昨夜は8時過ぎから、「広河原の松上げ」という行事のオンライン中継があったので、中継が終わるまで約2時間にわたってそれを見物していた。
広河原地区は、我が家と同じ京都市左京区にある。だが、我が家の最寄りのバス停である「出町柳駅前」から、一日に上下各3本だけバスが運行されていて、約2時間もかかる。
京都市内でも最北端の集落であり、少し北へ行けばもうそこは福井県になるという地域。現在は、その集落に100人余りの人が暮らしているらしい。そんな場所である。
私は今から60年ほど前、高校生の時に友人2人とテントを担いで、広河原の集落からさらに山に分け入ってキャンプをしたことがある。
現在のブームのようなキャンプではなく、谷川の脇の平らな場所にテントを立て、石でかまどを築き、枯れ木を拾い集めて飯盒でご飯を炊き、適当におかずを作って食べた。
キャンプ場ではないから、何から何まで自分たちで工夫するしかない。寝るのは寝袋に潜り込んで、という具合だった。星を眺めながら、長く駄弁っていた。それでも楽しかった。
私にとっての広河原集落とは、そういう思い出とともにあって、実際の距離ではなく、心の中の距離では、とんでもなく遠い場所でもあった。
そんな広河原集落で、夏の終わりの行事として「松上げ」が行われる。この「松上げ」は広河原だけでなく、京都市北部のいくつかの集落などでも行われている伝統行事。
(昨年、市街地のスーパーで行われた区役所主催の展示)
その〝いわれ〟は、火伏の神様である「愛宕神社」の〝愛宕信仰〟と深く結びつき、さらに地蔵信仰ともつながった、神仏習合的な行事だと言われている。
(同上)
「松上げ」とは、広場の中心に20mほどもあろうかという柱(燈籠木(とろぎ))を立て、その周囲から手に持った小型の松明を、燈籠木のテッペンに投げ上げる。
(同上/パネル展示)
燈籠木のテッペンには、大きな籠の中に枯れ枝などが詰められていて、投げ上げられた松明が上手くその籠に投げ込まれると、松明の火が中の枯れ枝などに燃え移る。
(同上/燈籠木の上の籠部分)
こうして、燈籠木のテッペンの籠の中で勢い良く火が燃え盛ると、燈籠木を引き倒して籠の中に詰められた枯れ枝などを、最後まで燃え尽きさせて終了となる。
手持ちの松明に〝縄〟を着けて、くるくると回しながら勢いをつけ、ブーンと夜空に向かって放り上げて、高い燈籠木のテッペンまで届かせる。理屈ではわかる。
(同上/中継映像は暗く松明の投げ上げを写せるほどではなかった)
ただし、松明というけれど数本の薪を束ねたものであり、そんなに軽いわけがない。それを20mほども空中に投げ上げて、燈籠木の上の籠に乗っけるのだ。
それは決して簡単なことではない。昨夜も鉦を合図に、広場に建てられた燈籠木に向かって、大勢の人たちが松明をくるくるとまわしながら放り上げた。
ちょっとした手違いで、とんでもない方向へ行く松明もある。それこそ、上へ向かわずに斜めに飛んでいく松明や、上まで届かず反対側へ飛ぶものも多い。
自分が投げ上げるだけでなく、反対側から投げ上げられた松明が燈籠木へ届かずに、こちらへ向かって落ちてくることも考えておかないと、うっかりすれば怪我をする恐れもある。
そんな状態で、松明が上手く燈籠木のテッペンの籠に入れば、周囲からはどよめきとともに大きな拍手が沸き上がっていた。
しかし、そう簡単には松明が燈籠木の上の籠に納まることもなく、開始から2時間近くかかって、ようやく燈籠木の籠に詰められた枯れ枝が燃えるくらいだった。
こうして、燃え始めた燈籠木は引き倒されて、その瞬間に広場の中心に炎が立ち上る。しばらく燃え盛っていても、徐々に火勢が衰えはじめると燈籠木を突き刺してかき回す。
そうは言っても燈籠木だって20mほどもある柱だから、何人もの男たちで柱を抱きかかえて炎の中心へ走り込み、燈籠木を突き刺すようにしてかき回し炎を上げさせる。
こうして完全に燃え尽きるまで、何度も燈籠木を突き刺して、炎を立ち昇らせていた。これは火祭りとして見れば、なかなか勇壮な火祭りだった。
ところで、広河原地区は昨夜、8月24日の実施だったが、同様に松上げを行っている花背地区は実施日が8月15日だったので、今年は台風の影響で中止になった。
昨年は、同様に左京区北部地域の久多地区で、8月下旬に行われている「久多花笠踊」がオンライン中継されていたので、私はそれを視聴した。
(昨年のスーパーでの展示の花笠踊のパネル)
(同上/飾られていた花笠の実物)
左京区役所も、こうした北部山間地域に点在する集落の行事をオンライン中継したり、同じ左京区の市街地の商業施設で展示紹介したりすることで、山間地域振興を目指している。
山間集落は人口も少ないけれど、それぞれの伝統をアピールすることは意義あると思う。