細見美術館へ行って | がいちのぶろぐ

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今日は、京都府立図書館へ本を借りに行ったついでに、近くにある細見美術館で、「愛し、恋し、江戸絵画-若冲・北斎・江戸琳派」という展覧会を見てきた。

 

 

 

細見美術館は、大正から昭和初期の大阪の実業家だった細見古香庵から、現代まで親子三代にわたって蒐集した美術品のコレクションを基にできた美術館である。

 

それが開館25周年を迎えて、その記念展のシリーズ1の展覧会ということだった。元々、伊藤若冲が今ほど有名にならなかった頃から、若冲の絵画は蒐集されていたらしい。

 

それで今日は、若冲のコレクションをはじめとして、さらに主として酒井抱一とその弟子たちという「江戸琳派」を中心に、展示がなされていた。

 

 

 

展示されている絵画はさして点数は多くはないけれど、十分に見応えのある展覧会だった。特に若冲の若い時代の鶏の図などと共に、糸瓜の図など珍しい絵画の展示もあった。

 

もっとも私などは、元来が無趣味な人間なもので、今日でも〝フーン〟というレベルの感想だけしか浮かんで来ない、という情けない鑑賞眼なのだが。

 

それでも、一応は、〝なるほど〟という感じで絵画を見て回って、小1時間ほど美術館の中にいた。この細見美術館の中にいる間は、エアコンも効いていたのだが。

 

それにしても9月も中旬だというのに、今日もまた気温が30℃を越える蒸し暑い日で、府立図書館から細見美術館へ移動しているわずかな間に、私はしっかり汗をかいていた。

 

 

(細見美術館の入口の上に架かっていた雲/夏の雲だよ~)

 

午後は自室で、図書館で借りてきた、35年余り前に出版された「『作庭記』の世界」(森 蘊、NHKブックス、昭和61年)を読んで過ごしていた。

 

 

 

この「作庭記」の編著者と成立年代だが、著者の森蘊氏も「むすび」の部分で、「著作期は平安時代後期であり、最初の主たる部分の編著者は藤原頼通の令息橘俊綱であるとみるのが正しいようである」と書いておられる。

 

その最初の成立後にも、いろいろな人の手を経ることで、書き足されたり、手が加えられたりして、今日に伝わっている書物となったものらしい。

 

なにしろ千年単位で写本が伝わってきた書物だから、そういうことにもなるだろうと思う。世界でも最古と思われる、庭園作りの技術を書いた本だというのだから。

 

それを、庭園とは縁もゆかりもない私が、なぜあえて読もうと思ったのか。自分でも不思議なのだが、何だかこれは読んでおかないといけない、と勝手に思ってしまったから。

 

それに、今日読んだ冒頭の部分でも、「作庭記」の巻頭には「石をたてん事まづ大旨をこころうべき也」と書いてある。

 

この辺りの解説を森氏は、「自然の風景は人間の作意よりもはるかに上」として、「石の扱い方は(中略)見たことのある自然の姿」らしく「組み立てるのが一番良い」と言われる。

 

また、平安時代の貴族は、蒸し暑い京都の夏を過ごすための工夫として、寝殿造りの建物の庭園に、水を引いて池を作った、ということも別の場所で述べておられる。

 

ある意味で、生活の工夫が庭作りに生きている、ということだと思う。なんだかんだ言っても、見るための庭ではなく、生活の場での知恵というか発想だろう。

 

この本も、読み終えるのが楽しみになっている。