七夕に六地蔵巡りに | がいちのぶろぐ

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今日は二十四節気の「処暑」。今月8日の「立秋」から半月が過ぎて、暑さも和らぎはじめて秋を感じ出すころ、ということになるのだが。

 

ところが今日は朝から、カラッと暑いのではなく、蒸し蒸しとした嫌な暑さだった。それで朝の内、少しバタバタと動き回っていた私は、けっこうじっとりと汗ばんでしまった。

 

その汗をかいたままで、エアコンが掛った部屋にいたところ、今度は急激に鼻水が止まらなくなってしまった。だから、ずっとティッシュ・ペーパーが手放せなくなってしまった。

 

この二十四節気は、「処暑」から半月後には「白露」となり、さらに半月後には「秋分」となる。なので、1カ月後には「秋分」を迎える。

 

ところで昨日の8月22日は、太陰暦(旧暦)では7月7日に当たっていた。つまり、この日が本来の意味での「七夕」ということになる。

 

 

(七夕といえば笹に願いの短冊を飾る/京の七夕2017より)

 

太陰暦は月の満ち欠けによって決まる暦なので、十五夜=15日の夜が〝満月〟だから、7日の夜はお椀型の〝半月〟ということになる。

 

この〝半月〟は「月の御船(みふね)」として、七夕の夜に「彦星」がこれに乗って、天の川を渡るのだそうだ。こういうイメージって、とてもロマンチックで良いなぁ。

 

さらにまた、七夕の夜はカササギが天の川に橋を架ける、とも言い伝えられているそうだ。

 

 

(カササギ)

 

この話は、今朝の京都新聞のコラム欄で、藤原定家ゆかりの和歌の家・冷泉家の、冷泉貴実子さんが書いておられたことから引用した。

 

もっとも藤原定家が撰した『小倉百人一首』では、このカササギが現れる和歌は、大伴家持の「かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」となっている。

 

七夕の夜にかける橋ではなく、霜が降りた橋となれば、寒々とした光景が目に浮かぶ。でも〝カササギといえば橋〟という連想は、ここでも生きていることになる。

 

それにしても今日の京都新聞には、この冷泉家で昨夜の「七夕(しっせき)」に、年中行事の一つである「乞巧奠(きっこうてん)」が行われた、という記事も載っていた。

 

 

 

これは「『牽牛』と『織女』の二星に和歌や雅楽を手向け、技芸上達を祈る儀式」だと、記事では紹介されていた。

 

こうした内容の記事を読んでいると、ある意味、とことん浮世離れしていて、これはこれで〝良い世界だなぁ〟と思ってしまう。

 

それとともに、昨日22日と今日23日は、京都では「六地蔵巡り」の日でもある。こちらも、その様子が昨日の京都新聞夕刊に掲載されていた。

 

 

 

「かつて京の都の入り口に置かれた6カ所の地蔵菩薩像を巡拝する」という行事で、「後白河天皇の命を受けた平清盛が街道口の6カ所に地蔵を祭ったのが起源」とされている。

 

地蔵菩薩像を祭った6カ所のお寺では、それぞれのお寺ごとに色違いの「お幡(はた)」を授与されるのだという。

 

 

 

カ月ほど前の京都新聞には、この六地蔵巡りの巡拝バスツアーの宣伝も載っていた。それくらいには、人気のある行事ということだ。

 

 

 

「京の都の入り口」となる、6カ所の街道口に地蔵菩薩が置かれた、ということだから、京都市のいわば端っこに点々とある、ということが言える。だからツアーが成立する。

 

バスや地下鉄といった公共交通だけで、離れた6カ所を回っていては、短時間にすべてを回るのが大変だから、バスツアーでワーッと回ろうという、いかにも現代風の発想だ。

 

ただし、昔の人は6カ所すべてを歩いて回っていた。さすがに、いかに健脚でも一日ではきついだろう。だから二日間なのだ。

 

私は昨年、この8月の暑い時期ではなく、6カ所を6回に分けて、いける時に1カ所ずつバスと地下鉄で行ってみた。もちろん、日が違うから「お幡」はいただけなかったが。

 

こういうことも、実際やってみると結構面白いものだった。6カ所の中の一つ、山科地蔵・徳林庵では、偶然におられたご住職から、いろいろとお話を聞くこともできた。

 

 

(徳林庵とご住職)

(山科地蔵・徳林庵の地蔵菩薩像)

 

四国霊場八十八カ所巡りや西国三十三所観音霊場巡りなど、有名だけど時間も旅費もかかる大規模な霊場巡りもあるけれど、こうしたささやかな巡拝も楽しいものだと思う。