今日は、激安の理容室に散髪に行ってきた。夏の終わりが近付いてから、髪の毛をバッサリ切るなんてと思われるかも。だけど、元々、目一杯禿げ散らかしてるから問題ないさ~。
髪を切ってスッキリはしたけれど、洗髪はいらない(別料金だから)と言ったので、散髪と顔剃りしている時間は、合計でわずか15分余り。あっさりしたものだ。
それに、この店の隣がわりと大きな本屋さんなので、帰りに立ち寄ってあれこれと見て回るのも楽しい。結局、「平治の乱の謎を解く」(桃崎有一郎、2023、文春新書)を買う。
それはそうと、今日、理容室に行くためバスに乗ったのだが、その停留所の前の鴨川デルタの〝飛び石〟が、子どもたちで賑わっていた。
先日、千葉都民の娘一家が来た時、孫の豆台風くんは、ほんの短い時間の滞在だったけれど、それでも大好きな鴨川へと散歩に出掛けた。
ただ前日の台風の影響で、その鴨川は濁流が渦巻いて流れるありさまだった。だから残念だけど、〝飛び石〟など全く姿が見えていなかった。
ほんの数日違いなんだけど、もし今日だったら、彼は大好きな鴨川にジャブジャブ入ったり、〝飛び石〟を飛んで渡ったりできたのに。そう思うと、少し気の毒だったなぁ。
それにしても、今日あたりフェイスブックの投稿を見ていると、京都市内のあちらこちらで、「地蔵盆」が行われている様子が投稿されている。
(知人がフェイスブックに投稿されていた地蔵盆の写真/提灯)
我が家の町内会は140世帯ほどあるけれど、中学生以下の子どもは数人で、もう長らく地蔵盆を行っていない。その代わり、子どもの日やクリスマスにプレゼントがあるけれど。
何しろ子どものためのイベントだから、子どもがいなければ意味がないし、〝スーパーボールすくい〟や〝お菓子の抽選〟などといった〝お楽しみ行事〟も盛り上がらない。
やはり、〝それなり〟の人数の子どもがいてこそ、のイベントだ。私の子どもたちの世代は、団塊ジュニアでけっこうの人数がいたから、その分、地蔵盆を楽しんでいたものだ。
その子どもたちは私たちの世代とは違って、親と同居など、もはや〝あり得ない話〟だから、みんなバラバラに暮らしている。いや、仕事の都合もあってバラケてしまう。
こうして、京都の子どもたちにすれば夏休みの最後のお楽しみ行事だった地蔵盆も、徐々に変質していく。それもまた、時代だと思う。何しろ京都市は人口流出が止まらないのだから。