け入れている。

 

「行」は、ぎょう(修行)・こう(銀行)・あん(行燈)などというように、日本に入ってきた時期で、音読み自体が〝中国の時代変化〟によっても複数存在している。

 

そこへ、日本での意味を当てはめた〝訓読み〟が乗っかって来る。行く=いく・ゆく、行う=おこなう、などのように変化する。これを使い分けるあなたは、語学の天才なのだ。

 

ヨーロッパ人には、何カ国語も話せる人がいる。自分の母語以外に、英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語くらいは自由に話せる、という北欧の人たちも少なくない。

 

凄いなあ、と思う。けれど、東北の人と、九州の人と、関西の人と、沖縄の人が、東京で出会って、〝標準的な単語〟で話さなかったなら、会話が成立しないことは十分起こり得る。

 

こんな話だけど、今日、配信されていたダイヤモンド・オンライン誌に、「日本語が『消滅の危機』にある理由、世界で9番目に話されているのになぜ?」という記事があった。

 

日本語学者の、埼玉大学名誉教授・山口仲美さんという方が書いておられた。日本語を母語とする人は、現在の1億2500万人が、このままいけば50年後は8千万人ほどになる。

 

つまり、これからは日本語を母語とする人の数が急速に減少するのだ。そこへ、英語が話せることが良いことだ、という教育が開始されている。

 

そうなれば、いよいよ日本語を自由に使える人数が減ってしまうことになる。さっきも書いたように、日本語は地域によって多様性に富んだ言葉だから、習熟だけでも大変になる。

 

このことは、文化の基礎としての言語をどう考えるか、という問題になってくる。山口さんの記事の紹介は改めて書きたいと思うが、「殺チュウ剤」だけは笑えない冗談だと思う。

 

それだけははっきりしている。せめてこれからも、母語としての日本語を、まともに読み、書き、話せる能力は手放したくないと思う。